19歳から12年間、スキークロスの日本代表として世界を転戦しワールドカップ最高位は4位。X-GAMESにも2度参戦するなど、競技者としては遅咲きながらも充実した選手生活を終えたのが2014年のこと。本人いわく、やりきったので悔いはなかったという。レース引退後、故郷である長野県野沢温泉を拠点に冬はスキー、夏はツリーハウスでのキャンプや湖でのSUP体験など、四季折々のスポーツライフスタイルを提案する〈nozawa green field〉の代表を務めている。その傍ら、2020年からは野沢温泉観光協会の代表理事として、地方創生にいそしんでいる。
競技者から観光協会の代表理事を務めるに至った半生を振り返りながら、「理想の町づくりを実現するには、まずローカルの意識から変えていきたい」と語る河野さんの展望に迫る。
スキーヤーからメッセンジャー、また競技者へカムバックした
――スキークロスの選手としてキャリアをスタートしたのが19歳。その前に一度スキーの競技者を引退されているんですよね?
そうなんですね。僕は野沢温泉で育って、2つ上の兄につられて板をはいたのがスキー人生のはじまりでした。野沢温泉はスキーの強化に力を入れている町で、オリンピックを目指してアルペンスキーやっている子どもがたくさんいるんです。地元のジュニアスキークラブ専用のナイターもあり、みんな平日は学校が終わると練習に行って、休日はレースに出て。僕は小2の頃からレースに出始めたのですが、それから11年間、アルペンスキー選手としてまさにスキーづけの日々でした。
それでも高校最後に出たレースの結果がダメで、卒業と同時にきっぱりやめました。進路も決めてなかったので、これから何しようかと考えて、メッセンジャーをやろうと思って上京したんです。おもしろそうだったし、長野から出て東京へ行ったら何かあるんじゃないかっていう好奇心もありましたから。
――メッセンジャーから、またスキーに戻ったきっかけは?
メッセンジャーをやってる間も、冬は実家の温泉宿の手伝いで野沢に帰っていたんですが、ある時、先輩からスキークロスに誘われたんですよ。それがきっかけとなって、競技を変えて再びスキーをやることになりました。アルペンスキーは1人ずつ滑ってタイムを競うんですが、スキークロスは他の選手たちも同時に滑る。その駆け引きが面白いなぁ、と。
選手生活をするにも海外渡航費であったり、あれこれと費用がかかるんで、東京を拠点にしたままシーズンオフはアルバイトをしていました。メッセンジャーもそうだし、歌舞伎町でお酒運んだりとか、色々やりましたね(笑)。その後企業チームを作っていただいて、競技に集中できる環境になったのをきっかけに2010年野沢温泉に帰ってきました。
自分たちで作ればいい。そういう時代だと思う
――そこから2014年までは選手として活動して、その後、起業するわけですね。
競技生活の頃から、野沢で何かできたらいいなと考えていました。「この先はどうしていこうかな」っていうのは20代前半の頃からずっと頭にあったんです。ただのスキー馬鹿で終わりたくないって (笑)。それでトレーニングが休みの日に仲間たちと森の中にセルフビルドのツリーハウスを作ったりしていました。引退してすぐに、〈nozawa green field〉を立ち上げて、キャンプ場をオープンさせました。アクティビティとしてSUPをやっているんですが、当時デザイン性や機能性も含め、自分が使いたいというボードがなかったので、「じゃあ自分たちで作ればいいじゃん」っていうことでSUPブランド〈PEAKS 5〉も立ち上げて。
とにかく、自分が体験して、目指すべき理想のカタチがみえたら自分自身で手がける、作る。これはスキー板をプロデュースさせてもらってる〈VECTOR GLIDE〉もそうですし、畑で作っている野菜や米作りなんかもそう。自分が身をもって知った感覚や知恵を、めちゃくちゃおもしろいよ、楽しいよ、って共有しているんです。だから、やりたいことを色々やっています。こうやって自分で何かやろうとしたことが実現できているっていうのは、20代前半の下積みがあったからこそ。スキーで世界をとるために色々やったのが、今生きているんだと思います。やりたいことがあればどんな仕事だってできるじゃないですか。僕は今も昔も、ずっとやりたいことしか仕事にしていないので。
村民のマインドあってこそ、資源は有効活用できる
――何事もセルフビルドしていくって、苦労も多いですよね?
