Column2026.05.08NEW [PROMOTION]

Prologue – なぜ、今サイクリストなのか

新連載「Bicycle as Freedom」では、サイクリストという存在を手がかりに「自由」と「移動」の関係をあらためて見つめていきます。はじまりにあたって、編集長・村松によるプロローグをお届けします。

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日々、僕はクルマや新幹線に身を預けて移動している。

目的地へ速く、正確に運ばれることに慣れるほど、「自分の力で進む」という感覚はどこか遠のいていく。そんな日常のなかで、街を軽やかに駆け抜けていくサイクリストの姿に、ふと目を奪われることがある。自分の身体でペダルを踏み、風を受けながら進む。“雨の日も風の日も”という姿勢に、憧れにも似た感情を抱くのだ。

考えてみれば、自転車とは「歩く」という行為と「機械」を結びつけた、最初期のテクノロジーのひとつだった。そのシンプルな構造のなかには、“自ら進む”という感覚の原型があるのかもしれない。そしてそこには、移動の原点のようなものが息づいている。

僕自身、日々のランニングには、そうした感覚を取り戻したいという意識がどこかにある——なんて言うと少し格好がつきすぎるが。それでも、自転車で移動する人たちには、もう一歩先の自由があるように見える。移動そのものがより主体的で、風景との関係にも手触りがある。きっと彼らにとって、風景はもっと近いものなのだろう。クルマや新幹線の車窓から眺めるそれとは、どこか質が異なる。

サイクリストのためのアパレルブランドとして、都市と自然、機能と感性を横断してきたnarifuriもまた、そうした自由のあり方を体現してきた存在だと思う。

「ペダルで進む」ということは、単なる移動手段ではなく、日々を自らの手で切り開いていく行為なのではないか——。

あくまで仮説ではあるが、この連載ではnarifuriとともに、その感覚の正体を探りながら、「自由」と「モビリティ」の新しい関係を見つめていきたい。

新連載のタイトルは「Bicycle as Freedom ペダルが描いた自由の地図 by narifuri」。体裁としては、コラムと人物スナップを交互に発信していく。コラムの書き手には、自転車ジャーナリストの小俣雄風太さんを迎えた。フリーで自転車にまつわる編集・執筆・実況を手がける、古くからの友人でもある。スナップには、このコラムと呼応するサイクリストたちが登場する予定だ。

これからの更新をお楽しみに。

 

visual by Hikari Tamahashi / edit&text by Ryo Muramatsu / promotion by narifuri

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