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写真家が移動できなくなったとき #06
2021.08.27

写真家が移動できなくなったとき #06
by 松本昇大

『The Loneliness of the Long distance Runner』。写真家・松本昇大の初期作品の中に、アラン・シリトーの名著『長距離走者の孤独』からタイトルを引用した、箱根駅伝の選手たちを写したものがある。特定の選手を追いかけるのではなく、その現場に漂うアトモスフィアをすくい取るべく、準備中の選手や真剣な眼差しを送る観客などとともに、朝の光があたったビルの写真が差し込まれている。立ち上る正月の空気と青春の匂い。以来、松本が写そうと試みているのは、スポーツによって生み出される感情の波かもしれない。その写真群の中に、若き日の大迫傑の姿もあった。

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8月28日より〈BOOK AND SONS〉において行われる写真展『HARDWORK』は、移動が制限された中で撮影された、オリンピック直前のランナー・大迫傑を写した作品が中心となっている。

彼は一人で走っているように見えた

——大迫傑、という選手に惹かれていったのはなぜなのでしょう?

箱根駅伝の頃から大迫くんのことは知っていたし、撮ってはいたんですが、当時は不特定の選手たちを撮ることが面白いと思っていたんですよね。大迫くんだけを被写体として初めて撮ったのは、雑誌『Number』の仕事で、彼が4年生のときかな。それからしばらく時間が空いて、2016年の日本選手権(日本陸上競技選手権大会)で10000mと5000mで優勝したときに撮影して、その辺から少しずつコミュニケーションをとるようになったんです。
 
大迫くんが走っているレースを見ると、駅伝でもトラックでも、一人で走っているように見えたんですよね。もちろん競い合っている他の選手がいるんですが、一人で走っているという表現の方が合う感じ。

Osaka, June 2017

——大迫選手は〈NIKE〉のオレゴンプロジェクトに参加するために、2015年からポートランドに移住しています。彼が自分で考え、一人で動くという姿勢を撮りたかったのでしょうか。

スポーツ選手って、基本的には結果を出せばそれでいいはずなんです。「撮影します」ってなったときに、そこにベクトルが向かない選手の方が多い。だけど大迫くんは、結果を残すのは当然として、メディアで取り上げられることの大切さを理解している。だから毎回ではないにしても、僕に対してもオープンな時があったんです。彼には現役を終えた後にも未来があるだろうなと思って、その違いはよく覚えてますね。
  
僕はスポーツ選手を撮るんですけど、スポーツ写真を撮っているわけではないんです。写真を撮る人や文章を書く人、もっと言えば写真が好きな人だったり、“こっち側”にいる人には理解してもらえると思うんですけど、そうではない、スポーツの世界の住人には理解しづらいことだと思うんですね。でも、大迫くんはわかってくれたんだと思いますね。写真のセレクトも、彼は少し変わってるんです。ブレていたり、ピントが合っていなくてもオーケーだし、自分がかっこよく見えるランニング姿を選ぶわけでもない。僕のセレクトとほとんど同じものを選んでくれる。

——スポーツ選手を撮るけれど、スポーツ写真ではない。もう少し言葉を重ねていただけますか。

例えばスポーツ選手を撮りたいのであれば、大会でパスを取って望遠レンズで瞬間を切り取る、というのが一般的なスポーツカメラマン像だと思うんです。そして、良い部分をメディアに載せる。当然、誰がメディアに出るのか、レース結果にも左右されます。もちろん必要なことです。でもそれでは、勝者を讃えなきゃいけないし、ドラマのある人を狙わなければいけない。僕が大迫くんを撮影するときもメディアに呼んでもらって、何かのプロモーションのために取材をするみたいなことが続いたんですね。そのどちらもが僕には表面的に感じられてしまった。大迫くんは、良い顔しているし、良いストーリーを持っているから、強く言ってしまうと、誰が撮ってもよく見えるんですよ。でも、本当に興味があるなら、仕事を飛び越えて、僕の主観で動かなくちゃいけない。だから、彼の最初のマラソンで、勝手にボストンに行って撮らせて欲しいって頼んだんですよね。

