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移動する建築家が求めてきた知性と野生のバランス #01〈前編〉
2025.01.17

移動する建築家が求めてきた知性と野生のバランス #01〈前編〉
by 谷尻誠

noru journalがおくるPodcast番組『窓がうごく(仮)』では、旅すること、移動することが暮らしに根付いている人々をゲストに迎え、さまざまなお話を伺います。初回のゲストのは、建築家・企業家の谷尻誠さんです。いつからか都市と自然とを行き来するようになった谷尻さんに、そのきっかけから、建築家にとって日々移動することはどのようなメリットがあるのかを前後編に分けてお届けします。

ここでは音声コンテンをまるッとテキスト化してお送りしていきます。

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何もない場所から何かを生み出すこと、デベロップすること

村松亮(以下 村松):本日は第1回目のゲストをお招きします。建築家の谷尻誠さんにお越しいただきました。よろしくお願いします。

谷尻誠(以下 谷尻):はい、お願いいたします。

村松:谷尻さんは〈noru journal〉としては実は初めてご登場いただきますが、これまで弊社のクライアント案件で何度かインタビューさせていただいておりまして、常々「移動」をテーマにお話しを伺ってみたいなと思っていたんですね。谷尻さんというと、すごく「移動」が日常にあるなと思っていますので、今日は根掘り葉掘り伺っていきたいなと思ってます。

谷尻:はい。

村松:すごい移動されてますよね?

谷尻:してますね。最近は減りましたけど去年ぐらいまでは年間100フライトくらいしてましたね。

村松:基本移動は飛行機?クルマ?もう、混ぜこぜですか?

谷尻:混ぜこぜです。週末は必ずどこかに出掛けているのでその時はクルマでの移動が多いですし、ウィークデイの仕事の移動は飛行機が多いですね。

村松:おそらくリスナーの方の中には谷尻さんがどういう人かを知らない人もいるかと思いますので簡単にプロフィールを読み上げさせていただきます。

谷尻:はい。

村松:1974年広島生まれで、2000年に建築設計事務所の〈SUPPOSE DESIGN OFFICE Co.,Ltd.〉を立ち上げられていて、2014年からは吉田愛さんとの共同主催。現在広島と東京の2ヶ所を拠点にされている事務所です。さらにここから大変ですけども。近年SUPPOSE DESIGN以外に〈絶景不動産〉〈tecture〉〈DAICHI〉〈yado〉〈Mietell〉など、他分野での開業と事業を設計されていてなかなか多岐にわたって活動されています。建築家でありながらすごい色々事業を立ち上げられていますけども、実は先ほど収録前にも「肩書き建築家で大丈夫ですか?」と確認させていただいていますが、軸足としては建築家は常に意識されてる感じなんですか?

谷尻:そうですね。色々法人を立てて会社は増えてますけど、常に軸になってるのは建築で、バスケットで言うならピボットしてる感じです。

村松:僕、全然バスケット疎いんですけど、ピボットってなんですか?

谷尻:ピボットっていうのは例えば左足を先につくと、左足は動かしてはダメだけど、右足はトントン動かしてもいい状態なんですね。なので軸は変わらず、場所や、向いている方向が変わる動作のことをピボットっていうんです。設計が軸にあって、それにまつわる不動産があったりだとか、宿泊事業があったりだとか、メディアがあったりだとかっていうふうに常に建築のことを考えるために他のことをやっているイメージですね。

村松:ほんとに多岐にわたって色々事業されているなと常々拝見はしていましたし、〈noru journal〉を始めたのが2020年で、実は立ち上げの頃から谷尻さんにお話し聞きたいなと思っていた、きっかけになったのが、〈DAICHI〉のスタートだったかな。すごく移動されている建築家と僕は捉えていたんですけど、頻繁に移動するようになったのはいつぐらいからですか?

