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カラダは乗り物 #02 独自のカラダを持つことでよりクリエイティブになれる
2020.08.29

カラダは乗り物 #02 独自のカラダを持つことでよりクリエイティブになれる
by 小畑多丘

僕らにとって最も身近な乗り物とは、カラダそのものではないか。何を食べて、どうメンテナンスするか。それによって、毎日の心地よさが違うのだから。この連載は “いかにカラダが乗り物なのか”を、いろいろな分野の方々に訪ね歩いていくものだ。

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ダンサーにして、彫刻家。

この異彩を放つ組み合わせゆえに、“踊る彫刻家”なんて呼ばれることもある小畑多丘の魅力とは、決して「踊れること」ではない。

代名詞といえる木彫作品にはじまり、映像やドローイングの作品に通じる「ダンサーゆえの身体感覚と、それを表現に落とし込む独自の視点」。それこそが小畑多丘の魅力であり、新しい作品たちを数々生み出してきた源になっている。

直近の作品のテーマは「身体性」と「移動性」。その意図を聞きに、会いに行ってきた。



移動と身体性をまとうドローイング

近年は彫刻にとどまらず、表現方法が多岐にわたっていますね。

そうですね。普段木彫を作るときは、最初に形のイメージや空間の中での位置関係などを落とし込んだスケッチをたくさん描くのですが、その彫刻のための設計図のようなスケッチを派生させたドローイング作品で、最近個展をいくつかやりました。

開催中の『LET’S MOVE IT』のテーマは、移動性と身体性。ドローイングという平面の作品のどこに「移動」や「カラダ」の要素が盛り込まれているか、少し説明してもらえますか?

この動画の作品は2枚同時に描いているのですが、まず1枚のキャンバスに決めた量の塗料を厚塗りし、絵を描くように塗料を削り取って、その削った塗料を真っ白なキャンバスに描き塗っていくんです。彫刻の技法でいう、素材を削っていく「カービング」と、素材を盛っていく「モデリング」を繰り返す作業です。この2枚のキャンバスの間に自分のカラダがあって、ぼくの身体性の移動により、塗料の移動が繰り返されて出来あがっていきます。

ドローイングという全く違う性質のものに、彫刻の技法を使っているんですね。

そうですね。彫刻は、木を選んだ時点で素材の量は決まるので、ドローイングで使う塗料の量を決めることは、そういう意味でも木彫のアプローチと共通します。2枚のキャンバスを描くときは、片方はカービング中心で塗料の量が減っていき、もう片方はモデリングが中心で塗料の量が増えていく。ネガとポジみたいな関係性ですね。それを1枚のキャンバスでやると、キャンバス内で塗料が移動するだけで、塗料の量は全く変わらない、ということになります。どちらにしても量は変化せず、移動だけが行われていく。

「移動」がすべてにつながっていると気づいた

この表現に至った経緯は?

B-BOYと彫刻をどうつなげるか、それをずっと追い求めてきました。これまでの空間を作るということ以外に、もっと必然的なつながりってなんだろうと考えていて、それは「移動性」なんじゃないかって思ったんです。

木彫を制作するときって、木屑がたくさんでるじゃないですか。それを何十袋分も車でクリーンセンターまで運んで捨ていてたんですよ。でも、めんどくさいし、もったいないなって思って。あるときから、庭のドラム缶で燃やすようにしました。冬はあったまるし、それで焼き芋を作ったりして(笑)。あんな量の木屑が燃やすことでなくなる、というのが、当たり前なんですけど、不思議だなぁと。でも昇っていく煙を眺めていたら、これってなくなっているわけじゃないんだなと。燃えて、灰になって、雨だったり何かしらまた違う形で還ってくる。循環しているんだって思いました。つまり、物質の量というのは変わらなくて、移動しているだけなんだと。むしろ、地球上の形あるものはすべて「移動」によって構成されているんだと気づいたんです。

このときの着想が少しずつ年月をかけて型どられ、結果的に今回の作品につながったのだと思いますね。例えば、2枚のキャンバスを同時に描くとき、どんなにカービングしてもモデリングを繰り返しても、2枚のキャンバスにおける塗料全体の量は変わらず、ただ塗料が物質として2つのキャンバスを移動しているだけ。そして平面に置かれたキャンバスの間を、ぼく自身のカラダが移動するという、身体性も必要不可欠。これはまさに、彫刻にもダンスにも通じるなって。

