「定点で観察すること」の解像感
Story2026.04.17

「定点で観察すること」の解像感

前田景

北海道・美瑛町の丘のふもとに建つ『拓真館』は、風景写真家・前田真三が1987年に開いたフォトギャラリーだ。日本各地を歩き、「出合の瞬間」を求めてシャッターを切り続けた真三が、最後に活動の拠点として選んだ土地が美瑛だった。

その『拓真館』を三代目として受け継ぎ、家族とともに東京から美瑛町に移住したのが、アートディレクターであり写真家でもある前田景だ。祖父のように全国を巡って写真を撮るのではなく、ひとつの土地にとどまり、同じ丘を定点で観察し続けている。

真っ白な冬から短い春夏秋をくり返す美瑛で、季節に追いかけられるように暮らし育まれていく、風景と時間の“解像感”について話を聞いた。

季節に追いかけられる暮らし

2020年に家族とともに美瑛へ移り住んでから、前田景の時間の単位は“季節”に変わった。

東京で暮らしていた頃は、締め切りや電車の時刻といった”時間”に追われていたはずの生活が、今は雪どけの音や畑の色づきなど、季節に背中を押される毎日になった。

12月から3月まで、町はほとんど真っ白な世界に覆われる。彼自身、「春の小川」という言葉の意味を、雪国で暮らすまでちゃんと理解していなかったと話す。雪が解けて川に水が流れはじめる音、屋根からぽたぽたと雫が落ちる気配、新芽が顔を出す順番。そうした音や匂いによって、暦よりも早く春の訪れを知るようになった。

現在は改装中の『拓真館』。

四季は毎年繰り返されるはずなのに、冬のあいだに夏の色も匂いもきれいさっぱり忘れてしまう。でもだからこそ、初めて見るかのように驚き、また同じ風景に心を揺さぶられる。「忘れるから、毎年ちゃんと感動できる」と言うのだ。

定点にとどまることは、ひとつの景色を細かく覚え込んでいくことではなく、むしろ「忘れては驚き直す」リセットの反復なのかもしれない。


冬の美瑛。撮影:前田景

「風景写真は出合いの瞬間が大切」

前田景の祖父・前田真三は、日本の風景写真を語るうえで欠かせない存在だ。全国の里山の風景を撮り続け、やがて北海道・美瑛の丘と出合った。戦後は商社マンとして働きながら写真を学び、のちに写真事務所「丹溪」を設立。「風景写真は出合いの瞬間が大切」と語り、その一瞬の感動を写すことに生涯を捧げた。

真三が好んで使った言葉に、印象的なフレーズがある。

「風景はただ眺めていても、見えてはこない。積極的に風景に働きかけて、はじめて見えてくる」

だからこそ彼は、一カ所に留まって光を待つのではなく、自ら歩き、心が動いた瞬間にシャッターを切った。その姿勢は、山用語の“出合”に由来する写真集タイトル『出合の瞬間』にも凝縮されている。

美瑛という場所は、そのスタイルにぴたりとはまる土地だったのかと想像できる。なだらかな丘陵には起伏があり、畑をはさんで手前・中景・遠景のレイヤーが生まれる。振り返れば十勝岳連峰の山々が、季節と標高の差によってふもととは違う表情を見せる。同じ日でも、平地は夏の色を帯びていて、山には雪が残る。天気もまた一日で何度も変わり、晴れから雪、雪から霧、ときには虹へと移ろう。

真三がそこに見ていたものを、こう表している。

「それは、ひとことでいえば調和の風景と言えるだろう。人と自然の調和、地形と樹木の調和、そしてまた風景とそれを見る人との調和でもあった」

畑をつくる人の営みと、火山の地形がつくる起伏、その中に立つ鑑賞者のまなざし。その三つが静かに同居している場所として、美瑛は真三にとって特別な「出合い」だった。


撮影:前田景

「おじいさんは、日本中を南から北までぐるっと回った帰りに、美瑛に出合っているんです。あらゆる風景を見てきたからこそ、この土地の変化の大きさと、その中に潜む一瞬の濃さに強く惹かれたのだろうと思うんです」

