column
スキルを共有し渡していく、詩の教室
生徒の成長を見て再認識した、詩の力
村松:本日のゲストは、引き続き詩人のウチダゴウさんにお越しいただいています。 前編では、イベント『くるまさいこう』を起点にしながら、クルマと人の豊かな関係についてお話ししました。後編ではゴウさんの生業である詩について、お話を聞いていけたらと思います。よろしくお願いします。

アトリエ兼自宅
ウチダ:お願いします。
村松:ということで、引き続きイベント会場のゴウさんのアトリエ兼ご自宅のリビングで、涼みながら収録をしております。まさにイベントも終わった直後で、暑かったですね。
ウチダ:暑かった。そして涼しい今(笑)。
村松:灼熱でございましたけど。さてさて、ゴウさんは数年前に、noru journalのPEOPLEという、愛車スナップの連載に出ていただいていおります。その際に“詩とクルマの共通点はそれひとつで遠くへ行けること” と、なかなか名言的な話をいただきましたけども、覚えてますか?
ウチダ:覚えています。
村松:これはなんぞや、というところを覚えているようでしたら、説明いただけたらなと。
ウチダ:そう言ったことは覚えている。なんかめっちゃいいこと言ってるなと思って(笑)。まあ、でも結構そのままだけどな。みんな言うかもしれないけど、自分の空間でそのままいけるじゃないですか。それひとつでどこでも行けるというか、みんなで何時間かかるから行けないとかって言うけど、行けますよね。で、詩はもっといけるというか。時空超えられちゃうし、なんなら知らないこととか、どこも行けちゃうわけで。正しいか正しくないかの外側に結構詩があるので。まあ、何でもOKな世界というか。
村松:なるほど。
ウチダ:どこでも行けちゃう。しかも言葉ひとつなので、めっちゃいいじゃんっていう感じですね(笑)。
村松:今ね、めちゃくちゃゴウさんの可愛いワンちゃんに腕をなめられております。
ウチダ:(笑)


村松:もしリスナーの方がなんかペロペロ音がするなって思ったらそういうことなんだなって、想像しながら聞いていただきたいんですけど(笑)。
ウチダ:塩分、塩分じゃないですか?(笑)。
村松:塩分ですね(笑)。確実に今僕の腕の塩分を……。はいはいはい、落ち着きましたね。
ウチダ:(笑)。

村松:ゴウさんの詩に関わる活動は多岐にわたっていますけども、詩を通してどこを目指して、どこに向かっている、みたいなことで言うとどうですか?
ウチダ:どこを目指しているか…。単純に、やっていることを楽しんでるんですよね。でも、身近にいる人とかが楽しくないと僕も楽しくないから。じゃあ、みんな楽しくなるようにしたいっていうのもあるかな。そこまで常に念頭に置いてやってるわけではないけど、詩の教室やったり、朗読ライブであちこち回ったりして、その詩の向こう側に人がいる状況を作りたい、と思って詩に接してると、やっぱ詩って、それに関わる人をすごく自由にさせてくれるもの。それも言葉ひとつでっていうのは結構キーかなと思います。色々やらずに言葉だけでこんなにいけちゃうっていう。特にそういうのを求めてる人は、もっと自由になってもらいたいな。僕はそれも見たいし、逆に特定の何かに縛られてたり、本人はそこで楽しんでいるつもりだけど、実際には窮屈だったりとかっていうのを見ていると、僕がなんかイライラしてくるので(笑)。もっと世界は広いし、何が正しいかっていうのも決まってないし。
村松:うん。
ウチダ:そこにもっとみんなスッポンポンでいけちゃえば、そういう世界見たいな、みたいなのがある。それをある人は、仕組みとかお金とかで大きく動かしていったりするけど、それを言葉でやるっていう。すごくミニマムなものでできたらやばいね、かっこいいね、楽しいねっていうのが僕の中にはあるんですかね。
村松:そういう考えであったり、詩の力、可能性っていうのは、人生の中でずいぶんゴウさんは長いこと書かれてきていると思うんですけど、ずっと持っているものなんですか? それともどこかの時点でそれに気づいたりするんですか?
ウチダ:うーん、結構最近な感じがします。
村松:お〜、そうなんですね。
ウチダ:うん(笑)。長くやってきて、本当に詩っぽいものを書き始めたっていうと、多分中学生ぐらいだと思います。中高でなんとなく書いてきて、大学でちょっと人前で読むのもやり始めて。その時はなんでやっていたのかよくわかんないですね。で、卒業してこれでやっていこうって決めても、まだその時はなかったですね。松本から安曇野に来て、ここができた時に、詩の教室も始めて。初めて自分が今まで自分の中で育ててきた感覚や、スキルっていうのを1人で持っていても、なんかちょっと先がなさそうだなと思って。ただ、1人でやってきた分それを渡すのは怖かったんだけど、共有できるリソースとしてシェアしていかないと、なんとなく僕に先はないんじゃないか、みたいなのをちょっと思って詩の教室を始めたんですよ。で、生徒さんの成長の様子とかを見てたら、結構詩って、救うね。やるんじゃん詩、みたいな感じですね(笑)。

