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“自分の登山をする”新時代のシェルパで出会って
村松:さて、本日のゲストは写真家の石川直樹さんにお越しいただきました。 石川さんとは2週にわたって隔週更新でお届けしていきます。ではでは、よろしくお願いします。
石川:よろしくお願いします。本当にちゃんとラジオみたいなんだね。すごいね(笑)。
村松:(笑)。さて、まずは石川直樹さんのプロフィールをご紹介します。1977年東京生まれ。写真家。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら作品を発表し続けています。8,000m峰14座すべてを撮影すべく、ネパール、パキスタンに通い、2024年10月に登頂したシシャパンマ (※1) で14座の登頂を果たします。 また、8,000m峰14座すべてに写真家として世界で初めて登頂した記録をつづった新刊『最後の山』を、新潮社より絶賛発売中です。
最新刊について、石川さんは今各地でトークショーを交えて販売、かつ、いろいろ伝えていますけども、補足ありますか?
(※1)シシャパンマ:ヒマラヤ山脈にある山。標高8,027mで世界第14位の高さ。
石川:いや、特に補足はないです。本当に日本各地、北海道から西表島まで、いろんな場所で話をしながら、新しい本を手渡しで売っていくみたいな巡業をずっと続けてきました。
『最後の山』¥2,420 (税込) /著:石川直樹/発行元:新潮社
村松:この巡業の計画を直樹さんがされている時に、「これギネス載れますよ」ってご自身でも冗談交じりに話していたのがすごく印象深いんですけど、いま何か所ぐらい回っていますか? 覚えていますか?
石川:いや、僕も数えたいくらいですよ。本当に何か所回って、何冊売ったのか、北海道の端っこの知床半島から、沖縄本島でもやったし、西表島でもやりました。もう本当に日本列島の北端から南端まで、あらゆる場所の小さな書店でお話をさせていただいて、本当に目と目を合わせて「どうぞ」って本を売っていくことをやって、もう 1,000 冊以上を手売りしたんじゃないかな。
村松:出版社の人、驚いたんじゃないですか?
石川:そうですね。新潮社の人は驚いていましたし、そういう売り方をする作家の人っていうのはほとんどいないから、びっくりされていましたね。
村松:ご自身の体験としても楽しそうですよね。
石川:「こうした思いで書いてきた本です」っていうことをきちんと読者に伝えながら手渡せるので。僕としても思いを込めて自分の本を手に取っていただくことができるっていう意味で、とてもありがたいなあと思っています。
村松:僕も読ませていただいて、読了後についつい直接直樹さんに LINE しちゃったぐらい、すさまじい読書体験でした。14座チャレンジ中に何度かトークショーにもお声がけさせてもらって、長野にも何度も来ていただいたりして、お話は聞いていたんですけども。
お話を聞いていた以上の熱量とかドラマが本の中にはあって。そもそも直樹さんって、すさまじい体験をすごい淡々と話すじゃないですか。それはそれですごく魅力のひとつだなと思いつつも、トークショーよりも少し熱が帯びているのが個人的には残っています。とにかく壮大な映画を見ているような感じで、読んでいる最中かなり没入しました。これは何度も読み直したいなと思いましたね。

石川:ありがとうございます。大げさに話したりするのは得意じゃないし、そもそも好きじゃない。少しでもフィクションがまじっていたり、「わざと起承転結をつけて面白く話してるな」っていうのを感じちゃうと、違和感を持つタイプだったんです。事実を淡々と伝えていくっていうような感じでトークイベントなどはやっています。本はきちんとディテールを伝えながら、その時感じたこととか考えたこととかもきちっと綴っているので、静かな熱量みたいなものも少しだけ感じられるかもしれません。
村松:それでも、すごく抑えている感じありますよね。
石川:そうですね。いくらでも大げさに書けちゃうので。