初めてのマラソンを走り終えたその表情を撮りたかった

——大迫選手にとって初めてのフルマラソンには、今と比べてそれほどメディアの注目が集まっていませんでした。それでも、撮りたかったと。

初マラソンで結果を残せる保証はどこにもなかったですから。日本のメディアはほとんどいなかった。僕はスポーツカメラマンじゃないからパス申請もできなかったけど、マラソンなら沿道から撮れるなと。ただしワンウェイのレースだからチャンスは一度しかない。それはそれで撮るとして、レース後のポートレートを絶対に撮りたいと思ったんです。それでSNSでダイレクトメッセージを送ったら、すぐに反応してくれて。以前に僕が撮影していたことも覚えていてくれたみたい。そうは言っても、本当に連絡くれるかどうかわからないなと思いつつボストンに行って、結果、3位だった。にもかかわらずレース後すぐに「今、動けるんですけど」って連絡くれて。選手が泊まっているホテルで落ち合って、周囲に人がいっぱいいる中に連れ出して、でも誰も3位になった選手だって気づいていない。そんな人混みの中でポートレートを撮ったんです。それから、本当の付き合いが始まったという感じですね。

Boston Massachusetts, April 2017

——松本さんの写真は、走っているところでさえ、いわゆるスポーツ写真とは一線を画しているように見えます。それは関係性からくるものでしょうか?

シンプルに言えば、引きの構図が多くて、一枚の画の中にいろんな要素を入れているからだと思います。新聞なり雑誌なりでレースを表現するとなると、どうしてもゴールシーンや極限的な表情にフォーカスしてしまう。それはよくわかるんです。でも、僕は自分も高校まで陸上をやっていたから、記憶に残るのはゴールシーンよりも練習中の仲間とのくだらない会話とか、放課後の綺麗な光だったりする。当時も保護者が大会の写真を撮ってくれたんですが、今では一枚も持ってない(笑)。多分、気に入らなかったんだと思うんです。だから、例えレースであったとしても、その目線で撮っている。大切な、記憶に残る一瞬を。
 
長距離走者としての未来もあって、考え方も面白い被写体と出会ったけれども、やっぱりコミュニケーションを取って、撮りたいと思ったんです。カッコいいポートレートや走る姿だけでなく、その他の部分も、彼を表現するためには必要だから。

初マラソンの時に、下見の空いた時間にボストン・レッド・ソックスの球場で、マスコットのぬいぐるみを買っておいたんです。大迫くんには観光する時間もないだろうから、うちの娘のお土産と、大迫くんの娘さんへのお土産として。撮影をした後のお別れの時にそのぬいぐるみを渡したら、それまで全然笑わなかったのに、笑ってくれたんですよ。当時、僕はまだ外の人だし、彼自身もうまく笑えなかったんだと思う。でも、そこに人間っぽさを感じたんですよね。

Flagstaff Arizona, June 2021

単身渡米。オリンピック直前のアリゾナ合宿に同行

 
——そのコミュニケーションを積み重ねていった結果として、今回の写真展で主に展示することになる、オリンピック直前の合宿への参加があると。

そう。アリゾナ州での直前合宿の時には、大迫くんの家族と動いていました。それまで大迫くんがレース前の追い込む合宿に家族を連れてくることは一度もなかったそうです。だから彼も最後のレースと考えていたんでしょうね。家族と、練習パートナー、後輩のランナーにプラスして僕というメンバーでした。
 
大迫くんが日本に帰ってきていた時に、「ケニアに行こうと思っている」という話を聞いて、「オリンピック直前までいるから撮りに来てくださいよ」と言われて約束していたからそのつもりだったんですが、ケニアでのロックダウンもあって、最終合宿をはっているアリゾナのフラッグスタッフに行くことにして。だけど、コロナ禍ですから。できる限りの検査もするし対策もするけど、100%の保証はない。だから何度も「本当に大丈夫?」と確認をして、アメリカで自主隔離を何日かして。それでも彼は「大丈夫です」と言ってくれました。僕と大迫くんが、自分たちで判断して決めたんです。

