002 life

アルプスとシカを愛する、若き料理家の里山暮らし

高橋詩織(ヤマドリ食堂)

南北に50km、東西に10kmという広大なエリアに、山岳エリアや川、里山と多彩な魅力を凝縮した伊那谷。範囲が広い分、そこに点在する村の魅力も実にさまざまだ。中でも、”日本の原風景”とも謳われる美しい里山で知られるのが中川村。中川村の自然の恵みをジビエ料理で発信する『ヤマドリ食堂』の高橋詩織さんが “日本で最も美しい村”をナビゲートする。

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» Inadani, Naganolife

南アルプス最奥の山小屋で、シカ肉に出合った

伊那谷のほぼ中央に位置し、村の中央を天竜川が流れる中川村。蛇行する天竜川によって侵食された河岸段丘に果樹園や水田が連なるさまは、なんとものどかで、どこか懐かしい。そんな中川村の風土に魅せられたのがジビエ料理家の高橋詩織さんだ。中川村の隣町、松川町の出身で東京の大学を卒業後、冬は北信のスノーリゾート、夏は南アルプス南部の山小屋でアルバイトをしていたという。その南アの山小屋で知り合ったのが猟師の親子。その縁がきっかけとなりジビエの魅力に開眼した。

「働いていた山小屋に、その親子がよくシカ肉を届けてくれたんです。シカのモモ肉は筋肉質で歯ごたえがあって美味しいんですよね。それでスジや筋膜をとってシカモモ肉のソースカツ丼に仕立て、山小屋のスタッフで食べていたんです。その他にも骨でスープをとってラーメンを作って食べたり。それが山暮らしの楽しみでした」

山からいただいためぐみは、みんなにお裾分けして感謝する。狩猟についてそんな考えを持っていた親子との出合いは、山に入る人や山と関わる人をサポートする仕事に就きたいと考えていた詩織さんにとってなかなか暗示的だった。そもそも詩織さんが生まれ育った南信州には古くからジビエ食の文化があって、加工施設も整備されていたことから、次第にジビエに興味を持つように。

「調理する前に解体するという当たり前の事実に向き合って、改めてジビエに興味が湧いたんです。猟師になりたいわけではなかったけれど、山からいただいた恵みを山に入る人にお返しする行為が素敵だなと思って。ジビエを扱うなら解体から自分でできないと、と思っていたところ、地域おこし協力隊に解体の仕事の募集があったんです。これに応募して中川村に赴任、村内の加工施設で獣肉の解体や加工食品の開発、ジビエ流通に携わりました」

(写真提供:栗田萌瑛)

“日本で最も美しい村”、中川村の魅力って?

お隣の村同士とはいえ、生まれ故郷の松川町と中川村は規模も環境も暮らしも大きく違っていた。「日本で最も美しい村」連合に加盟しているだけあり、中川は自然環境が豊かで、昔ながらの里山暮らしの伝統も残っている。そういう風土に惹かれて移住してくる若者も多く、若い世代と地域の高齢者との交流も盛んだ。つまり、こぢんまりとした村全体が仲良しで暮らしやすいのである。
「自分で初めてワナを仕掛けのも、近所に住むおばちゃんに頼まれて。田んぼがシカに荒らされて困っていると言われ、『じゃあワナをかけてみよう』、って。初めは全然かからなくて苦労したけれど、少しずつシカの歩き道や行動パターンが読めるようになって。それでようやくかかるようになったんです」

(写真提供:佐々木 健太)

現在は地元の猟師にシカ肉を提供してもらい、自ら捌き、調理して提供するジビエ専門ケータリングの『ヤマドリ食堂』として活動中。さまざまなシカの部位を手に入れては食べ方の研究に余念がない。高橋さんが好きなのはクビの煮込みとモモ肉のロースト。クビの筋肉は硬めなのだが、よく動く部位なので味が濃い。ほろほろになるまでじっくりと煮こんだこれは、滋味深さを味わえるおすすめレシピだ。モモ肉は直火の豪快なグリルがいいそうで、イベントでは焚き火で調理することもあるとか。自分で捌く以上、どんな部位も無駄にできないと、通常では使われない部位のレシピも研究中。いまレシピ開発に取り組んでいるのはレバーと肺。中でも肺のトリッパは絶品だそう。