検索したり、調べながら、キャンプ場作りもすべて手作りです。大工さんに頼めば思い描く形にはすぐできますけど、そういう時代じゃない気がするんです。〈PEAKS 5〉をやるときも、何度もメンバーで集まって、色々勉強しながら始めました。そうやってみんなで知識と経験を積み上げて、イレギュラーなことに対応できる仲間がいっぱいいるんです。そもそも仕事だって1つじゃなくて、いろんな仕事をもっていていい時代になってきていますよね? むしろそういう人が今後生き残っていくのかな、と思いますね。昨年の春、コロナでもしキャンプ場の運営が厳しくなったら休み期間だと思って次のこと考えようぜって奥さんとも話していて。次から次へとやりたいこと、ビジョンはたくさんありますね。
――若くして、昨年から野沢温泉観光協会の理事もされていますね。
観光協会長に推薦されて引き受けたんですよ。それで外に向けて野沢をPRしたり、村の会議に出たりしています。一番大事だと感じているのは、まずは野沢に住んでいる人たちが、ここはいいところだなって思えること。自分自身が誇れる暮らしをして、村の資源を堪能できていないといけないなって。そうじゃないと来てくれるお客様に勧めたりできないじゃないですか。だから観光地としてどんなにいい資源があったとしても、そこに住む人たちのマインドがそうじゃなければ、本当の良さっていうのは伝わらない。むしろ、それさえできていれば、後は何をやったっていいと思っています。
愛車は「VOLKSWAGEN Passat alltrack 2019年式」。月間走行距離は、約1,000km。「クルマに乗っているときは、日本の素晴らしい山や海、川などを眺めながら“次はどんな外遊びをしようか” “次はどこの山を滑ろうか”と、ゆっくり物事を考えることができる貴重な時間になっています。そう言った意味で、クルマは新しい外遊びのヒントを与えてくれる存在であり、さまざまな外遊びに一緒に出かけるパートナーのような存在」
クルマの荷室にはTHE NORTH FACEの新素材「フューチャーライト」を搭載したスキーウエアをはじめ、ギアがズラリ。高い防水・透湿性としなやかな着心地とが共存する「フューチャーライト」を使用した製品は、環境負荷を少なくするため、素材を挟む表地と裏地は100%リサイクルのポリエステルを使用し、生地同士をつなぎ合わせる糊の量も削減している。「たとえば、気象状況の変化が激しい雪山で、標高は3,000m以上。そんな中でも1日に8時間以上歩いたりと、過酷な条件下で活動をすることは多々あります。そうした状況において防水性と透湿性、さらに動きやすさという非常に重要な要素を高い次元で実現しているのが、フューチャーライトです。それでいて、環境負担へも配慮したプロダクトでもある。日々、自然の恩恵を受けてさまざまなフィールドで遊ばせてもらっているので、自分は山や海に入るときに必ず“今日も少し遊ばせてください” “今日もありがとうございました”という気持ちでフィールドに入っています。プロダクトを介して自然へのリスペクトや感謝を表現することができる、これもフューチャーライトというプロダクトの魅力だと思います」
僕ら自身がこの村を楽しめていないといけない
――これからの展望として、エネルギーシフトを見越した観光地づくりの構想もあるとか? この話はぜひ後編で掘り下げていきたいのですが。
野沢温泉のかねてからの課題はグリーンシーズンと平日の集客なんです。そんな中で、去年はコロナもあって、人々の暮らしや働き方がガラリと変わった年になりました。そんな今、この2つの課題をリモートワークであったり、ワーケーションで解決できるんじゃないかと考えています。それと、ここの観光施設の開発に自給自足やオフグリッドの導入が実現できたら、と構想しています。地域の課題解決と、社会的にも求められているエネルギーシフトを同時に実装できたらなって。
野沢温泉スキー場にて、2020‐21年冬シーズンにリニューアルオープンした「長坂ゴンドラリフト」。10人乗り、片道約8分、全長3,129m。全面がガラス張りなので、乗車中は野沢温泉の絶景を堪能できる。
野沢温泉の主な産業は当然ながら観光業です。観光に来るお客様は当然のことながら野沢温泉に遊びに来ているので、お客様を迎い入れる我々は、野沢温泉の魅力を知り尽くす、本物の“野沢温泉の遊び人”である必要があると思います。野沢温泉の自然や文化を四季を通して多角的に楽しむことのできる村民がより増えることが、野沢温泉を訪れるお客様へのより質の良いサービス提供に繋がるように思います。
そういう意味でもグリーンシーズンや平日の集客を増やし、ウィンターシーズンに偏った繁忙期のピークを一年を通して平準化することで、自らの遊ぶ時間を創出することも大切なことなのかなと思います。
あとは、二拠点生活の場所としてもっと選ばれるようになったらいいですよね。そうやって外から来てくれる人たちがヒントをくれたり、彼らのスキルが地域の課題を解決する可能性もあるじゃないですか。これからの時代、そういうケースがどんどん出てくるだろうし、地域とうまく融合させていくのが僕の役目かなとも思っています。
後編では、専門家とのクロストークを通して、これからの町づくりと低炭素ライフについて考えていきたい。
いかにライフスタイルを転換できるか |連載「アスリートと低炭素社会」記事一覧
河野健児
1983年長野県野沢温泉生まれ。小学校から高校卒業までアルペンレーサーとして活躍し、2002年にフリースタイルスキー・スキークロスに転向。12年間、ナショナルチームメンバーとしてスキークロス世界選手権、ワールドカップ、X-GAMESに参戦。元全日本チャンピオンで、ワールドカップ最高位は4位。現役を退いた現在もスキーヤーとして国内外の山に足を運ぶ。故郷でもある野沢温泉村を拠点に〈nozawa green field〉代表として一年を通して自然の中に身を置き、アウトドアスポーツの魅力を発信。また、野沢温泉村観光協会の理事も務めている。
Instagram:@kono_kenji
photo by Eriko Nemoto text by Ryo Muramatsu supported by The North Face