Column2026.05.12NEW

#06 をこえ、火星を歩き、富良野岳まで

根本絵梨子

天気と直感を頼りに北海道を走る、写真家・根本絵梨子とフィルマーのエリナ・オズボーン。「また会いたい人」や「いつか歩きたい道」に導かれるようにバンを走らせるうちに、二人は大雪山の長い縦走路へと入り込んでいく。トムラウシ岳で迎えた朝焼け、藪をかき分けて進む静かな区間、火星のような十勝岳の斜面、そして富良野岳の山頂で交わした小さなやりとり。連載「Roads to Meet」第6弾では、大雪山縦走の後半戦をたどる。

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3日目:トムラウシ岳の朝焼けへ

3日目の朝。まだ真っ暗なうちに目を覚ますと、隣のテントにいたあの女性の姿はもうなかった。こんなに早く出るということは、予定している野営地より先の小屋まで一気に進んでしまうつもりなのかもしれない。この先は藪漕ぎ区間があると聞いていて、行く人も多くないエリア。少しだけ不安を抱えながら、ヘッドライトをつけてテントを出た。

(この女性とは、1ヶ月後に私が一人で北アルプスを5日間縦走していたとき、スゴ乗越(すごのっこし)の一番きつい斜面でばったり再会することになる。そのとき彼女は「私の装備では、この区間は寒すぎてテント泊は無理だと思って、小屋泊に変えちゃいました」と笑っていた)

重い荷物はテントにデポし、空身でトムラウシ岳へ向かう。

前日の夕方には、「体力が足りないんじゃないか」と不安になっていたのが嘘のように、身体が軽い。荷物ひとつで、山の上りはこんなにも違う。

思ったよりもずっと早く山頂に着き、ゆっくりと日の出を待つことができた。
空が少しずつ染まり始める。

これまで歩いてきた旭岳、忠別岳、そしてこれから歩いていくオプタテシケ、十勝岳、上ホロカメットク、富良野岳までが一望できた。明日にかけてのオプタテシケへの下りと登りの大変さも、ここからだとよくわかる。それでも、目の前の景色の圧倒的な美しさの前では、不安よりも感動が勝っていた。

山頂で出会ったビデオグラファーの男性は、「ここには何度も通っている」と話してくれた。この光景を見てしまったら、確かに何度でも来たくなる。

トムラウシ岳から野営地に戻り、のんびりテントを撤収して再び出発。
ここからが、噂の藪漕ぎセクションだ。

を漕いで、拾ったもの

「今日もお花、きれいだね」と言いながら歩いていると、少しずつ登山道が草木に覆われはじめ、やがて本格的な藪漕ぎに突入した。

背の高いエリナは、なんとか藪の上に顔が出ているけれど、私は頭まで藪の中。
うまく体重のかけ方を間違えると、力任せに押さないと前に進めないほど、木々がしっかりと立っている。これはもう「藪漕ぎ」というより、「木漕ぎ」に近い。

もちろん、手足はすぐに傷だらけ。ニュージーランドで山を歩いていた時の感覚がふとよみがえる。ふとエリナを見ると、いつもより元気そうで、どこか楽しそうに見える。「ニュージーランドの血が騒ぐね」と笑う。

藪漕ぎと、手を使わないと登れないような急登がセットでやってくるので、油断すると藪に引っかかって動けなくなることもある。枝に捕まれているうちに、いろいろなものを落としやすいので注意が必要だ。

実際、私は熊避けスプレーと水筒を拾い、エリナは名前入りの万能ナイフを拾った。どちらも、この先の行程では欠かせないものばかりだ。「いつか持ち主さんに追いつけるといいね」と話しながら進んでいたら、その直後、自分の熊スプレーを落としてしまった。山の神様のバランス感覚にはかなわない。

長く長く続いた藪漕ぎが終わる頃、目の前にようやくオプタテシケが姿を現した。

双子池の夜と、4日目の朝

その日の最終目的地、双子池野営地に到着すると、2日前に小屋で会った人たちのテントも、南沼で会った人たちの姿もなく、テントを張っているのはおじさんがひとり。
それでも、まったくの無人ではないというだけで少し安心する。

ここは水もあり、標高も少し低くてホッとする場所だけれど、地図にははっきりと「熊注意」のマークがついているうえ、周囲は藪に囲まれている。もし2人だけだったら、夜はかなり心細かったと思う。

日中は汗だくになるほど暑いが、朝晩は気温が一桁まで下がり、一気に冷え込む。
この日は2人とも、夕食に辛ラーメンを選んだ。ピーナッツバターとスキムミルクを加えて、カロリーを“増し増し”にする。

想像以上に体力を使っているうえ、途中の小屋で食料を補給することができない山域なので、水も食料も、自分たちでしっかり管理していかなくてはならない。

不安な夜を越えて迎えた4日目の朝。太陽が顔を出しているというだけで、こんなにも安心するものかと驚く。この日も長い行程で、アップダウンの多い一日。4時半に起きて、早めに出発した。

4日目:オプタテシケから、火星のような十勝岳へ

朝一番の2時間は、オプタテシケへの登りにあてられる。登っているあいだに、雲の切れ間から日が差し込み、霧と朝日が重なって、想像を超えるような幻想的な景色を見せてくれた。自然の光の演出は、いつだって人の想像を簡単に飛び越えてくる。