そんな「動きながら瞬間に出合う」祖父のスタイルに対し、孫の前田は、同じ場所に暮らしながら日々の端々に現れる瞬間を待ち受ける立場にいる。以前は撮影のために美瑛を訪れ、限られた滞在期間で集中的にシャッターを切っていた。今は「いつでも撮れる」と言える環境にある一方で、「だからこそ、いつ撮ればいいのかが難しい」と苦笑する。

「風景写真にとって、変化の瞬間はひとつのテーマです。カラマツが黄に染まりきる前、麦が刈り取られる前、新緑が一気にあふれ出す直前。そうした移り変わりは、一週間、時に数日で終わってしまうこともあるので。今撮らないと、もう来年まで二度と出合えない、そう思わせる時間が、季節ごとに何度も訪れるんです」


日々変化し、姿を変える美瑛の丘。撮影:前田景

「よく見、よく撮ること」で上がる解像度

移住して最初の一、二年は、「一年の流れを追いかけるだけであっという間」だったと前田は振り返る。雪の始まりから終わりまで、その後の春・夏・秋の速さにただ圧倒されていた。

暮らしが六年目に入った今、視線は少しずつ細かいところへ向かい始めている。丘の輪郭よりも、畑に植わった作物の伸び方、麦の穂の傾き、倒れる前の一瞬の姿。新緑の色味、山菜やキノコが顔を出すタイミング。毎年同じはずのサイクルのなかに「今年だけのズレ」が浮かび上がり、その微差が、撮るべきものとして手前ににじみ出てくる。

祖父の真三は「とにかくよく見、よく撮ること。見るうちに撮るうちに、次第に風景が自ずと見出せるようになるはずだ」と記している。

景が続ける定点観測は、まさにその言葉通りの実践。

「定点で見ていると、解像度が上がる」そう彼は言う。かつてアートディレクターとして眺めていた祖父や父の写真も、移住前は絵として見ているところが強かった。構図や色、かたちとして。だが、自分で同じ丘を撮り、そこで暮らすようになってからは、「この光はたぶん何月頃のものだ」「この畑はあの作物の後の頃だ」そういった生活の手触りと、写真のイメージが結びつくようになった。

それは単に技術としての理解ではない。自分が撮ることで、祖父が見ていた風景の温度や硬さに触れ、同じ場所を通ってきた実感が写真に重層的な時間を与えていく。


撮影:祖父・前田真三


撮影:父・晃

撮影:孫・景

三世代のアーカイブ

美瑛の丘は、一つの家族が三世代にわたって撮り続けてきたフィールドでもある。1970年代から真三が、続いて父の晃が、そして現在は景が、足かけ50年以上同じエリアを撮影してきた。

「これを続けていったら何になるのかは正直わからない。でも、親子三代、同じテーマを撮り続ける例は世界的に見ても多くはないだろうと思うんです」

その積み重ねは、場所の記録であると同時に、時間そのものを撮る行為にもなっている。

『拓真館』の展示では、三人の写真が自然に混ぜ合わされている。どれが1972年で、どれが2026年か、一見してはわからない。前田はむしろその「わからないままがいい」と考えている。自然風景である以上、空も畑も山も、本質的には同じ色をしているはずだ。プリントの退色やフィルムの劣化で失われた色を、音楽のリマスターのように丁寧に立て直し、三代の写真が一枚の時間軸のなかで並ぶように整えている。

そこには、過去をガラスケースに入れるのではなく、「今も続いているもの」として見せたいという意志がある。増えることのない過去の作品群に対して、景は「続きが描ける」立場にいる。撮り続け、展示し続けることで、祖父・真三の写真は現在形の風景として更新されていくのだ。


前田景の写真世界を象徴する最新の写真集に『WARM SNOW』がある。札幌のホテル『暖雪(DANSETSU)』のために制作されたこの作品群は、客室ごとに一枚ずつ美瑛の雪景色が飾られている。見る人によって反応は大きく分かれる。雪景色なのに「寒さを感じない」「むしろ暖かい」と言う人もいれば、「生と死の気配を感じる」と話す人もいる。

