連載第一回目は、アシュタンガヨガ正式指導者の更科有哉さんです。
ウィズ・コロナ時代にあって、免疫のアップやカラダのメンテナンスは、生活の基本となりました。取材実施は3月初旬の頃でしたが、自粛期間中に普及したオンラインヨガなどの影響もあり、これまで以上に身近なものとなったヨガ。その指導者の声は、今でこそ共感しやすい内容なのだと思います。
自分のカラダをコントロールしたい。その先に何がある?
――長年ヨガを突き詰めていくと、自分の考えや生き方に変化があるものですか?
もうひとりの自分が客観的にコントロールしていくみたいな部分がでてくると思います。ヨガって、やればやるほど客観性が身についていくんです。通常の状態より呼吸がゆっくりになっていくと、自分が置かれているところ、自分の立場みたいなものが見えてくる。
僕たち人間は、この宇宙の一部であって、人間が明かせたことなんて数パーセントしかない。ほとんどが無知の中で、僕はヨガというツールを使って、自分自身をより上手く扱うための“取扱説明書”を作っているんだと思っています。それをひたすら日々、アップデートしている感じなんですね。
――カラダを通して、自分を客観視できるようになっていくという感覚は、運動している人には共感されやすい感覚だと思いますね。
感覚もどんどん敏感になっていくんですよ。カラダの使い方、呼吸だったり。普通の生活してたら、カラダの内側に意識が入っていくことってあまりないじゃないですか。身体的な気づきが内に入ってきたり、逆に内の気づきが外にでてきたり、自分の外側と内側が行き来するんです。ココロとカラダの状態を客観視するというか。それを突き詰めていけばいくほど、自分の感度も上がっていく。そうなるといろんなことがクリアになって、正しい選択ができるようになるんです。必要と不必要がはっきりしてくるから。
――昔、”ヨガのスイッチ”って話をしてくれたことを覚えています?
・・・・・・なんとなく(笑)。
――更科さんが傾倒されているアシュタンガヨガは、アーサナと呼ばれるポーズと、その順番がラジオ体操みたいにセオリーでハッキリと決まっているヨガですよね? レベルの向上とともに段々とそのポーズの難易度も上がっていく。そしてポーズを深めていくと、フィジカルの能力だけ高めるだけでは到達できないことがわかる、という話がスタートで。
あー(笑)。どうしても苦手なポーズって、みんなあるんですよ。順々にポーズをとリ、そこに行き着くと、だから僕も、よく乱れるんです。その乱れは気負いや恐怖心という、雑念で。レベルが上がれば上がるほど、難解でアクロバティックなポーズがあリます。そこでハッと悟るのは、やっぱりカラダと心とが一致していないと、無理だなってこと。なので、ヨガを探求し実践する人は日常的に押せる“スイッチ”みたいなものが養われるって僕は思っていて、乱れた心を静めたり、グッと集中できたり。
――この「自分自身を上手く扱うための取扱説明書」という話は、「ヨガのスイッチ」の話と、根底にある考えは同じですね。自分自身をコントロールしたい、そんな欲求があるんだなって。
ただただ、毎日をより良く生きる自分でいたいと思っているんです。
毎日ヨガをやりたくなった、やり続けられた、その理由。
――ヨガに出合う前はどんな暮らしをしていたんですか?
地元の北海道で高校を卒業して、上京しました。俳優になりたかったんですよ。スカーフェイスっていう映画を見て、その時のアルパチーノがかっこよくて、あれになりたいみたいな。まぁ、バカですよね (笑)。 昼はオーディションやって、夜はバーテンのアルバイトをして。そんな日々を何年もしていました。カラダも不調とまではいかなかったですけれど、お酒も好きなだけ飲んで、昼夜逆転の不規則な生活をしていました。その生活自体はすごく楽しかったんですけれど、不健康的な生活をしてたらだんだん健康がほしくなってきて。
25歳ぐらいのときに友達の車団地/CAR DANCHI(※注1)の連中に教えてもらって、ヨガをしたのが出合いですね。気持ちよかったし、これをやっていれば健康になれるのかなって。
――それでどんどんのめりこんでいったんですか?