2時間の登りを終えて山頂に出ると、それまでの無人でワイルドな区間とは打って変わって、大雪山と街を一望できるオプタテシケ山頂は多くの登山者で賑わっていた。
私たちが歩いてきた方向から登ってくる人は、おじさんが一人だけ。こちら側から来ると、みんな驚いた顔で「どこから来たの?」と話しかけてくれて、自然と会話が弾む。

その中でもひときわ元気な4人組と話していると、ローカルのおじさんと、東京から来た友人たちのグループだという。私たちがこの先の計画を話すと、「知床縦走をするなら、絶対に2泊3日で行った方がいいよ。今年はまだバスが出ていないから行けないけど、来週ならちょうどいい。車2台で行く予定だから一緒になら縦走できるよ」と、あれよあれよといううちに話が進んでいく。

気づけば、来週の知床に一緒に行く約束までしてしまっていた。そんなこんなで、山頂には1時間半も滞在してしまった。藪漕ぎのエリアも終わり、この先はいくつもの山の稜線をただひたすら歩いていく区間になる。アップダウンは確かに大変だけれど、見渡す限りの山並みの中を歩く時間は、それ以上に気持ちがいい。

この日の課題はまず、どこで水を汲めるかだった。ネットで調べても情報はまちまちで、その年や時期によって状況も変わるので、現場に行くまでよくわからない。

避難小屋には水がないと聞き、山頂での情報交換の中で「小屋から15分くらいのところに水場があった」と教えてもらう。場所もかなり曖昧だったけれど、地形と雪解けの流れを頼りに、なんとか汲めそうな場所を見つけた。

朝の時点で2リットルほど担いでいた水も、朝一番の登りと朝食でかなり減ってしまっていた。

この先、今日一日水場はない。それでも、秋なら雪解け水すら期待できないと考えれば、今ここでたっぷり汲めることにただ感謝するしかない。

この日は、オプタテシケ、美瑛岳、十勝岳を越え、上ホロカメットク避難小屋まで進む一日だった。

朝は瑞々しい景色が広がっていたのに、美瑛岳を過ぎる頃には一気に火山の荒々しい景観に変わり、十勝岳では「ここは火星?」と思うような風景に出会う。同じ日の、同じ縦走路とは思えないほど、景色の変化が激しい。

この日も、体力をほとんど使い切ってしまった。上ホロカメットク避難小屋の屋根が見えた時は、本当にほっとした。そして小屋に着くと、あの藪漕ぎ区間で拾った熊スプレーとナイフの持ち主に、ちゃんと出会うことができた。手渡すと、向こうもとても喜んでくれて、山の中での小さな再会劇に、こちらまで温かい気持ちになる。

北海道の避難小屋は、ここも例にもれずきれいで快適だった。

最終日:富良野岳へ、そして下界へ

最終日は、上ホロカメットク山、上富良野岳、三峰山、富良野岳を経て、いよいよ下山。
この数日ずっと晴れが続いたおかげで、花たちもさすがにカラカラに乾いて、どこか暑そうに見える。それでも、ぎりぎり「花のいい時期」に間に合ったようで、まだ十分に色とりどりの斜面を楽しむことができた。

富良野岳に着く頃には、雲がふわりと晴れて、旭岳からここまで歩いてきたすべての山が姿を見せてくれた。振り返るたびに、「本当にここまで歩いてきたんだ」とじわじわ実感が湧いてくる。

富良野岳は日帰り登山者も多く、花も豊富な人気の山だけあって、山頂は賑わっていた。
「どこから来たの?」とまた聞かれ、「旭岳からです」と答えると、みんな驚いた顔をして歓迎してくれる。

ニコニコしながら登ってきたご夫婦が、「そんな遠くから歩いてきたの!お腹空いてるでしょう!」と、遠慮する私たちにお饅頭やパンをたくさん差し出してくれた。実際、想像以上に食料がギリギリになっていた私たちの身体は、正直だった。ひと口食べるごとに、「おいしい…」と声が漏れてしまうほど。優しさで、胃も心も満たされた。

無事に、久しぶりの「下界」へ降りた私たちは、ほっとしながらも、ずっと楽しみにしていた山行が終わってしまったことに、少し寂しさも感じていた。天気にも花にも恵まれ、やさしい出会いがあり、次の山行へとつながる縁も生まれた。

東川町のみなさんに無事を報告したあと、白銀荘で車中泊をしながら、大好きな温泉で疲れをじっくり癒やす。

まだ、この旅は続いていく。


根本絵梨子 (ねもとえりこ)
群馬県出身の写真家。ファッション、アウトドア、カルチャー、ポートレイトなどボーダレスに活動。山小屋で働いたりと、都会と自然を行き来しながらアウトドアフィールドを旅する生活を送る。7月末〜都内にて初の二人展を開催予定。

HP:erikonemoto.com
IG:@neeemooo

Elina Osborne(エリナ・オズボーン)
映像作家。日本にルーツを持つ日系ニュージーランド人。世界中のロングトレイルを歩き、その様子を撮影したドキュメンタリー映像をYouTubeで公開し、日本を初め世界中のロングトレイルハイカーたちから絶大な信頼を得ている。
HP:elinaosborne.com
IG:@elinasborne

Photo &Text by Eriko Nemoto Produce by Ryo Muramatsu Cooperation by Moving Inn

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