谷尻:1番意識的に移動するようになったのは8年、9年前ぐらいからですね。息子が生まれて、東京に住んでいると遊びに行く場所がいつもお金を払って誰かがつくった場所にお邪魔する感じのことが多くて、なんかこのままだと(子ども自主的に)何か新しいことを生み出したりってことが出来にくい環境とも言えるなと思って。美術館にお金を払って行くとか、子どもの遊べる場所に行くとか、公園に行ったとしても、遊び方が用意されているし。このままでいいのかなって思いもあって、徐々に人工物とは対称的に、自然を求めてキャンプに行ったりするようになったんです。そういうことをしないと遊び方を発明しないんじゃないかなと思って。自分も幼少期そういう経験をしていたので。その頃から週末になるとキャンプへ、みたいなことが始まった感じですね。

村松:『職業=谷尻誠』という本の中でも、お子さんがご自身で遊びを考えたり、自発的にクリエイトしていくみたいなことをきっかけに外に連れ出すようになったと書かれてましたけど、そうすると、子育てだとか、お子さん視点で移動するようになったっていうのがスタートだったんですね。

谷尻:そうですね。僕自身も好きなのもありますし、東京でずっと働いてると頭ばっかり使って体が置き去りな感じもするので。知性は養われるけど野生感が置き去りな状態だったのを自然に行って、野生感を取り戻しながら知性感と野生感をバランスを取りながら仕事できる方が、自分にとってはすごくバランスいい感じがしたっていうのもありますね。

村松:子育て視点で移動するようになって、趣味としてキャンプや釣りなどに拡がって、そこから事業に膨らんでいったのはどんな経緯や思いからだったんですか?

谷尻:普段僕らは建物を建てたり、インテリアデザインだとか、プロジェクトが決まって、はじめて依頼されることが多いんです。コロナ前までは行列のできるラーメン屋のごとくめちゃめちゃ仕事も来ていたんですよ。毎日依頼があるし、すごく忙しかったんですけど、コロナになった瞬間、誰1人依頼してくれなくなったんです。その時に「あ、下請けなんだな」と思って。結局、誰かに頼まれないと仕事ができないやり方をしているから、仮にこのパンデミックが終わって普通に戻ったとしても、また同じことが来た時にまた不安になるんだなと思ったんです。仕事をつくる側にいかないと、この不安をまた繰り返すことになるので、自分で設計できる機会自体をつくり出すような動き方をしようと、〈DAICHI〉という会社をつくりました。宿泊施設やキャンプ場の運営を始めて、その運営をしながらまた設計にフィードバックする方が、より本質的に設計を捉えることができるんじゃないかとも思ったので。それで少しづつ、クライアントワークに依存しすぎないようになって、少しだけ運営側の気持ちも理解できるようになりましたね。設計を請け負うだけじゃない立場から設計をできる事務所になりたいという思いもあって、そういうことを始めた感じですね。

村松:建築家、建築事務所として自走するようなビジネスをつくっていこうという時に、自然だとかフィールドに着目したと思うんですけど、それは前からなんとなくアイディアやイメージってあったんですか?

谷尻:ある時期、すごくキャンプに行っていて、年20回ぐらいキャンプしていた時にいつも仕事は都市が中心で、自然とか地方での仕事が少なかったんです。遊びで自然にいく、仕事で都市にいる、っていう関係で。でも、仕事で自然に行くということがもし創り出せたら、それはやりたいことだなと思ったんですよね。僕らがお手伝いしている仕事って、人が多い場所に建物をつくって、集客して、そこでビジネスが行われ、お金が落ちていく。そういう仕事をいつも依頼されていたんですけど、自然の中でも、それってできるんじゃないかなと思って、“ネイチャーデベロップメント”というコンセプトを立てました。都市をデベロップするデベロッパーはたくさんいるんですけど、自然をデベロップするデベロッパーはあんまり聞いたことがなかったので、そういうことを少しづつ出来るようになれたらいいなと思って、〈DAICHI〉を始めました。

村松:〈DAICHI〉は具体的にまず何から始めたんですか?

谷尻:1番最初に始めたのは廃業してたキャンプ場を借り上げて、全部リブランディングしてプライベートな会員制のキャンプ場を始めました。

村松:自分たちでフィールド探すところからですか?