山の世界を知らない人にはいろんな書き方ができてしまうんだけど、ちゃんと山を知っている人にも読んでもらいたかった。アルパインクライマーが読んでも何かしらを得られるような、あるいはどんな人が読んでも、どういう角度から読んでも、何かしら引っかかる部分があるような、興味が湧くような本にしたかった。単純な冒険ストーリーでは、そもそもまったくないですし。
村松:書き手の記録的に書いていく事実が続いていく中で、どうしてもこぼれ落ちちゃう節々に逆にグッときましたね。
石川:淡々と綴る中でも、もちろん感情の起伏っていうのはあるわけで。自分はあんまり表情に出るタイプじゃないって昔から言われてますけれど (笑)、自分の心の中ではかなりいろんな感情が渦巻いていますから、そういうのがポロッとこぼれ落ちることはもちろんあるでしょうね。
村松:この本『最後の山』では、ガッシャーブルム II (※2) の話で物語が始まると思うんですけど、“石川直樹は登山家ではなく写真家である”っていうのは、石川直樹さんをご存じの方はわりとよく耳にするフレーズかなと思います。このガッシャーブルム II のエピソードがすごく僕は好きで、かつその肝であると個人的には思っていて。書籍にも書かれていますけど、このガッシャーブルム II の登頂で、石川さんは初めてシェルパ (※3) の新世代の人たちと出会って、そこから旅を共にし始めるっていう、ある種の始まりなんですけど。彼らと出会わなければ、そもそも 14 座を登頂しきるっていうことすら考えなかったっていう話があって、今日はここから話を伺えたらいいなと思っています。
(※2)ガッシャーブルムII:パキスタン・中国国境に位置する世界第13位の山。標高8,035m
(※3)シェルパ:荷物を担いで登山者をサポートする人を指す言葉。もともとはヒマラヤ山脈に住むチベット系民族の名称。

石川:うん。2000年代から 2010 年代の前半ぐらいまでは、自分より年上のシェルパと一緒にヒマラヤの山に登っていて。彼らはやっぱり縁の下の力持ちで、仕事として登山に関わっていく人たちだった。でも、2019年頃に K2 (※4) に僕が 2 回目に行ったあたりから、ちょっと自分より下の世代のシェルパたちと知り合うことになって。彼らは“自分の登山”をする最初の世代だった。縁の下の力持ちとして仕事をするだけじゃなくて、自分たちだけで海外に登山に出たり、6,000m の未踏のルートを行ってみたり。登山が好きで、自分たちの登山をするっていう最初の世代が、現在30 代のシェルパたちでした。彼らは新しい時代のシェルパでまったく違う風をまとっていて、今までステレオタイプに描かれていたシェルパとは異なるシェルパ像をまとった若者たちだった。彼らのことをきちんと伝えたいと思ったし、日本では誰も伝えてないんじゃないかと。自分が並走する意味があるんじゃないかっていうことを強く思ったのが、その 2019 年ですね。
(※4)K2:カラコルム山脈にある山。標高8,611mでエベレストに次ぐ世界第2位の高さ。
村松:じゃあ、すでに彼らの意志は 14 座を目指していて、そこに伴走する形で自分も 14 座を登頂しようって思ったって感じですか?
石川:彼らが次々に 8,000m の山に登っていった時期にぼくも彼らと出会いました。特に『最後の山』で中心人物として描いたミンマ・ギャルジェ、ミンマ G って呼ばれているシェルパなんかは、酸素ボンベを使わずに 14 座を登っていくっていうことを目的に掲げていた。 そんなシェルパは今までいなかったんですよ。酸素ボンベを使わずに登ったらガイドなんてできなくなっちゃうし、それは仕事として登るだけでなく、自分の登山をするよっていう意思表示でもあるから、そんなやついなかったんですよね。でもミンマ G は酸素ボンベを使わずに登りながら、そこにいる登山者たちをケアしたりリーダーシップを発揮して隊をまとめていた。「ちょっとこれは本当に新しいシェルパのあり方だぞ」っていうのを感じ取ったっていうのがありました。
村松:そういう新しいスタイルのシェルパが生まれたのは、どういう背景があるって石川さんは思ってますか?