村松:例えばどういう変化だったりするんですか?
ウチダ:例えば、通いたいですって希望を伝えてくれた時に、「僕語彙力がなくて」というところを気にしてた人が、今や毎月自分で小さい朗読会を企画して、定員5人で2人しか来ない時もあるけど、毎月やったりとかして。
村松:その生徒さんが? え〜すごいですね。
ウチダ:「自分、語彙力ないんで……」とかって言った人が、なんかすごいやってるな〜って(笑)。書いたものを、こんなのどうにもなってないだろうって思っていても、それでも書いたものに対して、ここは面白いじゃんとか、ここをもっとこうしたほうが読んだ人楽しいんじゃない? とか、ちょっと意味わかんないけど、どういうこと書きたかったの? って聞いて説明する。説明している中に、彼や彼女の思いや考えとかがあって、それ、もっとこう書けばいいんじゃない? とかってやっていくと、ベタな言い方だけど、自己肯定感みたいなのが増す。なんかそれが多分段々、内側から太くなっていく感じを見て、表情も外にパーッと開いていくし。それがゆっくりなペースの人もいたり、進んで2歩下がって、みたいな人もいる。トントントントンっていく人もいるし、なんか面白いね。
村松:へ〜。言葉にするとか、言葉に出すって、確かにゴウさんが言ってたみたいに、自分の輪郭がちょっと出てきたりする行為のひとつのような気もします。詩を書くとか、日記を書くでも、言葉にする行為って、生徒さんたちを見てて、ゴウさんとしてはどういうことだと思いますか?
ウチダ:まあ、僕はそればっかりやってるからな(笑)。みんなやればいいのにとは思ってますけどね。

ウチダ:まあ、例えばよくある話だと思うんですけど、思っていることがあってそれが100%だとすると、言葉で表現した時に80%になったり、60%になったり、30%になったりするっていわれるじゃないですか。だから言葉って難しい。当然そうだと思うんだけど、でも言葉にしないとわかんないんですよね。自分が今悲しんでいることを自分なりに言ってみたけど、自分が感じている100%の悲しみが、言ってみたら70しか表現できてないなっていうのは、言葉にしないと分からないんですよ。 で、これはしないと、無いんですよね。しかも、70%言葉にできたっていうより30%できなかった、ってことが伝わるじゃないですか。だからやっぱりした方がいいよね。していくと、じゃあ30%、どうしたら25%にできるんだろうというトライアンドエラーが分かるわけですよね。トライしないとエラーが分かんないから、もう何も進まないです。やった方がいいねって思いますね。
村松:確かに。なんか今の話を聞いていると、僕らもかつては子供で、言葉をうまく操れなかった時もありますけど、ある地点からは、そのトライアンドエラーはやらないじゃないですか。まあ、もしかしたらやっているかもしれないし、それは社会に出たり、自分のライフステージの中で言葉を変えなきゃいけないフェーズやタイミングってあると思うので、やっているような気もするんですけど。どこかでそれを終えているような感覚にも錯覚はする。

