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2022.11.09 [PROMOTION]

#01 鴨川の田園風景が、心の穴を埋めてくれた
by ヘイミッシュ・マーフィー(〈Uzumé〉オーナー)

TOP画:田園風景のなかを気持ちよく走るSUBARU「レガシィ アウトバック」

コロナ禍のリモートワークにより、都市から地方へ、郊外へという移住&2拠点生活を始めた都市生活者は少なくない。そんな、都市と地方を頻繁に行き来するライフスタイルを応援するのがSUBARUだ。「より遠くまで、より快適に、より安全に」を掲げるSUBARUのグランドツーリング思想は、高速道路の長距離移動あり、険しい山道や悪路の走行ありという移住&2拠点生活者のニーズにぴったり。2021年には、SUBARUのクルマのポテンシャルをもっと体感してほしいという思いから、千葉県鴨川市の山間にある閉鎖されたキャンプ場に『SUBARU里山スタジオ』をオープンするなど、車メーカーとして里山志向をいちはやく打ち出し、新しいライフスタイルに寄り添う姿勢を見せている。そんなSUBARUが築きつつある鴨川の里山コミュニティには、さまざまな価値観をもつ移住者&2拠点生活者が集まっていた。

都市と地方を行き来する暮らしの中で | 連載「SUBARUでかなえる房総の里山ライフ 」記事一覧

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鴨川では、里山での暮らしを想起させるSUBARUらしいカーライフを提案する。

オーストラリアから東京へ、そして鴨川へ。

オーストラリアの港湾都市ジーロング出身のヘイミッシュ・マーフィーさんは、日本在住歴34年。
2005年、鴨川の山間に週末を過ごす別荘を建てたことをきっかけに、房総の里山と縁をもつことになった。2012年には、鴨川に比重を置きながら東京との2拠点生活をスタート。4年前に念願の完全移住を果たした。


オーストラリア出身のヘイミッシュさん。

「生まれ育ったジーロングはメルボルン郊外にあり、クルマで10分もドライブすれば大自然が広がるロケーション。子どものころは毎週、海へ、山へと自然の中へ足を延ばしていました。そういう環境だったので、1988年に東京に移住したころから2拠点生活への憧れがあり、友人と共同で山中湖畔の別荘を借りていたんです。当時も毎週、山中湖に通っていました」

残念ながら別荘を借りていた仲間たちがバラバラになり、山中湖ライフはあえなく終了。拠点を定めず日本をあちこちする生活が10年ほど続いたが、そのころには別荘地ではなく、日本の田舎暮らしに挑戦してみたい気持ちが湧いていたそう。


パーマカルチャー、自然農法、自給自足、山の再生…これまでの学びを集約させた、ヘイミッシュさんの拠点〈Uzumé〉。

房総半島の山間は、エネルギーに満ち溢れていた。

当時はまだ東京との2拠点生活を続けるつもりだったから、アクセスを考えて片道2時間圏内の場所を見て回った。そうして出合ったのが、鴨川の山の方。初めて鴨川を訪れた時の印象を、ヘイミッシュさんは「感じたことのないエネルギーで満たされた」と話す。

「心が緑とつながったというんでしょうか。当時、東京での暮らしで心の中にぽっかりと穴が空いたような空虚さを感じていました。自然とのつながりが決定的に欠けていたんですね。アクセスがいい房総半島には2拠点生活を求めてやってくる人が少なくないけれど、多くの人が海沿いで物件を探しています。でも、房総半島は山間が素晴らしいんです。そもそも山間は上下水道などのインフラが整っていないところが多い。そしてクリエイティブな視点を持つ不動産屋が少ない。だからこちら側には2拠点や移住という文化が育っていない。そんな理由で、山側には夢のようにすばらしいロケーションの空き家がたくさん残っていました」

ヘイミッシュさんが見つけたのは、両側を湖に挟まれた、南向きの広大な斜面。「まるでスイスアルプスのよう」という3ヘクタールその土地に、バリ島にインスパイアされた素敵な別荘を建てたのが2005年のことだ。


廃材や間伐材で作ったセルフビルドの家。壁には粘土ともみがらを使い、断熱効果を高めているので冬でも快適。家を造るワークショップを実施し、みんなで建てた思い出の建物だ。

その後、2012年に大きなマインドシフトを体験し、長く勤めた金融業を退職した。そこからパーマカルチャーを学び始め、その理念を体現する自家菜園、1000年先を見据えた「食べられる森」造り、半オフグリッドの自宅、鶏小屋や一棟貸しのタイニーハウス……鴨川でさまざまなプロジェクトをスタートする。

たくさんの研修生やボランティアを受け入れ、いくつものプロジェクトを同時並行しながらSUBARU「レガシィワゴン」で東京と鴨川を毎日往復する生活を6年続けた。鴨川で過ごす時間が長くなるにつれ、東京のしがらみから自由になりたいという気持ちに目覚めてしまい、ついに東京の拠点を手放して完全移住することを決めた。