石川:ネパールって、昔は最貧国とかって言われていたこともありましたよね。いまも多分、財政的には厳しいのかもしれないけど、物質的にも少しだけ豊かになって、シェルパたちもただ生きるためのお金を稼ぐっていうよりも、もう少し余裕が出てきたんじゃないですかね。
それに加えて、SNS とかインターネットに日常的に彼らも接続することによって、登山というものがヨーロッパやアメリカ、日本などを含めたアジアの登山の盛んな国々からどういうふうに見られて、どういう登攀が意義のあるもので内容的にすごいのかっていう指針みたいなのが、彼らの中に見えてきたんじゃないですかね。
村松:なるほど。確かに、確かに。客観視できたんでしょうね、自分たちを。
石川:そうですね。それまでは、登頂することの素晴らしさについてはなんとなくわかっていたんでしょうが、本質的に何がリスペクトされるのか、そういうことをさらに理解してきたんでしょうね。それはインターネットや SNS のおかげでというか、もちろん良し悪しはあるんですけど、SNSなどによって理解が深まった部分はあるでしょうね。
村松:うん。彼らと出会って、突然被写体が立ち上がったといいますか。2021年にエベレストは登頂されていて、その後にも 8,000m 峰にいくつか登られた後ではあったと思いますが、14座すべて登り切ることを、突然彼らの出現によって思い立って……。いままでも突然取材対象が立ち上がるみたいな、そういう嗅覚的なものって過去の経験としてあるんですか?
石川:多分「このテーマは誰もやってないから自分が取り組もう」とか「これは誰も調べてないから自分が調べよう」とか、そういうふうに思って写真集をまとめたりしてきたことはありました。ヒマラヤに関しては遠征自体が旅として本当に面白いんですが、それだけで続けていくにはモチベーションが難しい部分もあって。あと、14 の山に登るっていうのは過去にいろいろやった人がいるわけだから、自分が新しくやる意味を最初は見いだせなかったわけですけれど、でも前述した若いシェルパたちの存在によって、「これはまだ誰も伝えてないだろうし、そういうシェルパのあり方についてきちんと伝えていくべきだ」っていう気持ちが強く湧き上がって。彼らと一緒に山に登ることが、僕の中でブワッと立ち上がったっていう感じですね。いままでもそういうのはあったと思うけど、もっと強かったというか、具体的だった感じはありますね。
村松:そこから、当時は想像しえなかった物語に巻き込まれた数年間って感じですよね。
石川:そうですね。全然先はもちろん見えなかったし、何が起こるかも、もちろんわかんないまま並走していたわけで。でも、予想できないからこそすごく面白かったし。結果が分かりきっていたらあまり面白くないんだけど、いろんな出来事があって、出会いもあれば別れもあって。そういうのは全く予想もしていなかったですからね。
村松:結果的に、撮りたいものを追うために、いわゆる生死を分けるような過酷な高所登山に、取り憑かれたように取り組んでいく数年間だったと思います。リスクに対してどう考えていたのか聞きたいですし、そもそも本当にそれを撮影したいっていうモチベーションだけで、準備含めて向き合えていたのかっていうと、どうなんですか。
石川:他の旅と違って 8,000m峰の登山って偶然の要素がものすごくあって。どんなに雪崩が起きないような時間帯や、雪が締まっている深夜の時間帯に登っても、雪崩は起きる時は起きるし。落石が起きにくい斜面を選んでも、落石が起きる時もあるし。本当にピンポン球ぐらいのちっちゃな落石でもヘルメットを貫通しちゃいますからね。偶然の要素がものすごく大きいので、もちろんその分リスクは大きくあるし、リスクがゼロになることは全くないので。それで「行かない」っていう選択肢は自分の中になかったですね。偶然なんだから仕方ない、みたいな感じでしたね。
村松:そこの行動を支えているのは、記録したい、撮りたいっていうことなんですか?