ウチダ:マスターしている気でいるというか。
村松:そうそうそう。やり続けなきゃいけないないことだったんだなって、今聞きながらすごい思いました。
ウチダ:あとはよく詩の教室でも話すけど、僕らが普段使ってる言葉って、情報処理だと思うんですよ。で、詩の言葉は情報化の言葉なんですよね。
村松:面白いですね(笑)。
ウチダ:(笑)。そう、やっぱり情報化の言葉をやっていくと良いと思いますね。処理っていうのは、なにか楽しい体験したらその経験を“楽しい”って箱に入れる、処理をする、整理整頓するわけですよね。詩の場合は、あの楽しさをなんて言ったら面白いかなとか、僕が今感じている“楽しい”が再現できるかなって。“楽しい”だけにしちゃうとつまんないし足りない。だから別のことで言おうっていうのが、情報化ですね(笑)。
村松:うん、めっちゃわかりますね。確かにきっと“楽しい”一言でも、もちろん良い悪いじゃないんでしょうけど、ただこぼれ落ちる何かがそこにはあって。
ウチダ:言葉にするとなかなか全部表現できなくてっていうのは、やっぱり情報処理の言葉だけになっちゃうからだと思いますよね。なんて言おうって考える時間とか、エネルギーをそこに割くことが大人になればなるほどしづらくなるので、なかなかみんなやらない(笑)。
“生活も仕事も遠ざけなかった”詩人
暮らしの中にある、書くことへの向き合い方
村松:なるほどなぁ。ゴウさんの著作『鬼は逃げる』という詩集の巻頭で、絵本作家の梨木香歩さんが寄稿されている文章がすごい素敵だなと思って、また読み直してきたんですけど。その中で“ウチダさんは生活も仕事も遠ざけなかった”というフレーズがすごい印象に残っています。これが僕にとってなんで印象に残っているかというと、今の話と通ずるんですけど、僕らが仕事をしたり、社会に出たり、家庭で子育てしたり、日々揉まれていくと、詩と共に生活するとか、そこに向き合う、継続するのは大変だっていうのはなんか想像できる。けども、ゴウさんは何十年もそれをやり続けているし、今おっしゃったようにそれをやることはすごく良いことであると話されていて、梨木さんも言葉は違うけどそういうことを書いているなっていうふうに思いました。

引用:してきなしごと (詩集『鬼は逃げる』/ 三輪舎 著:ウチダゴウ)
ウチダ:まさに、ですね。大変ですよ。本当に(笑)。詩の教室の生徒さんで昨年末卒業した人がいるんです。僕からしなよ、ってさせたんですけど。だから、月1で来るんですけど今彼は来てなくて、来ないとやっぱり書くの大変って言ってましたね。来るっていうのが決まっているからそこまでに書かなきゃというのがないと、自主的にその精神状態に持っていかなきゃいけないし、時間も取らなきゃいけないし、でもやらなきゃいけないこととか、やった方がいいことっていっぱいあるので。大変ですね。
村松:そうですよね。僕もね、ここ何年か日記をつけるのをライフワークにしたいなと思って、やってないですけど。
ウチダ:あっ、やってないんだ。
村松:やってないですけど(笑)。でも僕、学生時代は文芸学科にいたので、定期的に文章を書いていました。学生というスタンスの日常だったんで、何ヶ月続いていたか分かんないですけど、1日1個詩を書くのを個人的にやってたこともあって。その当時のことをちょっと久々に思い出したりしました。今でこそああいう時間や時間の作り方、向き合い方、スピードを緩めて立ち止まらないといけない、みたいなのがほしいなあ。あったらきっと良いっていうのは分かっていながら、なかなか作れてないなってのはありますね。
ウチダ:まあ、最優先にすればいいですよ。
村松:本当ですよね(笑)。
ウチダ:(笑)。なんか仕事の依頼とかあっても「あ、ちょっとすいません。この日は詩を書かなきゃいけないんで」って(笑)。
村松:(笑)
ウチダ:でも、それぐらいしないと多分難しいだろうなって思いますね。片手間ではなかなか難しいと思ってます。
村松:でもそれをずっとやられてるんですもんね。
ウチダ:それもあって生業にしようという感じですね。サイドじゃ無理かなって。やるならど真ん中じゃないと続かないだろうな。