谷尻:だいぶ前に、テントが60サイトぐらい張れる大きなキャンプ場が洪水で流されて15サイトくらいの規模に縮小してしまい、運営に困られてたオーナーさんがいたんですけど、そこを再生して欲しいという相談が事務所に来たんですね。それで1度そのキャンプ場行った時に、こんな風にしたらいいですね、みたいな提案はしていたんです。でも結局プロジェクトは止まったまんまだった。それでコロナになって、コロナ期間中、僕はめちゃめちゃキャンプに行ってたんで、その廃業したキャンプ場の前をいつも通っていたんです。良い場所なのにずっと閉じててもったいないなと思っていたので、ふと、これ僕らで借りることできないかなと久々にオーナーさんに連絡をしたら貸してもらえることになって、ではここを再生することから始めようっていう。

嘘なく設計するために。建築家・起業家という肩書に課した思い。

村松:その後に〈DAICHI〉では、別荘のビジネスも始めますね。

谷尻:本当は別荘を先にやろうと思ってたんですけど、土地を買って建物を建てるまでの時間がそれなりにかかるので、キャンプ場は一応形がすでにあったものだったので先にそっちが出来上がったんです。

村松:別荘は、オーナー権も複数人で所有するというシェアのスタイルにはしてますが、その辺はどういう思いや狙いでシステムをつくったんですか?

谷尻:キャンプ場の時も別荘の時も同じ考え方で、ゴルフの会員券をシェアできるみたいなものがあると良いのになって思っていたんです。会員であれば、いつでも好きな時に使えて、使わない時に人にそれを貸してあげることもできる収益モデルにできないかと。ホテルだとそういう仕組みって結構あるんですけど、あんまり他のものでは見ないなと思って。キャンプ場も15サイトだったら15組の会員を集めて自分が使わないときは一般開放して、会員でない方が泊まった分の配当をオーナーたちに払うっていうような仕組みができれば、ただ単に会員を持っててお金を払って終わりっていうのじゃなくて、ある種、小さな投資のような状態にもなれるんです。そのキャンプ場の権利を持つことによって、例えば会社のスタッフが行けるだとか、福利厚生として使えるだとか、研修で使うこともできるんです。キャンプ場も別荘も、そういうシェアできるような仕組みにしていく方が僕だったら会員になりたいなと思って始めたんです。実際やってみたら、月々の会費よりもお客さんはたくさん来てくれたので配当の方が多くなったりして、キャンプ場を使ったり、別荘も利用するために月々のお金払ってるけど、それ以上お金が返ってくるみたいなことが起こせたんです。これはオーナーにとっても嬉しい、そこを体験できた人も嬉しい、そして事業をやってる僕らとしても事業として成立して嬉しい、なんか三方良しなビジネスモデルだなと。なんとなくうまくいったというか(笑)。

村松:いわゆるビジネスモデルから物事を始めてなさそうに見えるんですけど、そうなんですもんね?

谷尻:僕らみたいなものをつくり出すクリエイターの職業って、センスみたいなもので語られるじゃないですか。センスがいいとか悪いとか、それはぼんやりわかるけれど、結局、具体はわからないじゃないですか。でもそれを数字に置き換えると、想像力ある人もない人も、1より2が大きい、2より3が大きいってことで多くの人に理解が及ぶんです。だから言い方はあれですけど、センスがわからない人でも数字的にいいよねっていう説得力も生まれるんです。一歩進んだ理解が生まれるので、その方がより社会に届くと思っでいるんです。なので僕はあえてクリエイティブを数値化する、ということが必要だなと思っています。クリエイターって、数字にするの嫌うんですよね。お金よりロマンみたいなところがある(笑)。でも僕は好きなことでちゃんとビジネスできている方がきっとみんなが幸せになれるんじゃないかと思ったので、ちゃんとお金の仕組みを理解して、それも一緒にクリエイティブで届けていくことをやろうと思ったんですよね。

村松:それはご自身のキャリアの中で、も初期の頃からのお考えなんですか? どこかで気づいたことなんですか?

