全国で非常事態宣言が発令された2020年春のある日、ダンサーにして表現者のアオイヤマダさんは突然、自身のインスタアカウントで、自室からのパフォーマンスをデイリーでポストし始めた。
外出自粛という閉鎖感を払拭してくれたそのパフォーマンスは、本人いわく“野菜ダンス”。昭和歌謡の名曲にあわせて、野菜を持ったアオイさんが演じるように踊るクリップは、連日多くのいいねを獲得した。
現在二十歳にして、数々のクリエイターから信頼を寄せられる若き表現者の身体論を紐解いていく。
自室からSNSで届けた野菜ダンスの真相
――ステイホーム中のインスタグラムで投稿していたダンスはどのように生まれたんですか?
自粛生活になったとき、おばあちゃんが「東京は大丈夫か?」「ちゃんと食べているか?」「スーパーはどうだ?」とすごく心配していたので、元気だよ、ちゃんと食べているよ、っていうことを伝えたくてSNSにのせたんです。そしたら、「元気をもらいました」とか「楽しみにしています!」とか思いの外たくさんの方から反応をいただいて。これでみんなが元気になってくれるなら毎日1本撮ろうって決めて、ひとりで色々考えながらやっていました。
――ご自身でディレクションして?
お仕事のときって監督さんがいて、カメラマンさんがいて、みなさんが準備してくれて私がそこに入るっていう流れだけれど、全部自分でやるっていうのもおもしろかったですね。選曲やアングルも自分で考えて、音と野菜が自分の中でリンクするところがピンときたら撮って。でも、ステイホーム期間が終わったらなぜか野菜ダンスがはずかしくてできなくなっちゃったんですけれど(笑)。
好きな人を想うようにダンスのことだけを考えていた
――幼少期はどんな子どもでした?
妄想するのが好きな子でした。小さいときから頭の中にちっちゃい宇宙みたいなのがあって、それを絵に描いたり、自分の部屋ができてからは、部屋を森みたいにしたり、自分で書いた絵とか置物を並べて秘密基地みたいにしたりしていましたね。妄想しすぎて、寝ているときにふと目覚めたら、小さい妖精みたいなのがいっぱい目の前を横切っていくこともあったりして(笑)。頭の中がファンタジーでした。学校から帰ったら、変な色の口紅ぬったり、カラダに絵描いたりとか、とにかく自由にしていました(笑)。
クルマの荷台で遊ぶ幼少期のアオイ。
――小さいころからカラダを動かすのも得意だったんですか?
6歳のときから地元の小さいダンススクールに通ってたんですけど、私すごくカラダが固かったんですよ。周りの子たちは柔らかくて、なんで私はできなんだろう、って思っていました。それでお風呂あがりに足広げて、お父さんに背中押してもらったりとかして。みんな同じ”カラダ”を持ってるって思っていたんですよ。だから周りと比べてできないことがすごくストレスで。自分の意識とカラダが反発していましたね。
――部活もダンスだったんですか?
中学2年生のときは陸上部に入りました。ダンスとは違う身体の動かし方っておもしろいなって思って。
――陸上をやりながらも、既にその頃からダンスがアオイさんの中心にあったんですか?
悩むことといったらダンスのことばかりでした。誰に押し付けられているわけじゃないのに、苦しくなったり、悲しくなったり。好きな人のことを考えるみたいに、とにかくダンスのことばかり考えていました。これで生活をしていきたいとかは全く考えてなかったですけど、ただただ好きだから考えてた。でもその頃は今の表現とは違って、自分のことしか考えてなかったんですよね。コンテストとかにも出ていたんですけれど、自分がそのステージでいかに振りを間違えずに踊れるかみたいなことしかなくて。ダンスって競わなきゃいけないものだと思ってたんです。何かを届けよう、っていうよりは何かに勝たなきゃ、みたいな意識が強かった。
――高校のときに松本から東京に移ったんですよね。そのきっかけは?