敷地のなかを悠々と歩き回る動物たち。

「パーマカルチャーを勉強したら、現代のテクノロジーを有効活用しながら世界の課題を解決しようという理念に、ものすごく影響を受けたんです。オフグリッド生活に切り替え、あれもやめよう、これもやめよう、そして世界を変えよう、って。いささかカルトっぽくなっていたかもしれない(笑)。

でもここでいろいろやっているうちに、世界を変えようという気持ちが、日本を変えよう、房総半島を変えよう、この集落を変えようって、どんどんダウンサイジングして、しまいには自分を変えればいいんだって気づいたんです。初めは世界を見ていたはずなのに、いつしか海の底を潜るように、自分の内面を探ることが中心になっていました」


実のなる植物がたわわに育つこの森を中心に、世代の異なる3世帯が寄り添いあって生きる。そんな、森を中心とするコミュニティの姿を思い描いて作った「食べられる森」。

移住して4年になる現在は、研修生もボランティアもいない鴨川の敷地で、パートナーのエリさんと2人で静かに暮らしている。完全オフグリッドだった自宅は、生活の利便性を考えて電気に関してはオングリッドに。長期的な計画は立てず、目標も目的もなるべく持たず、その日その日を豊かに暮らすことに意識を傾けている。

「現代人は朝起きるとまず、『今日はあれをしなきゃ、これも終わらせなきゃ』ってTODOリストをチェックするでしょ?こういう考え方からそろそろ脱却しようと思いました。子どものころからのくせだからなかなか抜けきらないけれど、この環境の助けもあって、新しい自分に変わりつつある。少しずつ、その手応えを感じる毎日です」


こちらはパーマカルチャーの畑。近隣からもらった牛糞、敷地内の竹林を伐採して作った竹チップなど、身近な素材で作った。

そんなヘイミッシュさんに、里山暮らしを100%楽しむコツは?とアドバイスを求めたら、こんな回答が返ってきた。

「まずは地元のコミュニティと積極的に関わること。ここを別荘として使っていたときは近所付き合いもないし、周囲に親しい人もいませんでした。それどころか、別荘を建てるにあたって周辺の道路の整備を始めた際には、ご近所とトラブルになって…… 。いまとなっては自分がコミュニティに参加していなかったがゆえのコミュニケーション不足が原因だとわかります。いまでは地元のみなさんと親戚のようなおつきあいをしていますよ。集落の草刈りにも参加しているし、山の上流にある水源と、山の水を運ぶパイプの管理も私が担っていますから。里山暮らしでは『おたがいさま』の気持ちをもつことが大切なんですね」


今年は、ヘイミッシュさんの親友である猟師の協力もあって、〈Mineoka Gibier (ミネオカ ジビエ)〉という獣肉解体処理施設を立ち上げることができた。ここでは地元猟師から持ち込まれた獣肉をソーセージなどに加工して販売している。ヘイミッシュさん自ら振る舞ってくれたのは、イノシシ肉のソーセージだ。手前は自家栽培のニンニクとフェンネル風味、奥はシソ風味。


友人に貸し出すタイニーハウス。すべて鴨川の素材、建材で造ったもの。

そしてもう一つ、忘れてはいけないのがエンターテインメントの気持ちをもち続けること。都会と違い、田舎には映画館も、ギャラリーも、ライブハウスも、素敵な本屋もない。だからエンターテインメントを諦めなければいけない……なんていう考えは大間違い、とヘイミッシュさん。

「アボリジニや東ヨーロッパの遊牧民をはじめ、世界中の原住民には、誰もが歌い、楽器を奏でる文化があります。僕はああいうのがいいと思う。周りに何もないなら、自分で作り出せばいいんです。だって、受け身よりも自分でやったほうが100倍おもしろいんだから。僕もこちらに来て、ギターの練習とボイストレーニングを始めました。先日は初めて自分で曲を書いてみました。大きなダイニングテーブルを仲間たちと囲み、おいしいものを食べ、飲み、笑い、歌い、楽器を奏でる。そんなエンターテインメントの原初みたいな遊びが、いまはいちばん楽しいんです」


セルフビルド&半オフグリッドと思えないほど快適そうなヘイミッシュさんの我が家。

ヘイミッシュ・マーフィー
オーストラリア・メルボルン郊外出身。1988年に来日、東京に拠点を構える。2012年、27年間勤めた金融業を離れ、鴨川・東京の2拠点生活をスタート。パーマカルチャー、左官、大工、石積みなど、さまざまなジャンルのプロフェッショナルを招いて鴨川プロジェクトをスタート。2018年、鴨川に完全移住し、地域のコミュニティに参加しながらよりよい暮らしを追求する。2022年、地域の獣肉解体処理施設〈Mineoka Gibier (ミネオカ ジビエ)〉をオープン。敷地内にあるさまざまなプロジェクト、建物をまとめた〈Uzumé〉のオーナーとして活動している。

Photo by Midori Yamashita Text by Ryoko Kuraishi