Flagstaff Arizona, June 2021

——大迫選手も、多少のリスクを考慮した上でも、松本さんに撮ってほしかった。

共犯関係みたいな(笑)。それは写真を撮る上で、大事じゃないですか。やっぱり一方的に撮るだけでは深まっていかない。写真も自由に使ってもらって構わない。逆にその時に撮影したグランドキャニオンで撮ったポートレートを使いたいと言ったら、使ってもらって構わないと。
 
どうしても写真って盗むものだから、長く付き合っていくためにはやっぱり一緒にやっていかないといけない。少なくとも僕は、一緒にやってきたと思っていて、彼もそう思ってくれたら嬉しいですけれど。これまでも写真をどう見せるか、ということにはすごく気をつかってきたつもりなんです。撮った写真を表に出せる媒体が用意できなかったら、僕の自己満足になってしまうし、僕が前に出てしまったら大迫くんを利用しているように受け取られかねない。彼はクレバーな人ですから、有名になるに従っていろんな人が寄ってきても判断できていると思うけど、僕は対等な関係でいたかった。
 
今回の写真展も、そもそも僕の写真展としてやっていいのかどうか、迷いもあったんです。オリンピック前の特別な期間を中心にした構成にする予定でしたが、引退もしたから、ちょっとまとめて見せたかった。大迫くんに言ったら、すごく楽しみにしてましたね。やっぱり選手からしたら一人の人間として扱った写真展って、新しいものだと思う。彼は写真家ではないから、どういうものかわかってないかもしれないけど、面白がってくれるんですよね。それから多分、選手をやめて次の道に進む時に、プラスになると思ってくれている。僕もそのためにやっている部分もあるから、やっぱり対等でフェアであることが大事なんだと思ってます。
 
作品という意識もないわけではないけど、正直言って、僕の視点なんてことはわかんないんですよ。でもわかんなくていいと思ってるんです。別にみんないろんな見方があっていいはずですから。

Flagstaff Arizona, June 2021

——大迫選手が世界的な存在となっていく過程を、ボストンを始めとして世界中で追いかけて、松本さん自身はどんなものを得たのですか?

スポーツの記憶に残る瞬間を撮りたいっていう思いと、その世界を隣で見たいという思いがあったんですね。世界の舞台でどんなプレッシャーを受けてどんな喜びがあるのか。そこに興味があったんです。でも、コミュニケーションをとるうちに、人間的な面白さがわかってきた。大迫くんは、孤独が似合う男じゃないですか。一人黙々と、クールな顔して走ってる。だけど、僕は人間くさい部分もよく知っているし、本当はよく笑うことも知ってるから。ずっと世間は誤解しているんじゃないかと思ってました。報道で見る大迫くんは別人にしか見えなかった。もちろん選手としてはベールに包んでおくことがメリットかもしれないけど、僕にはもったいないと思えたんですね。

Flagstaff Arizona, June 2021

オリンピックが終わって、アメリカで撮った家族写真をプレゼントしたんですよ。そもそも家族4人が揃うことがほとんどなかったらしいから。きっとその写真は、何年後かに家族のアルバムに貼られるような感じだと思う。でもそれって、やっぱり一番意味があるじゃないですか。僕が思う写真の意味はそこにあるから。

彼から受け取ったものは、言葉にはうまくできないけど、でも、だから写真を撮っていたんだと思います。

写真展『HARDWORK』
2021年8月28日(土)-9月14日(火)
12:00-19:00 水曜定休 /入場無料
東京都目黒区鷹番2-13-3 キャトル鷹番 BOOK AND SONS
03-6451-0845 / shop@bookandsons.com

松本昇大
1983年大阪府生まれ。写真家。2008年から2011年まで、写真家・若木信吾氏に師事。雑誌や広告などで活躍する一方、スポーツを題材に写真を撮り続け、 写真作家としても活動の場を広げている
HP: shotamatsumoto.com
Instagram: @sho_ta.matsumoto

photo by Shota Matsumoto text by Toshiya Muraoka