村松:なるほど。書く時間とか決めているんですか?
ウチダ:いや、決めてないです。書こうって思った時ですね。それでいうとクルマを運転している時は結構思い浮かぶ。結構いいですね。なんか書こうと思った時、ちょっと運転するかって。
村松:そうですよね。僕も原稿を書こうかなっていう時、結構ランニング行ったりします。移動しながら。
ウチダ:結構向きますね。向いているなと思います。
村松:ゴウさんは、詩をあの手この手で色々社会に出していて、日常に届けていくということを、おそらくかなりの振り幅でやっているなって思うんですけど。詩を拡張していく中で、固定概念が邪魔になったりとか迷ったりっていうのはないんですか?
ウチダ:あんまり……、あるかな? ない気がするけどなぁ……。詩って、これが詩ですっていうのがないんですよね。俳句だったらあるじゃないですか五七五で季語があってみたいな。長さも関係ないし、何でもいいんですよね。ただ、だから読んだ時に、ああ、詩だなあって思えるものですよね(笑)。それを書けばいいだけなので。
村松:(笑)
ウチダ:詩っていうと、みんながイメージするのは文章じゃないですかね。言葉がいっぱい並んだ、あれじゃなきゃ詩じゃない。だけど、例えば僕の場合だったら、自分のアトリエ〈してきなしごと〉からTシャツ作ったりとかして、その詩はないじゃんみたいな。でも、そこは詩を書くときの切り口とか、視座とかっていうのを使っているとか。屁理屈っちゃ屁理屈みたいな感じがするけど、でもそこは通じるなぁと思うし。


ウチダ:海外行った時に、センスオブポエトリー、“詩的感性”というワードが、確か、建築の紹介文に書かれたんですよ。建築家の詩的感性で、こういう造形になっているっていう説明だったと思うんですけど、結構なるほどと思ったんですね。だから詩っていうのは、多分分業化が進んでいって、芸術分野の人が映画監督だったり、劇作家だったり、いろいろ仕事になったけど、もともとはそのクリエイティブの元の感性みたいなのが、多分全部“詩的感性”だと思うんですよ。だから詩って、そこなんだと思うんですよね。言葉で出したらポエムだけど、ちょっと変えたらアパレルだったり、庭だったり、暮らし方でもいいかもしれないし、音楽でもできるだろうし。ってなると何でもできるので。
村松:記事の方では、いくつか写真付きで紹介したいと思ってますけど、ビールだとか、ワインだとか、ファッションブランドに、ラーメン屋みたいなところだとか、と詩人が手を取り合って、何かしら商品出したり、空間に落とし込んだりされてますよね。そういう時に今みたいな視点で考えたりしてるんでしょうね。

