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写真家が移動できなくなったとき #08
2022.04.25

写真家が移動できなくなったとき #08
by 山内聡美

Googleストリートビュー上で「写真」として成立している瞬間を抽出し、「ARTIFICIAL SENTIMENT DRIVE」と題した展覧会を行った写真家・山内聡美。

移動せず、シャッターさえ押さずに完成した写真展だが、そこに立ち上がっていたのは、逃れようのない山内らしい視線だった。自宅のソファから選び出した瞬間は、翻って「写真」とは何かを問いかけている。

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» 山内聡美
訪れたことのない風景、無作為なシグナルに寄せる感情「ARTIFICIAL SENTIMENT DRIVE(2022)

——まずは、このプロジェクトを始めたきっかけから教えてください。

本当になんとなく始まったんですけど、それこそコロナ禍で家にいて、携帯を見る時間が増えたっていう大前提があって。Instagramを見ていたら、イスラエルのアクセサリーブランドのアカウントが出てきて、ショップの位置情報からイスラエルの店ってどういう外観なんだろうと思ったんです。Googleストリートビューを見てみたら、店の裏手だったと思うんですけど、すごく綺麗なお花畑みたいなところに辿り着いた。それを見た瞬間に、写真としてスッと入ってきて、普通にいい写真だなと思ったんですよね。それまでストリートビューの画像と風景写真は私の中で全く別のところにあったので。それでGoogle上で散歩を始めたというか。まず、その光に驚いたんです、あまりに普段見ている日本のストリートビューと違ったので。360度丸々、写真としてかなり成立してて、思わずスクリーンショットを撮りました。だけど、もうちょっと見てみようと思って角を曲がった瞬間に、今まで見ていた“感じ”が終わって、いつものストリートビューの世界に戻ったんです。それで「あ、たまたまだったんだ」と知って、それからランダムに世界中に行ってみたりしました。今回の展示は、アメリカのスクリーンショットをまとめています。

撮らなくても、写真はもう既にある。

——山内さんは、幼少期に暮らしていたアメリカをひとつのテーマとして作品を撮り続けていますが、なぜ、今回もアメリカだったんですか?

やっぱり風景としてアメリカに一番馴染みがあったから。他の国とは縁もないですし、スクリーンショットだとしても観光気分が大きいというか(笑)。
ただ、今回のプロジェクトでは、作為みたいなものがない世界に興味があった気がしているんですね。普段の生活では自分でも撮ってますし、写真を見る機会もものすごく多い。それはそれで1枚1枚素晴らしかったりもするけれど、飽和状態のような気持ちもここ数年あったんです。単純に1日に目にする写真の量が、ものすごく多いですから。例えばファッション撮影の仕事だったら、クライアントから「レファレンスください」と言われて、Pinterestでイメージを探すみたいな時間もあったりして。イメージは飽和状態で、「もう写真ここにあるじゃん」という気持ちもあるんです(笑)。もちろんそのクライアントの服で撮り直す必要はあるけれど、「イメージはもうあるじゃん」って。

——今の「写真」を考える上で、すごく重要なポイントだと思います。氾濫するイメージと誰もがカメラを持っている状態で、写真とは? と常に問われている。

そう。ストリートビューって、Googleが用意したクルマの上にカメラを載せて街中を走り周っていて、撮影者はGoogleになるけれど、そこにはカメラを構えている人がいないわけです。作為がないのに、自分にとってクオリティが高いというか、風景写真として魅力を感じる写真があったことが、この展示をやろうと思ったきっかけかもしれません。撮影者の作為も超えている写真というか。

ちなみに、一応補足しておきますけど、ストリートビューって、Googleがクルマを走らせて撮影しているものと、認定フォトグラファーが歩いて撮影したものとがあるんです。認定フォトグラファーの撮影は、山頂などの僻地だったり、敷地内や屋内なんですけど、今回の作品はGoogle Carで撮影したものに限ります。