谷尻:僕も以前はお金に全く興味がなくて、会社の売り上げも知らなかったんですよね、ずっと。でもそれってどういうことなんだろうって考えた時に、自分がお金をちゃんと理解してないってことは、スタッフにいい環境を提供できない経営者だとも言えるなって。だとしたらしっかりと数字も見て、どういうふうに事業を成り立たせて成長させるのか、そこまでコミットできて、頼まれただけの設計者ではく、事業全体を見れる設計者になれば、もっと深く、クライアントワークにもコミットできると思ったんです。運営まで自分もやる、経営もやる、って方が、嘘なく設計できるようになると思ったんですよ。普段僕らは、建物を渡していなくなる仕事なので。だから運営がどんなふうに行われているか、経営がどんなふうに行われているか、そこはわからないんです。お金の管理でいうと、工事費の管理しかしていないですし。でも、もっと事業全体が見れて、総事業費の中でどれぐらいの土地で、建物にどこまでかけるべきか、どれぐらいの事業にするためにはこれくらいの予算でやった方がいいなだとか、成功させるためにはどんなふうにPRしたり、集客したり、発信した方がいいか。そこまでアドバイスできれば、きっともっと信頼度が高まるなと思ったんです。設計以外のことのようだけど、設計の力がより発揮されるから、できるだけ色んなことをやってみようって。

村松:領域が拡張する瞬間がどこかであったんですか?

谷尻:1番初めは自分たちの事務所の中に社員食堂をつくることがきっかけだったと思います。スタッフがコンビニ弁当とかを食べてる姿を見て、妻が料理家なんですけど、(彼女が言う)「体の細胞の原料は食事だ」っていう言葉がずっと残ってて、うちのスタッフはコンビニ弁当で細胞ができてるなと思ったら、若いときはそれでいいんですけど、いい会社を作るってことはもちろんビジネスがうまくいくってこともあるけど、健全な体と健全な思考を司る必要もあるので。まず、体の細胞自体を健康な食事からつくっていくことがいい会社を作ることになるなと思って、食堂を設計事務所の中につくり、社員食堂でありながら、それを一般公開して地域の人や来てくれる方の健康を司るような場所にしようって始めたんです。その時に友人が遊びに来てくれて、「谷尻さんって、ベンチャーだよね」って言われたんですよ。彼らがやってることって、新しい価値を想像しながら、常にいいサービスになるよう日々アップデートしようとしているわけですよね。でも設計をやっている自分たちの会社を見た時に、ベンチャーみたいな意識でもっと良くなる方法がないか、もっと社会に良い影響を与える方法はないかって考えてるかと振り返った時、まだベンチャーとしては意識が足りないなと思ったんです。その時から自分に「建築家・起業家」っていう2つの肩書きを与えて、今日からもっと今までやってきたことを見直す自分になるって決めたんですよね。そうするとやれることがたくさん見えてきて、これもやらないと、あれもやらないとっていうふうに意識が変わって、わりとせっかちな性格なので、やると決めたらとりあえず始めてしまう感じなんですよね。


社食堂:Photo by Tetsuya Ito

反対されるからこその、価値化の可能性

村松:社食堂を始める前の気づきって、ともすると一般の人たちでも気づける気づきというか。すごく日常に目にするような光景じゃないですか。だけどそれを実際にやろうと思ってやり切る、実装する時に色んな障害とか迷いとかありますよね。

谷尻:あります。

村松:1回やり切ったことで、その成功事例を体験したことで、それ以降やっぱり色んなことに対してハードルが下がったなどありましたか?

谷尻:そもそも食堂をやろうと思った時に、代々木上原から歩いて7分とか、8分くらいの場所に僕らの事務所があるんですけど、お店がたくさんあるエリアかといったら無いですし、そういう場所で食堂という機能をつくった時にスタッフが食べられることはさておき、こんな所までわざわざ人が食べに来るのかとか、色んな人が来たら今まで静かに働いてた事務所にザワザワした空気が流れたりだとか、そもそも守秘義務はどうするんだとか、ずっと見られてるみたいで嫌だとか。みんながすっごい、反対意見を言ったわけです。その時に思ったのが、これってまだ価値化してないってことだって思ったんですよ。つまりみんながいいねってことはその価値が世の中にあるからみんながいいねって言えるだけで、これだけみんなが反対するってことはまだ価値化してないことだから、これをちゃんと実現できれば間違いなく新しい価値になるっていう確信に変わったんです。