引用:してきなしごと/山の上ニューい:yohobrewing.com

引用:してきなしごと/の音WINEs:nootowines.jp

引用:してきなしごと (長野県松本市のラーメン店・とり麺や五色と、周年記念として詩とのコラボレーションを企画)
ウチダ:まあ、そうですね。他の人がどうだかわかんないけど、僕はどれだけ解釈を自由にできるかっていうのがキーだと思うの。ラーメンと詩!? みたいな感じゃないですか。合う?それ、みたいな。そこに可能性があるので、どうしたら合うとか、そもそも合うってなんだよとか、うるせえでもいいなと思うし。
村松:(笑)
ウチダ:なんか、なんでも合うとは思いますけどね。
村松:オファー来て思ってもなかったところから、ボール飛んできたらしてやったりって感じですよね。
ウチダ:そうですね。だから逆に仕事の依頼とかで、結構多いと思うんですけど、詩って何故だかわかんないけど、かなり丁重に扱われる。
村松:うん、なんかそういう印象ありますよね。
ウチダ:それが一番詩にとっては悲しいかな。すごく自由で奔放なキャラクターなので、そんなに祭り上げられると窮屈かなーっていう気がしますね。だからラーメンとかビールとかとやってる方が、詩にとっては、ああ〜空気吸えたみたいな感じがするなって僕は思いますね(笑)。
村松:確かに、そういう部分では僕はウチダゴウに、詩というもののある種の殻みたいな、固定概念を破ってもらった感じはあるかもしれないですね。勝手に破かれていたっていうか。
ウチダ:まあクルマもね。詩とクルマっていかないよねっていう感じなので(笑)。
村松:詩はある種、少しこそばゆいような感覚もあったし、一方ですごく崇高なものっていうような感覚もあった。なんとなくそんな印象を持ちながら育ってきてはいるけれども、僕も長野県民で、ゴウさんも長野で。長野だと、多分違う町よりはゴウさんの詩に触れる機会が多いこともあって。そのカジュアルさだったり、一部カルチャー的な要素があったりとか、すごい自由で。何にでもくっつけられるものなんだろうっていう感覚が、今の僕にはあります。
ウチダ:うん。何が詩かっていうのがすごく曖昧なのが詩なので。マジョリティーになったらそれが詩になるかなって感じがして。かっこいいこと言うわけじゃないけど、何が詩かを作っちゃえばいいじゃんみたいな気がしますね(笑)。
村松:長いことやっていくと、自分の言葉が型にはまってきたり、狭い、窮屈になったりする時ってあるんですか?
ウチダ:今のところないね。一編ずつ誰も書いてない詩を書こうって思うんで。その“誰も”の一番の筆頭株は僕なんですよね。僕が書いたことないやつ書こうと思ってる。こういうテーマのこういう感じで書いてみようかなとか、ってやっているから、今のところあんまりないな。わかんない、年もっと重ねていったらもうない! ってなるかもしれないですけど。
村松:ぜひ、前編聞いてない方は、ゴウさんの詩に対するスタンスや、詩を通して社会に何を届けようとしているか、みたいなことを話していただいているので、この後聞いてみてください。
先ほど、詩の教室の話で定期的に生徒さんに何かを教えられていると思うんですけど、詩の書き方を教えているんですか? (笑)。詩って自由だよっていう時に、何を一番に伝えているんですか?
ウチダ:やり方としては習い事と一緒で、ピアノだったら練習してきて教室で披露して指摘をもらうじゃないですか。それと似たようなスタイルで、書いてきたものをここで読ませてもらって、指摘していくという感じ。僕の詩じゃないので、僕はこうしたらいいなぁって思うけど、その人がそうしたいかどうか分からないから。一応僕がこの詩を書く人だったら、こういうアイデアが思い浮かぶなとか、もっとこうしたいなって思うけど、どう?とか。ここは何を言いたかったのか、読んでちょっと曖昧だったりしたら、聞いて、それ書けてるかな〜? みたいな。