では、何が写真として成立させているかと言うと、私の解釈では結局テクニカルなことなんです。例えば光の入り方とか、構図が超広角よりも標準レンズっぽい感じがあった方がいいとか。最初にイスラエルのお花畑を見たときにも、光の取り込み方がバッチリだったから、一枚の写真として見えたんです。だから、実はそれだけのことかもしれない。

——ただ、偶然、光や構図が成立している写真を選び出すときにも、山内さんなりの視点は介在せざるをえず、でもだからこそ作品として成立しているのではないでしょうか。

そう思ってます。みんな無意識に、光や構図のいい写真を綺麗だね、いい写真だねって思っている。写真家は、フィルムで撮ったり、色を補正したり、いろいろ考えてアウトプットしているわけですよね。でもストリートビューがやっているのは、本当にただの受け身で、ただ走っていたら光が綺麗に入っちゃっただけ。本人にはそんなつもりもまったくないのが、かっこいいなって(笑)。ただ正確な位置データを残すことが目的で、写真として意識はされていない。無数のデータの中の一部であって、特別気にも止められていないのに、私はなんて素敵な風景写真なんだろうって思ってしまう、その温度差。私は撮影するときに、こんなに試行錯誤しているのにって。だから、そのスタンスは憧れに近い(笑)。

私がかっこいいと思う風景写真は、いわゆるニュー・カラーと呼ばれるもので、自分が思う画角や色味は、絶対に影響されている。でもストリートビューには、絶対そういうことはないわけです。なのに撮れちゃっているところがかっこいいという(笑)。そのドライな感じに惹かれるのかもしれません。

——アメリカの中で場所を選ぶ際には、どうやって選んでいたんですか?

場所に意味はないんです。「撮れている場所」を探すのが目的だったので、乾燥地帯とか、砂が空気中に舞っているようなところは撮れている確率が高いのでは? と、それくらい。今回のスクリーンショットと自分が撮影した写真を比べて、どちらが好きかと言われたら、変わらないんですよ。私には、自分が撮ったからいいっていう気持ちがないんです、もともと。昔、住んでいた街ならば自分が撮る意味あるけど、そうではない所縁のない土地なら、既に存在するいい写真の方がいい。ストリートビューだったとしても、あそこに収められている写真はもう圧倒的にかっこいいから、そこに私が行って撮り直したいなんてまったく思わない。あんまり自分が撮るっていうことに執着がないんです。

——コロナ禍で移動ができなくなってしまったけれど、別に行かなくてもよくなってしまったと?

写真を撮るためだけだったら、行かなくても別にいいですね(笑)。新しくストーリーを作りに行くっていう考え方もありますけど、今のところ自分に関係がない土地に行って撮りたいとは思っていないです。

「Celebration」(2015)
「This Must Be The Place」(2015)

iPhoneで完結する世界を、フィジカルと合わせたかった。

——今回の展示方法は、ストリートビューをスクリーンショットした「写真」をポジマウントにして、映写機でスライドしていました。デジタルデータではない、展示方法の意図について教えて下さい。

iPhoneを開いて、スクショして、インスタにあげてっていうのを何となく始めたんですね。2020年だけが特別に変な年になるだろうなと当時は思っていて、その1年の限定的なプロジェクトみたいに。ストリートビューの、よく知らない場所なのに、みんなが「いいね」してくれる感じが面白かったんです。Google mapで探して、スクショして、アップして、いいねされる、その過程が全部iPhoneの中で完結してる感じで。データすら引き抜いてないし、って漠然と面白がっていた。この感じをどうやって展示するか考えたときに、液晶モニターで展示しても何の意味もないような気がしたし、スクショをプリントするのも違うだろうと。全部このiPhoneの中で完結したものだからこそ、フィジカルに体感できるものと合わせたいと思ったんです。

GALLERY 360°で行われた写真展「ARTIFICIAL SENTIMENT DRIVE」の様子。撮影:Momoko Kaneko

学生時代に、授業で先生が名作をポジのスライドプロジェクターで見せてくれたんですよね。あの薄暗い部屋で、次のコマに送る音を聞きながら、みんなで一点を見る時間が好きだったから、あれをもう1回やりたいなと。