自分が安心できる場所から一回離れたいと思ったんです。自分の踊りってどうなんだろう、私って何したいんだろうってずっと考えていて。漠然と自分を変えたかったんですよね。それで場所を変えてみようって決めて上京しました。
カラダを使って、誰かの思いを表現するイタコになれたら幸せ
――上京した後、Oi-chanに出会うんですね。
そうです。インスタグラムをやっていたんですが、それを見たOi-chanにキャスティングしてもらいました。Oi-chanから山口小夜子さんや舞踏家の方の動画を見せてもらったりして、自分がやりたかったのはこっちだったんだって気づきました。ダンサーというよりは表現者。それからは枠にとらわれず、自由に作品作りをするようになっていきました。ダンスで誰かと競わなきゃ、みたいな意識も自然となくなっていきましたね。
――そこがターニングポイントになったんですね。
そうですね。特に山口小夜子さんにはすごく影響を受けました。小夜子さんがランウェイで洋服を着てゆっくり踊りながら歩いている動画を見て、これって小夜子さんは自分のためでもあるんだけれど、纏っている服をどう見せるか、空間をどう見せるかを考えているんだろうなって感じたんです。それで私がやるべきこと、できることは何かのイタコになることなんじゃないかって思いました。服だったり、モノに対する誰かの思いを私のカラダを使って倍増して表現できたらすごく幸せじゃないかと。自分の思いで表現して、それが結果的に誰かのためになる、っていうのがいい表現者なんじゃないかなと思っています。
カラダは入れ物。生まれ持ったこのカラダでできることをしたい
――自己表現を叶えたり、表現できるカラダをつくるために大事なことって何だと思いますか?
自分のカラダと向き合うことですね。朝はストレッチとかトレーニングしてその日のカラダの状態を観察しています。車もエンジンかけて、今日調子悪いなぁとか色々あるじゃないですか。それと一緒でカラダも日によって状態は違うし、何が足りてないんだろうって意識を向けて取り組むことが大事かなって。
カラダのここをこうしたいっていうより、例えば、揺れている木をみてあんな風に動いてみたいとか、ダチョウの求愛行動をみて、これやってみようとか。日常から動きをもらうのが楽しいんですよ。今はカラダがもっと波みたいに動いたらなって思っていて。それって動かし方を自分が知らないだけでコツをつかめばなるんだろうなって思うので、日々自分のカラダを研究しています。
――心とカラダが反発していた、という幼少期から比べて自由にカラダを動かせるようになったという感覚なんですか?
カラダってその人が持つ使命だと思った出来事があって。ひいおばあちゃんが去年亡くなったんですけれど、ご遺体を見たときに「あ、カラダって入れ物だったんだ」ってハッとした。そのときに、すーっとこれまで抱えていたカラダへのコンプレックスというか、自分の中にあったカラダへの反発心がポジティブに変わったんです。このカラダで生まれたなら、それでできることをしようって思えて。そのためにはまず、自分のカラダをよく理解することだなって。そしたらカラダを使うこともより気持ちよくなってきましたし、カラダに対するストレスがほとんどなくなっていきましたね。
――今後、どんなことをやっていきたいと思っていますか?
色々な形で表現方法を広げていきたいんです。自粛期間中に野菜ダンスやってみて、子供番組やれたらおもしろそうだなとか思ったり、死ぬまでに本も出したいし、詩集や料理にも何かしらの方法で関わっていけたらいいなと思っています。踊りに限らず、好きなもので表現していきたいですね。
アオイヤマダ
2000年長野県生まれ。ダンサー、モデル、表現者。06年からダンスをはじめ、15年に単身で上京。主なPV出演に、米津玄師「Flamingo」、Nulbarich「VOICE」、夏木マリ「Co・ro・na」、DAOKO「anima」などがある。2019年の紅白歌合戦(NHK)では、MISIAのバックダンサー出演、2020年ダムタイプの新作パフォーマンス「2020」、パリコレクション「ENFOLD」インスタレーションにてパフォーマンスを実施。また、モデルとして、FRED PERRYワールドキャンペーン、ラフォーレ原宿、OPA、松本パルコ、オニツカタイガーなどにも出演。2020年11月中旬、舞台「星の王子さま –サン=テグジュペリからの手紙–」へ出演予定。
Instagram:@aoiyamada0624
Photo by Shota Matsumoto Text by Ryo Muramatsu Costume cooperation by Stella McCartney