「自分で捌くと色々なことに気づきます。メスの肉は柔らかいとか、老若大小、シカもそれぞれに個体差があるなとか。動物の身体の造りの精密さ、美しさに惚れ惚れしたり。筋膜や腹膜の中に整然と収まった筋肉や内臓って、構造物としてきれいなんですよね。四つ足の動物の筋肉や骨格のつき方って、二足歩行の人間ともリンクするところがあるから、こうするともっと機能的に動けるかも、なんて身体の構造を考えてみるのも楽しい」

山遊びもケータリングも、サンバーバンがあればいい

「栽培は苦手だけれど採集は好き」という高橋さん。キノコや山菜を採りに山に入り、魚を釣りに川に出かける。趣味はスノーボードに雪板、ハイキングと、季節を問わず里山を縦横に駆け巡る。そんなライフスタイルに欠かせないのが、愛車の軽バン、スバルの『サンバー』。四輪駆動で5速ミッション、凸凹の山道もキビキビと走る良き相棒である。
「田舎の山道はとにかく細いから、車体が小さくて小回りが効くこと、よく走ることが大前提。『サンバー』はホイールベースの短さが気に入って、実はこれが2台目。初代は旧車っぽい丸目のビジュアルが好みで移動販売車に仕立てようと画策していたのですが、大往生してしまいました」

そんな話をしながら山道をかっ飛ばす。トンネルの壁まで走破する勢いで、まるでマッハ号だ。中川村に越してくるまではマニュアル車はほとんど運転したことがなかったというが、そうは思わせない攻めっぷり。

「クルマに積んでいるのは釣竿、スケボー、トレランシューズ。冬はこれに雪板などの滑る道具が加わります。コンパネで作ったベッドを入れて、床とベッドの隙間に雪板やスノーボードを収めています。スノーボードがしたくて白馬や大町で10シーズンを過ごしましたが、こっちに来てからはもっぱら雪板。最近は雪が少なくて、緩い斜面でも手軽に楽しめる雪板が便利なんです」

取材後、車内をさらに改良したそうで、「より機動力のある移動販売車が完成したので、南アルプスでも中央アルプスでも、北アルプスでも、美しい山の近くで出店していきたいと思っています」と高橋さん。

「とくに登山者に軽食やコーヒーを提供できるといいですね。最終目標は山小屋をやること! トレイルヘッド、もしくは稜線上の山小屋で、山に登る人たちのお手伝いをしていきたい。シカ肉であれ、山小屋であれ、どんな形でも山に携わって生きていきたいんです」

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※この撮影は2019年10月に実施され、一部加筆修正した記事になります。なお、5月11日現在、全国の緊急事態宣言を受けまして、長野県では「外出自粛の要請」、「県域をまたいだ移動自粛の要請」を中心とした措置を実施しています。まん延を食い止めるため、該当期間中は、読者の皆様のご協力をよろしくお願い申し上げます。

事態が収束し、自由に移動できるようになったときには、旅先の候補として「伊那谷」を検討いただければ、編集部としては何よりです。

高橋詩織
長野県下伊那郡松川町出身。東京の大学に進学後、スノーボードと山歩きに魅せられ、卒業後は夏は山小屋、冬はスノーリゾートと長野県内で働くように。地域おこし協力隊をきっかけに中川村に移住、2018年にジビエ専門ケータリングの『ヤマドリ食堂』をスタート。シカ肉と四季折々の山の恵みをたくさんの人に味わってもらいたいと、イベント出店とケータリングを中心に活動中。

instagram:@yamadori_to_shika

Photo by 55inc Text by Ryoko Kuraishi