拠点であるLAで絵画、彫刻、パフォーマンスアートを中心に作品制作を行なっています。バンライフをスタートさせたのは2年半前のこと。ずっとフォルクスワーゲンのバンが欲しいと思っていて、街で気になるバンを見かけるたびに持ち主にメモを残していたんです。「このバンを売るつもりはある?」って。不思議なことに、残した全てのメモに返事がありました。そして縁があり、1990年製のシンプルなカーゴバンを購入することになったのです。
前のオーナーはサンディエゴ在住のプライベートシェフで、LAのセレブクライアントの自宅や別荘で料理の仕事をするためにこのバンを使っていたようです。外側はとてもきれいだったから、まずは中の設備を取り払って空っぽにして、自分らしい空間を作ることにしました。屋外での調理用に設けた、跳ね上げ式の作業台や、薄いベニヤ板で作った棚。車内のトレイやテーブルも跳ね上げ式で、テーブルをしまうとベッドを広げることができます。収納もたっぷりあって、移動中にものが落ちないようにさまざまな工夫を凝らしています。こうした改造は、スペインからやってきた彫刻家の友人が2週間かけて仕上げてくれました。車内のインテリアは娘と私の担当。自分たちが快適と感じられるもので設えてあります。
バンを中心に暮らしが象られていった
いまやこのカーゴバンは私の仕事場であり、移動手段であり、社交の場。ハーブや花で飾って、娘の学校でポップアップショップを開いたことも、自分のアートプロジェクトに活用したこともあります。問題があるとすれば、近頃、娘がグレタさんのように環境問題を意識するようになったこと。「ガソリン車はやめてほしい」と言われていて……。娘の成長を好ましく思い、またそうした視点を応援していきたいと思いつつ、クルマをどう駆動させるかが私たちの課題になっていきそうです。
バンライフを始めると、自分たちの生活に本当に必要なものがわかってきます。食材を冷やしておく小さなクーラーボックス、数枚の皿。氷が入っているというだけで冷たい飲み物がありがたく、娘とピクニックをするときはすべての食材は無駄にならないよう、まるごといただく。すべてがとてもシンプルで、私たちに必要なのは、このシンプルさだと実感しました。このバンは私にとって、どこにでも行ける、なんでもできるという強さや自由の象徴。いつだったか、バンをマルホランド・ドライブに停めて「話、聞きます」という看板と椅子2客を出すというインスタレーションを行ったことがありました。この展示にやってきた友人と椅子に腰掛けて長時間話し込んで、彼女と私の間には特別な絆が生まれました。私にとってアートとは、自分の人生や価値観、内面を紐解くプロセス。つまり、このバンは私のアートの一部であり、作品を生み出すエネルギーをくれる存在でもあるのです。
トパンガキャニオンの土地との出合い
このカーゴバンは私たち親子に自由に移動するシンプルな暮らし方を教えてくれただけでなく、素晴らしい土地に導いてもくれました。それが、1年前に購入したトパンガ・キャニオンにある、樫の木の保存地区になっているこの土地です。トパンガ・キャニオンは、パワースポットとしても知られるエリアで、ネイティブアメリカンの言葉では“天国の扉”と言う意味を持つ小さな町。初めてここを訪れた時、「これが自分のホームだ!」という強いひらめきのようなものを感じたんです。「ここは私がいるべき場所で、なにかをこの地に造らなくては」って。そこで2.5エーカーの土地を購入し、自分の居場所を作り始めました。
初めに取り掛かったのは、ここにあった不法占拠の建物の取り壊し。次に、唯一残した建造物である14フィートの壁に絵を描きました。5日間かけて仕上げた壁画のテーマは娘と私と亡くなった母で、描いている間にヤマネコやらヘビやら、たくさんの野生動物が現れて、あらためてここは特別な場所なんだって思わされました。そこでこの場所そのものをアートプロジェクトにしようと決めたんです。
この土地では、元物置の小さな小屋に滞在しています。簡易の調理台でお湯を沸かし、のんびりとコーヒーを淹れ、自分だけの静かなひとときを過ごします。中西部のノルウェー移民の家庭で生まれ育った私にとって、自然のなかで労働し、食事を楽しみ、眠りにつくという行為はごく自然なこと。いまや娘も、私が子どもの頃に中西部の田舎でそうしていたように、この土地を自由に歩き回ってここでの時間を満喫しています。いずれは、シンボルツリーである樫の間に小路を作って瞑想のための庭と、建設許可がおり次第、キャノピーで覆われた、アウトドアのソーラーキッチンを設けようと思っています。パンデミックのさなかには、ここに友人を招いてディナーキャンプをしました。私たちはディナーを振る舞い、彼らは持参したテントでキャンピングを楽しむ。パンデミック中は国立公園や州立公園も閉鎖されていたから、こうした、自然に囲まれた逃げ場があることは大きな救いになりました。
パンデミックをきっかけに、都会から脱出
認知症を患っていた母を亡くしたのはコロナ禍のこと。私はシングルマザーなので、いまや自分の家族が娘だけであるという事実に慄然としました。私の両親は大家族で、私も大家族の絆を当たり前だと思っていたから、孤独感を感じることはとても辛かった。孤独感のなかで感じたのは、パンデミック以前、私は生活、人間関係、アート、全てがうまくいっていると思っていましたが、実はそうじゃなかった、ということでした。自分にとってもはやLAのコミュニティは、なんの意味を持たなくなったことに気がついたんです。そこで孤独感を紛らわすためにも、シンプルでより豊かな生活にシフトしようと考えたんです。バンライフは、私たちの生活にシンプルさ、身軽さをもたらしてくれた。そこからさらに一歩進んで、都会を抜け出して自然のなかに身を置こう、って。
引越しを決意したというLAの自宅の寝室には、自身のアートワークが飾られている。
トパンガ・キャニオンに来て感じることは、LAからここまでバンを運転して、そして小屋で静かなひとときを過ごしていることは、それ自体が自分の学びの賜物である、ということ。私と娘はLAを脱出してユタに引っ越す予定なのだけれど、バンとこの土地はいつまでも私のものだし、ことあるごとにここに戻って自分の思う通りのことをやり続けたいと思っています。これはいずれ、娘に受け渡す人生のプロジェクトなのかもしれません。
Suzanne Erickson(スザンヌ・エリクソン)
アーティスト。ウィスコンシン州ヴェローナ出身、クレアモント大学院芸術修士。2004年から、自分自身の内面および女性性やジェンダーの表現をテーマにアーティスト活動をスタート。アーティスト活動と並行して俳優、モデルとして活動していたことも 。
HP:www.suzanneerickson.com/
Instagram:@suzanneericksonart
photo by Johnny Le / Suzanne Erickson Coordination & Text by Chinami Inaishi Edit by Ryoko Kuraishi