村松:何度か僕も社食堂は訪れていますけど、ほんとそうなんですよね。話は飛びますけど、谷尻さんにインタビュー取材する時は、だいたい東京事務所なので、オフィス内で動画の収録も何度もやらせてもらっていて、オフィスに併設してる社食堂のおかげで、いつも同録(音声と映像を同時に録画・録音すること)困るんですよ(笑)。録音部がいつも頭抱えてるんです。でも、毎回あそこでやってアウトプットも3、4回してきてるから、つまり広告的にもそれでも実は成立できるんですよね。成立しちゃえてるというか。面白いですね。

谷尻:静かな方が集中できるって、本当かなって思っちゃうんですよね。

村松:(笑)

谷尻:僕とかは、わりと静かすぎると緊張しちゃうし、じゃあなんでスターバックスってオフィスみたいになってるんだろうとか、なんでオフィスがあるのにわざわざスタバで仕事するんだろうとか。スタバだって常に音があるし、人の話し声もあるけど、雑音ではなく生活音があるってことは、実は音があるけど落ち着いた状態をつくることにもなり得るので、そう考えると、常に音があれば、無い状態に感じれる人間が芽生えてくるというか(笑)。やっぱり慣れる生き物なので、その状況に慣れた方がいいんじゃないかなって思いましたし。よく言うのは自分の勉強部屋よりもダイニングで勉強した子の方が集中力があるみたいなことって皆さんも聞いたことあると思いますけど、音があることによって、集中による音の無い世界を獲得できるとも言えるので、それをやればいいんだなと思ったんですよ、その時に。いざやってみると、守秘義務に関しては気にする人はうちに頼まなきゃいいって決めたんです(笑)。

村松:(笑)

谷尻:それよりはこういう考え方を持って仕事をしていることに共感して仕事を頼んでくれる人と僕らも仕事をすればいいだけで、よりお互いが選び合える環境とも言えるので、それを選んでオープンにすると、この働き方いいってなって、すごい色んな企業が見学に来たりして。その頃、本当に2日とか3日に1回は取材があって、勝手にいいオフィスだってことが広まりました(笑)。

村松:(笑)

谷尻:オフィスの依頼はめちゃめちゃ増えましたね、その時。僕らはやっぱり作る仕事なんだから、ないものはさっさと作って見てもらえば言っていることが伝わるんじゃないかなと思って(笑)、すぐ行動している感じですよね。


社食堂:Photo by Tetsuya Ito

村松:最近では北海道の美瑛に頻繁に通ってますけども、通う理由としてリターニングプロジェクトの実装、活動というのがあると思います。そのプロジェクトの経緯から、今どんなことを目指しているのかっていうのを説明いただけますか?

谷尻:リターニングっていうのは過去に戻りながら前に進むって意味を込めて、そういう名前にしました。最初のきっかけは、僕はフライフィッシングが好きなんですけど、竹の竿を作ってる望月雄太さんという職人さんが富良野にいらっしゃるんです。その竿が買いたくて連絡したらまず釣りに来いと言われて(笑)、じゃあ行きますってキャンピングカーを借りて2泊3日ぐらいで美瑛とか富良野のあたりで一緒に釣りをして回ったんですね。もちろん釣りも楽しかったけど、風景があまりにも美しくて。スノーボードもできるので、1年中、自分の好きなことができる場所だからいつかこういう場所に土地を買って小屋でも建てて拠点をつくろうと。それで土地を探していたら、小さな土地がなかった。いいなと思うところは全部があまりに広くて。1番最初に出合ったのが4万㎡の土地で、これは1人だと持て余しちゃうなと思ってました。そんな時に、これも妻の言葉ですが「未来のケアホームをつくってほしい」とを過去に言ってたことを思い出して。要は、一般的な老人ホームって、歳をとってから施設に入るんですけど、もっと若い時からその場所に通いながら少しずつコミュニティができたり、元気なケアホームというか。その場所をつくるのに、北海道はとてもいいんじゃないかなって。それでまず、最初は畑作りをして、20組ぐらいの村人を集めようと思ったんです。まだ20組にはなってないですけど、ほぼほぼ集まって、今はみんなでお金を出しあって土地を購入して、建物もいくつか建て始めていて、これから自給自足できるような場所作りをやろうとしているんです。

村松:その4万㎡を見たときに、1人で買うんじゃなくてみんなで買おうというのを思いついたんですか?