拓真館という「開かれた定点」のこれから

美瑛にある拓真館は、もともと廃校になった小学校を、1987年に前田真三が自費で改装して開いたフォトギャラリーだ。当時は舗装もされていない農道の先にあり、「こんなところに人が来るのか」と本人も半信半疑だったが、写真集やポストカードをきっかけに美瑛の名は知られるようになり、やがて観光バスも立ち寄る“丘との出合いの入口”になった。

真三にとって重要だったのは、「風景のために農業をしているのではない」ということだ。美瑛の丘のほとんどは農家の畑であり、その営みの結果として風景がある。作られた景観ではなく、暮らしの延長としての景色であることを、彼は繰り返し記している。

その考えを受け継ぎながら、景は拓真館を「暮らしごと開かれた定点」として捉えている。ギャラリーは入館無料で、白樺並木や芝生は誰でも自由に歩き回ることができる。館内には三世代の写真が並び、そのすぐ隣では妻であり料理家のたかはしようこが手がけるレストラン『SSAW BIEI』もある。四季折々に姿を変える丘の風景から生まれた農産物を、料理というかたちで味わう場所だ。

「春夏秋冬の丘の魅力を、写真だけじゃなくて、食だったり、音楽だったり、いろんなかたちで感じてもらえる場所にしていきたい」

風景写真のギャラリーは、決してメインストリームの観光スポットではないかもしれない。それでも、ここに来た人がふと足を止め、窓の向こうの丘を眺め、口に入れたものの向こうに畑の気配を感じる。その“小さな出合い”が、季節の解像度を少しだけ上げてくれるのだとすれば、拓真館はこれからも、美瑛という定点の“続き”を静かに書き足していく場所であり続けるだろう。


『拓真館』の施設内にある並木道。フォトスポットとして日中は賑わいをみせる。

 

「HILL TO HILL 1971-2026」
前田真三・前田晃・前田景 拓真館リニューアル記念展

写真家・前田真三が1971年に初めて美瑛の丘を訪れてから2026年で55年の月日が経ちました。美瑛一帯の丘陵地帯の風景を長年撮影し、世に広めた第一人者である前田真三は1998年に世を去りますが、その後も息子である前田晃、そして孫の前田景と3代に渡って1971年から現在まで丘の風景を撮り続けてきました。本展ではその3人による丘の風景写真を通して、十勝岳連峰の火山活動が生み出した雄大な大地と、先人が開拓し、農家の方々が日々の営みの中で長年かけてつくりあげてきた美しい田園風景の魅力を、存分に感じていただきます。

また、前田真三が1987年に廃校になっていた小学校を改修して始めたフォトギャラリー「拓真館」は、美瑛の丘を多くの人々に広め、観光の礎となった場所です。2025年10月より老朽化していた床面などを大改修し、ようやくこの春、新たな姿でリニューアルオープンします。本展はその新たな出発の記念すべき最初の展示となります。3人の写真家が丘から丘へと上り、下り、歩き、撮り、見つめ続けてきたその軌跡をぜひご覧ください。

会場:拓真館
入館料:無料
開館時間:10:00~17:00 (最終入館16:45)
休館日:なし(臨時休館あり)

◎2026年10月27日(火)〜10月30日(金)まで拓真館は次回展示替えのため臨時休館します。

主催:拓真館
企画:株式会社丹溪
展示ディレクション:前田景 
プリント:フォトグラファーズラボラトリー
額装:イマジンアートプランニング
音楽選曲:吉本宏
展示協力:土居原翔司

拓真館
〒071-0474 北海道上川郡美瑛町字拓進 
Tel: 0166-92-3355 
takushinkan.shop

前田景(まえだけい)
1980年東京都世田谷区に生まれる。多摩美術大学グラフィックデザイン学科を卒業後、アートディレクターとしてキャリアをスタートし、The One Show、iFデザイン賞、グッドデザイン賞など国内外の賞を受賞している。2015年より祖父であり風景写真家である前田真三のつくった(株)丹溪に入社し、フォトグラファーとしての活動を開始する。2017年に初の個展を国内4ヶ所で開催。2021年にBLUE BOTTLE COFFEE SHIBUYA、2023年に台北の小器藝廊、東京のFUJIFILM SQUAREにて個展を開催。2020年に北海道美瑛町に移住し、拓真館の館長として展示の企画・ディレクションに携わる。
IG:@maedakei

text by Ryo Muramatsu

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