石川:そうですね。山の麓から頂上に至るまで、やっぱ 8,000m峰の 14 座を登りながら撮影してきた人は今までいなかったので、だったら写真を生業にしている以上は自分がそれをやろう、みたいな。誰もやったことないことや、見たことがないもの。そういうものだからこそ自分がやろう、みたいな気持ちになっていく。8,000m峰に登る、登頂する、ということだけやってきた人はいるわけだけど、写真を撮って記録していく、しかもフィルムの古いカメラを使って記録していく人は誰もいなかったから「じゃあ自分がやりたい」っていう気持ちですかね。


村松:結果、新世代のシェルパを追いかけて、一旦撮り切ったというか、撮り切ってないかもしれないですけど……。何が撮れたと思いますか。
石川:ヒマラヤの新しい時代の扉が開いたその瞬間、新しい時代の幕開けみたいなものに、確実に立ち会ったっていう気持ちはあります。そういう事実をつぶさに写真に撮って積み上げてきた実感はありますね。
シシャパンマでは、ミンマGが無酸素で14座に登頂するその瞬間や、ニルマル・プルジャもそうだし、無酸素でネパール人が14 座すべてに初めて登頂したその瞬間ですよね。あとは、自分の仲間だったダワ・ギャルジェっていうシェルパも14座すべてを登頂しましたし、アメリカ人女性初の14座登頂となったトレイシーっていう女性も完登しました。あとはパキスタン人初の 14 座登頂をサルバースが成し遂げました。それぞれの国や民族で画期的なことを成し遂げる寸前の登山者たちが自分の隊に集まっていて、全部シシャパンマの頂上でそれぞれの旅が完結させていったわけです。その瞬間に僕は全て立ち会っていたわけだから、そんなことができたジャーナリストもライターもいないし、もちろん写真家もいないわけで。僕は写真で記録しながら「これはもう文章でもきちんと書き残さなきゃいけない」っていう気持ちで、『最後の山』という本を書きました。

昔も今も、これからも変わらない。ひたすら続けていく。
村松:2001年の 23 歳の時にエベレスト登頂してから、石川さん自身が 14 座を登頂しきるまでは 25 年ぐらいかけてそれを終えたっていうところではありますけど。 これからの活動について少し伺えたらと思います。いまはどんなことを考えていますか?
石川:1994年のぼくが高校2年生の時に初めてネパールとインドに行って、ネパールでヒマラヤを見た丘があるんですが、そこに立ってみたくて、もう 1 回ネパールに行きます。2026年からは、ザ・ノース・フェイスが企画するヒマラヤの 8,000m 峰を見に行くツアーのガイドをさせてもらえることになったので、ネパールとかパキスタンとかチベットに、この 2~3 年また通うようになるでしょう。
そういう細かい具体的な旅はあるけれど、昔と変わらず自分の知らない世界に出会って、それを写真に撮って、時には文章に記していくっていう活動をこれからもひたすら続けていくだけですよね。だって 17 歳の時から同じことをやっているから。14 座を終えたからって、劇的に生活が変わるとかっていうこともないし、山に登っていない時だって、自分なりの興味を見つけて、関心を見つけて、例えば日本だったら半島を巡って撮影したりとか、いろんなことをしてるわけで、そういうのをまたずっと続けていくだけですよね。

村松:最近見つけた新しいトピックとかテーマはあるんですか?
石川:アラスカで新しいプロジェクトをやっていますし、あとは日本列島の半島ですね。ずっと島を巡ることはライフワークだったんですけど、今は半島を旅しています。知床半島や能登半島とか、大分県の国東半島などのほかに、いま巡っているのは島根半島や伊勢志摩半島なんですけど。いま、陸路が最優先になった交通網があって、クルマとかだと半島の先っちょっていうのは行き止まりだし、一番行きにくい場所なんだけど、海の移動の視点で考えると、半島は入り口になっている。そういう視点で日本列島を捉え直してみるっていう意味で、各地の半島のフィールドワークなどは、まだずっと続いていくと思いますね。
村松:かつて航路が開いていた時代の名残とか、歴史があったり、そういう面白さですかね?
石川:そうですね。陸路の視点だとどん詰まりで過疎化が進む場所も、北前船が通っていた時代っていうのは、栄えていた。むしろ陸路で山を越えたりする方がよっぽど行きにくい。海で海岸沿いが繋がっていたわけで。やっぱりそこからいろんなものや人が入り込んだ最先端の場所だったわけです。そこに蓄積した歴史とか文化とか時間の痕跡を、写真で探っていこうみたいなのが半島シリーズですね。
村松:面白いですね〜。そろそろお時間なので、今週はここまでで。後編(Podcastのみでお届けします)は、まさにいまの話の延長で、“石川直樹と移動”みたいなことをテーマにお届けできたらなと思っています。
石川:ありがとうございました。
石川直樹 (いしかわ なおき)
1977年東京生まれ。 写真家。 東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。 人類学・民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら作品を発表し続ける。8,000m峰14座全てを撮影すべく、ネパール、パキスタンに通い、2024年10月に登頂したシシャパンマで14座の登頂を果たす。
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Photo by noru journal