谷尻:ケアホーム=村というか。昔の人って自分の理解できるもので生活が成り立っていたなと思うんです。食料は自分たちで作ったものを食べて、建物も自分の身近なところから材料を調達して建てていたり。全部出所がわかる状態で生活が営まれていたように思うんですけど、今の時代って、どこで誰がどう作ってるかわからないままに食べたり、作ったりしているものがほとんどで。もっとそういった理解が及ぶ生活っていうものを体験する必要があるなと思っていたんです。僕も設計するだけでつくってもらっているんでけど、設計もして、つくることにもコミットできる建物のあり方を生み出せないかなと。それは不便ですけど、やってみようと思って、今2年ぐらいですが、やっと土地に良い土ができた感じですね。

村松:1年目は土を耕して?

谷尻:耕して、緑肥と言われる植物を植えて、太陽のエネルギーをもらって土の中に菌を生成させて、肥沃な土をつくるってことをこの2年間ずっとやってきました。荒れた何もなかった場所に、ふかふかな菌がしっかりある土ができてきて、やっと来春くらいから作物を育てるのをスタートする感じですね。

村松:参加している人たちはどういう人たちが多いんですか?

谷尻:ほんとバラバラで、東京のドクターがいたり、投資家の人がいたり、写真を撮る人がいたり、建築家もいますし、編集者もいますし。でも、みんな東京とか違うところに住んでいるので、集まって一緒に作業することもあったり、まだ買っただけで行ったことがない人もいたり(笑)。

村松:作業するタイミングとかをみんなで決めていくんですか?

谷尻:一応、いついつに行きます、と声はかけますね。言い出しっぺの僕がやらないと何も進まないので、基本は他の人は行く行かないは別として、僕は通ってます。

村松:今後はその土地がどういうタイムラインで出来上がっていくんですか?

谷尻:今、ひとつ泊まれる小屋とサウナ小屋が出来上がったところ。まず先にトイレ作ってよってみんなに言われるんですけどトイレはどこでもできるよって(笑)。来春からは作物を育てるのでギリギリ食べたり、サウナに入ったりできる状態です。まだ電気はなくて、井戸はもう掘ってあるんです。昔ながらの生活ができる状態で、僕はいつもそこに行って畑を耕してキャンプをしています。

村松:ゆくゆくは自給自足のコミュニティ型の老人ホームというか、ケアホームみたいな場所に?

谷尻:はい。小屋は少しずつ増やしていかないといけないので、そこで採れた野菜を加工して6次産業化しようとも思っています。生産物の価値をさらに高めて農業所得を上げる取り組みですね。今は無農薬、無肥料、無添加のサプリの開発もしていて、錠剤にするのに添加物がないと固められないってみんなは言うんですけど、粘り気のある野菜を使って錠剤にできるところまできました。そうやってそこでできたものを6次産業で世の中に届けて、またそこで資金を作り、少しずつ建物を増やしていくことをやれたらなと思っているんです。

村松:最終目標であるケアホームを先につくらずに、違うものから取り組んでいるのに何か理由はあるんですか?

谷尻:資金が足りないからじゃないですか(笑)。

村松:なるほど。

谷尻:資本があればどんどんつくるんですけど、ゆっくり自分たちでつくっていけるスピード感っていうのもいいかなと。そんなにそこでなんかやらないといけないっていうふうになってるわけではないので、少しづつ育てて、家を建てたい人がいれば建てればいいし、集まったメンバーで集まったお金で最小限にできるところまでは下地をつくって、そこから少しずつ育てていくことができればなと思っています。

村松:すごい。壮大ですね。

谷尻:まあ、実験ですよね。全部便利な世の中で生きているので、その真逆で自分たちがどこまで出来るかってことをやれたら生き抜く力も強くなるじゃないですか。子どもとかも学校を休ませて連れて行って、畑作りを手伝わせたりだとか、そういう経験が重要かなと。それは僕ら自身にもそういう経験が必要なので。

ワクワクしながら生きていたいから、意識的に負荷をかける

村松:そういう意欲だとかモチベーションって建築家発で起こってることなんですか?