ダンサーが美大生になるまで

アーティストである前に、ダンサーであることにずっとこだわり続けてきたからこそ今がある、とも言えますね

ホントにそうですね。小学校のときにテレビでZOOとかダンス甲子園を見ていて、MC Hammerが流行ったりしていたんですが、そのときに見て感じていた「かっこよさと面白さ」みたいなものが今でもずっと残っていて、ぼくの表現の原点になっています。それでUSラップを聞くようになって、そのうちにNBAにもハマって、中学高校はバスケをやっていました。高校の途中から、兄がブレイクダンス始めたことをきっかけに自分も踊るようになって、兄や地元の友達とUNITY SELECTIONSっていうダンスチームを作って、ショーをやったり、ダンスバトルに出たりしていました。

ダンスが先で、その後に彫刻と出会ってますからね。

とにかくブレイクダンスが好きだったので、好きなことを仕事にしていくために、ダンスをどう突きつめようか、と考えていました。それでパフォーミングアーツがある大学を受験したこともありましたが受からなくて。浪人して美大の予備校に通う中で、最初は映像の道を考えていたんです。それでダンスがモチーフのクレイアニメを作ったら、デッサンと彫刻にすっかりハマってしまって。それで彫刻に決めて、東京藝術大学の彫刻科に進学しました。とにかく映像にしても彫刻にしても、どうB-BOYと結びつけるか、ということが自分の中での最大の課題でしたね。

その課題は今なお変わっていない。だからこそ、彫刻作品にもドローイング作品にも一貫性があると。

全てはそこから始まっていますし、ずっと変わらないでしょうね。そこの軸は変わらないです。



どうしてB-BOYなんだろうって考えたりしました?

ありましたね。彫刻始めてからは、特になんでダンスなのかなって考えたりしました。例えば、ダウンを着て踊っていると塊に見えるんですよ、ダウンが。それで反転とかしたら、そのダウンの塊もぶわっと動いて、身体的な表現を拡張させたりしますよね? その踊りとファッションとが相関しているところが好きで。どうしてそこに魅力を感じてるのかなって突き詰めていくと、重力だっていうところに行き着きました。重力から物体が解き放たれる瞬間に反応しているんだなっていうのが分かってきて。ムーンウォークとかパントマイムとかロボットダンスとか全部そう。重力がある中でいかに不思議な動きになるか。それが「かっこよさや面白さ」にもなっていて。重力っていう地球の一番シンプルな軸があって、それに対してもうひとつカラダの軸をつくるのがダンス。彫刻にしても、作品が大きくなればなるほど、どう立たせるかっていうことを考えます。特にぼくの作品は台座がないので、どう自立させるかを考えることで、結局、重力と向き合うことになるんです。

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「カラダが乗り物」みたいな感覚って共感できますか?

すごく共感しますね。カラダは乗り物だし、道具でもある。木彫の制作時に、ノミを使いますが、研がないと思うように彫れないんです。研がないで使っていると無駄な力を入れることになるので。単純な話ですけれど、こまめに研いで、使い続けることが結局、一番効率がいい。人間のカラダもそれは一緒。日常的にカラダを使って、ケアをできている人のカラダは効率がいいと思います。だからぼくも定期的に運動するとか、空き時間にダンスするとか、なるべくカラダを動かしたいと思っています。

彫刻家ならではコンディショニングはありますか?

片方の腕ばかりで木口をノミでカンカン打ったりしていると、片方だけにすごく筋肉がついたり、カラダが固まりやすくなっちゃうんですよね。でもぼくはダンスをやり続けたいから、そのためにも均整のあるカラダを維持したい。なので、学生のときから左右どちらの腕も使えるように意識してやってきました。シンメトリーの作品を作るときにしても、左右使って、できるだけ同じ行為で、同じように彫ったほうがいいと思ってます。全く同じように、とはなかなかいかないですが、カラダの使い方は上達していると思いますね。それと今回の作品で使ったヘラは板に切れ目をいれたりして、自分でオリジナルで作りました。道具がオリジナルであれば、表現もよりオリジナルなものになっていく。カラダにしても道具にしても、自分のオリジナルを持つことで、よりクリエイティブになれるのだと思います。

B-BOY/彫刻家
1980年、埼玉県生まれ。自らもB-BOY(ブレイクダンサー)であり、その身体表現技術や躍動を彫刻でも精力的に表現し続け、台座の無い木彫による人体と衣服の関係性や、B-BOYの彫刻を端緒に生まれる空間を追求、緊張感と迫力あふれる作品を展開。

Instagram: @takuobata
Twitter: @TakuSpeFAD
Tumblr: https://takuobata.tumblr.com/

Photo by Shota Matsumoto Text by Ryo Muramatsu