それからストリートビューの景色って、どんどん更新されちゃうんですね。大きなメイン通りは遡る機能もあるらしいですけど、基本的にはどんどん更新されて、見えなくなってしまう。実は流動的で、ずっとそこにあるわけではない景色なんです。スライドショーで大きく投影したんですが、それがザッと消えて、次が投影され、また消えていく感じも、私がストリートビューの風景に抱いている気持ちと合っていたんです。

——薄暗い密室で、一点を見つめている。そこに他の鑑賞者もいたりして、非常に身体的な感覚を得ました。

それは嬉しいですね。鑑賞者は、映し出されたものをかなり受け身で見ることになるじゃないですか。5、6秒表示されて、パッと変わる。次に何が来るのかは見ている人にはわからなくて、でもそのおかげで、純粋に写真として入ってくるというか。空の色の美しさだったり、夕暮れ時の良さだったり、反射的に感じるものがあるはず。もちろんプリントをじっくり見たりするのも楽しいんですけど、そもそも私が撮った写真じゃないので(笑)。プリントして額装するとなると、いかにも「my photography」っていう感じがしてしまうなと。

これからの「写真」と、
ストリートビューの深淵。

——山内さんが専門学校の授業でスライドショーを見た経験のような、身体的な写真体験が、デジタルネイティブの世代にどう残っていくのか、今度どう変わっていくのか、何か考えはありますか?

どうなんでしょう。写真に携わる人たちの中には常々、フィルムの方が正当である、という感覚が漠然とありますよね。それは若い人にもいて、「フィルムで撮っています」と言われることも少なくない。でも、なぜ? と問われたら、明確な理由は説明できなくて、ちょっとフィルムが崇められすぎているような気もするんです。私もフィルムが好きだし、気持ちはわかるんです。でもデジタルを日常的に使っていて、それでいいんですよ。そのフィルム/デジタルみたいな話を、ストリートビューは飛び越えているというか、その感じが私は結構気持ちいいんです。だからいい写真か、人がグッとくるかどうかは、何で撮っているかは関係ないっていう気持ちですね。私が好きなニュー・カラーも、芸術写真はモノクロが正当だと言われていた時代にカラー写真で作品を発表して新しい概念を作り上げました。そういう背景にも惹かれますし、共感します。

GALLERY 360°で行われた写真展「ARTIFICIAL SENTIMENT DRIVE」の様子。撮影:Momoko Kaneko

——今後もこのプロジェクトは続けていくのでしょうか?

ノープランではあるんですが、今回の展示の最中にウクライナ侵攻が始まってしまって、それまでウクライナのことなんて全然わかってなかったんですけど、侵攻を受けたところ周辺をストリートビューで見ると、綺麗な景色ばかりが残っているんですね。今は単純に、残酷な現実と少し過去が写っているストリートビューとの差が、やっぱり気になってしまう。リアルなことを大前提としてストリートビューは存在しているけれど、今、世界の一部では現実とはあまりに違う世界が表示されているから。少しずつスクリーンショットを残しているんですけど、それを発表するかどうかはわかりません。

日本でも、おばあちゃんの家を見に行くと去年亡くなったのにまだ生前の姿が写ってるとか、福島の方が「時々、見に帰ってます」とか、展示中にそういう話を聞いたんですね。私にはそういう場所はないけれど、ストリートビューにはエモーショナルな存在意義があるんだなと。

だから超便利なマップであると同時に、タイムトラベル的な機能もあるっていう感じで、もはや手に負えない(笑)。ストリートビューには、本当に言い表せないくらいのポテンシャルがあるんですよね。

山内 聡美
写真家。神奈川県生まれ。幼少期の8年間をアメリカで過ごす。2006年より都内スタジオ勤務/フォトグラファーアシスタントを経て、2009年よりフリーランスフォトグラファーとして活動開始。精力的に作品を発表する傍ら主にカルチャー、音楽、ファッションの雑誌/WEB媒体にて活動中。

最新作『ARTIFICIAL SENTIMENT DRIVE』の写真集はコチラから。

satomiyamauchi.net

photo by Satomi yamauchi text by Toshiya Muraoka