村松:面白いなぁ〜。なるほど。だからきっとみんなが遠くに行くわけじゃないかもしれないけど、その人が向かう先を広げてあげたり、遠くに行かせてあげる手助けみたいなもの。
ウチダ:僕が答え持っていて、いや、そうじゃなくてこれが答えだよっていうよりは、伴走みたいな感じですね。並走して、こっち行きたかったの?本当に? みたいな。例えばこの詩、途中までこうだったけど、後半から最後にいくにしたがってすごいセンチメンタルで終わるけど、そういう感じで終わりたかったの? これ、みたいな。いや、本当はもっともうちょっと明るいトーンで終わりたかったんですよねって言われたら、だったらここかな〜? とか。これはこれでいいかもしれないけど、そうならこうかもねとか。で、そのアドバイスを受けて、また書き直してきたり。でも来月書き直せなかったから、新しいの持ってきたりみたいな。
村松:ちょっとカウンセリングじゃないけど、その人の根っこの部分や内側にあるものが言葉みたいな記号で表現されている。
ウチダ:そうだね。こういうやり取りをしていると、そこまで書きたかった感情とか風景とかを観察できてなかったこと、聞かれたことに対しては結構曖昧だったことに、ここで自分で気づいちゃうんですよね。
村松:いい気づきですね。
ウチダ:そう。単純にいい詩を書こうと思ってやっていくと、どんどんそこが深くなっていくので、自分の輪郭がはっきりしてくる。で、そうなった時に新しいものを出したら結構いいのができてきたりする。それが本人にとっても気持ちよくなってきて、気づくと人変わってる! みたいな感じです。
村松:へ〜!
ウチダ:それが見ていて面白くて。おお〜っ面白い! と思いますね(笑)。
村松:なるほどね〜。やっぱり外に出しているんでしょうね。自分の中のものを。
ウチダ:そうですね。僕が多分そうさせようとすごく思ってるわけじゃないけど、原型これなのにこうなんだけど、隠すなよ〜出せよ〜みたいな(笑)。なんでかっこつけてんだよって。正体を明らかにしたいというか。それで全然かっこいいのにって。これもやっぱり、自分で書いてて、いやダメだなって思っても、書いて持ってこないと始まらないじゃないですか。 言葉にする、書くって大事ねって思いますね(笑)。
村松:そうですよね。
ウチダ:やらなかったら始まらないしな〜。例えば家庭内とか仕事場とかでも、直接的じゃないかもしれないけど、結構いい影響出てくるんじゃないかなと思うし。
村松:うん、思いますね。
ウチダ:例えばメディアで流れている言葉が違って聞こえてきたりとか、今までスルーだったけど、ん!? と思ったりとか(笑)。
村松:いや、いいですね。
最後に、今の話って、自分の中の何かを外に出す、言葉にして出すという行為の話だと思うんです。かたや詩人として詩を出してそれをみんなに届けていったりするわけじゃないですか。ゴウさん自身もそういう意味では、中にあるものを外に出してるんでしょうけど、でも多分、創作活動の中でゴウさんがやっていることは、今の話とはちょっと違いますよね? ゴウさん自身の中のものは出しているんでしょうけど、前編で話していただいたように、ゴウさんは詩を通して、世の中をこう見たら景色が変わるだとか、この切り口だと風通し良くなるだとか、仕掛けていますよね。
ウチダ:うん。自己表現って言葉あるじゃないですか。自分の思っていることを表現しようっていうのは、自己表現だと思うんですけど。例えばこのテーマで詩を書いてください、このアジサイをテーマに詩を書いてくださいって言って、例えば40歳の人が書いたら、40年の“その人臭”みたいなものがそこかしこに、匂っちゃうわけですよね。それでもう、しっかり自己表現だと思うんですよ。だから、俺を伝えようってしなくても、もう出ちゃってるもので、十分自己表現になってるから、あんまりこれを言おう! でやらなくてもいいと思うんですよね。だから結果ビールの詩書いてください、クルマの企画の詩書いてくださいって与えられたテーマで書いても、テイストもトーンも全然違ったりしてもどっかやっぱり、あ、ウチダゴウの詩だなってなるのは、僕が書いてるからですね。
村松:なるほど〜。
ウチダ:生徒さんの詩もやっぱりそんな感じ。 本人は気づいてないけど、こっちから見てると“あ〜やっぱなになにさんの詩だなあ”って思いますね(笑)。
村松:へ〜。それは、言葉を磨くだとか訓練をするみたいなことって、もう感覚として基本あんまないんですか?