当時はヨガのレッスンに通えるようなお金の余裕がなかったんで、DVDと本を買って家の屋上でひとりでひたすら練習してました。とにかく気持ちいいし、だんだんカラダの変化もでてきて。柔らかくなってたり、強くなっていくのがわかるじゃないですか。こないだまでできなかったポーズができるようになっていったり。ひとつひとつゲームをクリアしていくような感覚で夢中になっていきましたね。そして気づいたら、俳優を目指すことよりもヨガにのめり込んでいました。
――本とDVDだけでひとりで続けるって結構、地道な作業ですよね。
3年間ぐらい黙々とやってましたね。同じことをずっと繰り返してやるのが、多分得意なんでしょうね。そのうちにヨガスタジオに行ってみたいと思うようになったので、代官山にあるヨガジャヤに行き始めて。そこでいろんな種類のヨガがあることを知って、結果、アシュタンガヨガを一番いいと思うようになりました。伝統的だし、やっぱりコアなんですよ。すごく難しいけどイケてるなって(笑)。
アシュタンガヨガって、決められたポーズを繰り返していくんです。週に一回と、満月と新月のお休みの日以外はずっと同じルーティンで行うのが伝統的なスタイルで。朝起きて、コーヒー飲んで、排泄して、シャワー浴びてから始める。今も365日ほぼそんな感じでやっています。
写真提供:更科有哉
クルマで日本を縦断するヨガツアーも10年の節目を迎えた
――毎日繰り返して、ある程度ヨガのセオリーが入ったあとは、どんな進化があるんですか?
やればやるほど、セオリーの解釈がはっきりしていくんです。そこが醍醐味なのかな。解釈がアップデートされていくんですね。僕らのヨガは99%のプラクティスと1%のセオリー。セオリーはあくまで1%で、あとはとにかくやるだけ。でもこの1%のセオリーが、99%の実践によって解像度があがっていくというか、つまりセオリーの解釈が深まっていくんです。
――更科さんほど有名になると、ヨガのスタジオを運営したいとか、後進を育てたいとか、別のフェーズにいきそうですけど、あくまで自分を追求していくという、一見、他者から見るとわかりやすいゴール像がないじゃないですか。本質的な豊かさは見えるんですけど、どこに成功体験を求めているのかなって。たとえば、ヨガは競技ではないし、勝負の世界でもない中で、そこまでストイックにモチベートできるのはどうしてなのか、だとか。
単純に向上心からですかね。次のステージにいきたいとか、クオリティを高めたいとか。あとはやっぱり自分が好きだとか (笑)。それこそこの連載タイトルでもあるように「自分という乗り物」が好きで、それをどんどん良くしていきたい。
写真提供:更科有哉
やっぱり、いいメンテナンスされてるクルマがいいじゃないですか。壊れないクルマで。明日も、明後日も、メンテナンスされていて、週に1日だけメンテナンス・オフ。指導者たちでもメンテナンスを怠ったことによって、どんどん故障したり走れなくてなってるのをよく見てるんですよ。僕はそうなりたくないし、本で読む知識より、自分の実践と経験で得た知恵を最優先にしている。そうやって突き進んできたことで、後から自分の暮らしやお金がついてきたんだと思っていて。この生活を続けられるっていうのはすごく幸せだし、ある意味バカなんだろうなぁと。
何でもそうですけど、できるだけ楽しくは意識していて。次で、もう10回目になるんですよ。自分のクルマで日本縦断しながらヨガを各地で教えるツアーも(※注2)。運転しながら、好きな音楽聴いて、新しい景色を見たり、毎年見る懐かしい景色を眺めながら、ただただクルマを走らせていくってすごく楽しいし、毎回ひらめきや気づきがある。
写真提供:更科有哉
今年は行けないと思いますけど、毎年インドにも行くんですが、毎日強烈な光を放ちながら登る朝日も、空にあれほどまでに美しい絵を描く夕陽も、最適な場所で眺めることができます。インドにいると、SURIA(太陽)を強く感じる。インドでは、太陽は一番最初の客と言われていて。太陽無くしては有り得ないこの世界で、主役を見ないで生きていくのはもったいないですよね? フィジカルもメンタルも追求して、ヨガを深めながら、そのサイクルに乗った暮らしができたらいいですよね。
※注1:車団地/CAR DANCHIとは北海道を拠点にした、車中泊をベースにして、旅するように生活するスノーライダーたちのクルー。
※注2:日本全国縦断Yogaの旅「INTO THE MIND TOUR」とは、2009年からスタートしたもので全国を一台のバンで巡りながら、ヨガを伝えていくツアー。
更科有哉
アシュタンガ正式指導者。1977年生まれ。北海道札幌市で育ち、20歳から東京へ。インド・マイソール KPJ AYIにてSharath Rangaswamyに師事。2009年よりクルマでの日本全国縦断Yogaの旅『INTO THE MIND TOUR』を実施。2010年 Sharath氏より正式指導者資格 Authorizationを、2011年にはAuthorization Level 2を与えられる。2020年、拠点を東京から宮崎へ移し、新たな生活をスタートする。
Instagram:@Yuya67
Photo by Shota Matsumoto Text by Ryo Muramatsu