column
移動するためにあるものが移動しない状態
ーーこのシリーズが生まれたのは昨年のロックダウンの最中だったようですね。
2020年、ポートランドではロックダウンは3月中旬に始まりました。しばらく続きそうだと思いましたね。
ーー移動も規制された中で、どんな風に制作されたのですか。
都市の封鎖と同時に、自宅にある浮世絵を複写を始めて、それでGIF(ジフ)を作ったのがこのシリーズのきっかけになりました。浮世絵とは鎖国の時代、江戸という都市を市民が謳歌するために生まれた絵画でした。きっと今でいう広告のような存在で、市民の消費を促進する意味もあった。だから雑誌のようなものでもあった。それが今なお現在に残っているのだと想像しています。都市の封鎖から鎖国、浮世絵、移動、そんなキーワードが頭に浮かび、この浮世絵から何かを読みとれないかと思い立ったんです。
その当時の外出は、午前と午後の近所の散歩と、週に1度のクルマでの買い出しに限定されていました。それでドライブ中のビデオ撮影から始まって、車窓、鳥、飛行機をモチーフに動画を制作した。そこから組み写真へと繋がっています。
ロックダウン中は季節的にもガーデニング好きの隣人たちの成果物が散歩道で咲き始めていた時期で、はじめはクルマを抽象的かつグラフィカルに切り取りはじめていましたが、徐々に植物などの有機物とクルマとが融合しはじめて、花にも目がいくようになりました。
本来なら仕事に出ているはずのクルマたちが1日中、とどまっていた。違和感のあるその光景がいつの間にか日常になり、「移動するためにあるものが、移動しない状態でそこにある」という状態がずいぶん長いこと続いたんです。つまり、都市封鎖が始まり、程なくして機能が剥奪されたことによって、鉄の塊が新たな意味を持ちはじめた。美しく輝きはじめたんです。移動できずに佇んでいる様子を眺めながら、自動車社会とは何か、クルマとは何か。そんな自問自答がおぼろげに生まれてきて、結果として花とクルマがセットになった作品が生まれました。
ーー多くの人にとって、2020年は激動の年になりましたね。
そうですね。最初は、社会が大量生産・大量消費的なスタイルから、もっとシンプルでミニマルな方向へ進むかもしれないと思いました。個人のレベルではそれぞれの変化があったと思いますが、社会の目指す方向そのものに、目に見える大きな変化は感じられなかった。それでも2020年の社会情勢によって、人と人、コミュニティの分断が可視化され、軋轢も拡大したのかなと思いました。分断を生んだのは、個人が色々な立場を表明せざるを得ない選択を迫られたからだと思います。移動に対して、感染に対して、何かにつけて、それぞれの判断が求められました。
ーーそうした変化の中で、なぜクルマという対象物にフォーカスされたんですか?
単純な移動手段としてだけではなく、クルマによって喚起させられる物事は多岐に渡ります。流通の手段であり、物欲の具現化であり、エネルギーの問題であり、政治的な表明であり、身体の拡張であり、時にはシェルターでもある。その他、現代文明に関わる多くの事象がクルマによって喚起させられています。
毎日運転していたクルマに乗らない、もしくは乗れないという状況下で機能を“剥奪されたクルマ”が、ネイバーフッドの植物群と一体化して不思議な輝きを放っているように見え始めた。そして、それを記録し始めた。
グラフィックとは対照的に、動画は買い出しなどのドライブの映像やそれと重なる鳥や飛行機が移動制限下における“再獲得された機能”の象徴にも見えた。一見、写真とは切り離されているように見えますが、止まっている状態と動いている状態とで、写真とビデオは連動するシリーズになっているんです。
ーー移動が制限されて、改めてクルマ社会と向き合った。改めてファインダー越しに見えたものとは何だったと思いますか。
クルマには、所有者の生活や私的な部分が反映されていることに改めて気づけました。クルマに対する数多くの新たな意味、視点も生まれた。それが2020年の数多くの出来事とリンクして、花鳥風月的な美意識で撮り貯めていった集積がこのシリーズなんです。
DYSK
大阪府生まれ。PARSONS SCHOOL OF DESIGN PARIS 中退後、パリ、ロンドンを拠点に活動開始。その後、東京にベースを移し、2014年よりアメリカ西海岸の町、ポートランド在住。
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photo by DYSK text by Ryo Muramatsu