ウチダ:あまり、そういうのはないかな。今はあんまりやらないけど、若い時だと、例えば店の名前とか、なんか企画名、商品名とかを考えるときに、どうしてもなんとかとA・Bで組み合わせる際に関連しているワードをくっつけちゃったりするんですよね。全く関連してないワードをつけるって結構難しいんですよ。あんまり思いつかなかったりして。そういうのは結構考えたり、練習みたいなことしてましたね。もう僕の遊びになってますけど、その場で全く関係ないセリフを急に言うとか。
村松:暮らしの中で? それ家族びっくりですね。
ウチダ:びっくり(笑)。みんながびっくりすることを言う。関係あるときもありますけど。結構よくこのテーマで話すときに例で出すんですけど、例えば妻とどっか行った時に昼食べるじゃないですか、で食べ終わって「何食べる?」って(笑)。
村松:(笑) それ何に仕掛けているんですか(笑)?
ウチダ:本当にえ? え? って。ちょっとその世界がえーってなるのが見たいっていう僕の天邪鬼な感じですね。
村松:なるほど。ええ〜、全然まだまだ終われなくなっちゃったな(笑)。
ウチダ:(笑)。それも詩で結構使えますね。この流れだと、こういうストーリーを次の1行、次の1行って想像するところに違うものを ポーンって投げたときにえっ? ってなったり。でも僕はそういうことをやるから、来るだろうと思ったら、普通に来たりとか。ゲームですね。
村松:前編でもお話しいただいたみたいに、ゴウさんって詩を伝える中で、世の中の見方を変えるだとか、今の人生の風向きを変えるとか、そうやって言葉や詩を通して受け手の人たちを立ち止まらせたり、少し立ち位置を変えたり、みたいなことを仕掛けてるのかなって思っています。そもそも詩にそういう力があるとか、今お話しいただいたように、言葉遊びの中で空間を揺らす、ゆがませるとか、そういう力があるっていつ気づいたんですか?
ウチダ:ええ〜いつだろう。まあ…でもそれは大学卒業する前後じゃないですかね。
村松:へ〜なるほどな、面白いな。全然移動でも旅でもないですけれど、面白いな (笑)。
ウチダ:(笑)
村松:いやいやいや……。『くるまさいこう』のイベント終わりにこんな話をさせてもらって、面白かったですね。
ウチダ:ありがとうございます。
村松:こんな日もございます。リスナーの皆さんも、楽しかったと思います。隔週更新ですけど2週にわたってありがとうございました!
ウチダ:ありがとうございます。
村松:さあ帰りましょう!(笑)。 ありがとうございました~
ウチダ:(笑)


ウチダ ゴウ (詩人・グラフィックデザイナー)
1983年生まれ。立教大学法学部卒。詩とデザインのアトリエ〈してきなしごと〉代表。詩人としての活動は、執筆・出版だけでなく、商品コンセプトや企業理念の詩執筆、店舗ディスプレイとしての詩のハンドライティングなど多岐に渡る。グラフィックデザイナーとして、詩的感性に由来したグラフィックデザインを手がける。全国各地で個展・朗読会を開催、出演。近年は英国・スコットランドを度々訪ね、現地での執筆・朗読・個展活動を行っている。またギャラリーを運営し、さまざまなアーティストや作家の作品紹介にも力を入れている。雑誌『nice things.』に2025年春まで詩を連載。詩集に『空き地の勝手』『原野の返事』(してきなしごと)、『鬼は逃げる』(三輪舎)など。絵本『せんめんじょできっちんで』(文ウチダゴウ、絵ザ・キャビンカンパニー、発行ブルーシープ)が7/10に刊行されたばかり。
HP:shitekinashigoto.com
Instagram:@shitekinashigoto
photo by Moe Kurita