谷尻:言葉を選ばずにいうと、僕が飽きちゃうので。ある程度、卒なくこなせちゃうじゃないですか、仕事が。それだとつまらないというか、もっとワクワクしながら生きていきたいからそのためには便利なものより、少し負荷のかかるストレスを意識的に自分に与えたほうが考えるじゃないですか。もっとこういうことできるなとか。だからそのストレスを与えるのがだんだんエスカレートして、めちゃめちゃ不便な、電気もない、水もない、みたいなところからどうやって人がそこにいることができる状態までつくれるのかってことを今実験していて、それができると便利な中にもあるべきものと、必要ではないものの取捨選択がよりクリティカルになるんじゃないかなって思ってるんですよね。

村松:じゃあ案外すごい広がっているようでいて、最終的に建築家に返ってくるような。

谷尻:そうですね。やっぱり設計者、建築家として何が本当にその場所に必要なのか、ということは踏み外さずにいたいなって思う自分もいるというか。お金があれば全部足し算して出来ちゃうわけじゃないですか。でも足したからって本当にいい建築になってるかっていうとそうでもないので。


DAICHI ISUMI:Photo by Kenta Hasegawa

村松:〈DAICHI〉のいすみ(千葉県いすみ市の別荘『いすみの家』DAICHIが運営する会員制貸別荘事業の第1弾プロジェクト)は、複数のオーナーで共有している別荘ですけれど、そこは谷尻さんもオーナーになられていますよね?

谷尻:はい。

村松:東京にご自宅があって、千葉に行くこともあれば、リターニングで美瑛に行くこともある。さらに瀬戸内の方で無農薬のレモンも作られてて、本当に日々移動してると思うんですけど、すばり拠点を複数持つメリットってどう考えてますか?

谷尻:みんなに「大変だね」って言われるんですよね。大変っていうのは確かに大変なんですよね、移動すると疲れるし。でも何がいいのかって言ったら、いろんな環境の違う場所で色んな人に会うことでたくさんの情報が手に入りますし、それによって、あ、そういえばこれってこんなふうにできるなっていう結びつきがたくさん生まれているのも事実で。仕事は忙しい人に頼めって言葉があるように、それだけ情報を持ってる方が、よりいいものが提案できるはずなので、みんなが大変だって言えば言うほど、みんながやらないってことですから先にやったほうがこれも価値化するだろうと思って、大きく変わるってことだよって言いながら大変さを意図的に取りに行く感じじゃないですかね。

村松:ちなみに、移動が多いことでのご自身なりのリカバリーの方法だとか、移動が多いからこそのご自身の習慣みたいなのってあるんですか?

谷尻:結局、寝ればいいなと思ってて。移動中、仕事したり、本を読んだりもするんですけど、僕どこでもすぐに寝れるんですよ。だから疲れて寝るってことが1番療養なんで、移動中寝ようとか、移動が多ければ多いほどむしろ休み時間が増えるのも事実で。普段ミーティングをやってるとどんどん時間に埋め尽くされて、結果、休憩せずに1日が終わるみたいなこともあるけれど移動って、唯一のパーソナルな空間というか。もちろん人と移動することもあるんですけど。移動時間は自分にとっては休み時間みたいな感じなんです。

(談)

後編となる次回は、2週間後の1/31(金)にお届けします。お楽しみに。

谷尻誠 (たにじり まこと)
1974年 広島生まれ。2000年建築設計事務所〈SUPPOSE DESIGN OFFICE〉設立。2014年より吉田愛と共同主宰。広島・東京の2ヵ所を拠点とし、インテリアから住宅、複合施設まで国内外合わせ多数のプロジェクトを手がける傍ら、近年〈絶景不動産〉〈tecture〉〈DAICHI〉〈yado〉〈Mietell〉をはじめとする多分野で開業、事業と設計をブリッジさせて活動している。2023年、広島本社の移転を機に商業施設〈猫屋町ビルヂング〉の運営もスタートするなど事業の幅を広げている。

IG:@tanijirimakoto