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#04 双子基準が生み出すシンクロとズレ 船山改×船山潔
2025.04.10

#04 双子基準が生み出すシンクロとズレ 船山改×船山潔

アーティスト・船山改(アラタ)と、クライマー・船山潔(イサギ)。自然に生きるふたりのアウトドア体験を通して、地球で遊ぶこと・生きることの新しい視点をお届けする連載『NEW OUTDOOR JOURNEY』。

#04は、ついに連載最終回。

ふたりは自然をどのように捉えてきたのか、彼らの深層心理に迫ってみたい。そして、旅の終わりに起こった、双子ゆえの出来事を、連載の締めくくりとしてお届けしたいと思う。

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自然を遊ぶことで培われた視点

––ふたりの旅って、いわゆるアウトドアアクティビティとして捉えたときに、どういうジャンルにカテゴライズされるのか、っていうのはずっと気になっていて。

アラタ:あまり気にしたことはないんですが、カテゴライズされたくない、という気持ちもあります。バックカントリーはするけどスノーボーダーではないし、山にも登るけれどクライマーではないし。

まわりにはプロスノーボーダーはたくさんいますが、彼らを見ていると、山を登っていても山自体にはあんまり興味がないみたいなんですよ。僕は山を見て、あそこは滑れそうっていうだけじゃなくて、あそこの尾根は登ったら面白そうとか、あの岩の上からはどんな景色が見えるんだろうかとか、いろんな角度で思考をめぐらせてしまうんですよね。

しかも、僕もイサギも、旅をするごとにその土地で新しさを見つけて、何かにトライすることが好きなんですよね。登ったり、滑ったりっていうのは手段なのかな、とも。

––やっぱり、アクティビティというよりも、自然は遊び場っていう感覚なのかな。それってどうやって培われてきたんだろう?

イサギ:身近にプロフェッショナルな人がいっぱいいるんです。その影響は大きいと思います。ホンモノな人たちです。海外の大会とか、オリンピックや海外の大会を経験したきたレベルの仲間がいるからすごく刺激になるし、一方で、自分のポジションも見えてきます。クライミングだけ、スノーボードだけというのではなくて、僕はその両方を組み合わせる自分のスタイルを追求するようになったと思います。

アラタ:彼らと遊んでいると、自分はアウトドアのエキスパートではないと自覚させられるんですよね。だからこそ、僕は何かを表現するアーティストだという立ち位置がしっくりきたというか。

でも、スノーボードも登山も好きだし、仲間と遊ぶのも好き。自然で過ごす時間から得たものはたくさんあって、それを写真やデザインで表現したいと思ったのが、自分のいまの活動の源になっていると思うんです。

––今回の北海道の旅では、新しくインスピレーションになったものや、これまでの考えを変えるような出来事はあったのかな?

アラタ:旅への期待という意味では、はじめは最果ての地、しかも羅臼岳の山頂で写真を撮れることの希少性に興味を持っていました。でも、行ってみて感じたのは、写真を撮るプロセスに、自分は価値というか意味を見出すんだな、ということでした。

羅臼岳で撮った写真を見返していて思ったのが、写真がきれいかどうかよりも、このときは怖い思いをして登ったなみたいな、そのときの感情がどうだったか、ということが重要だなと気づいたんです。山頂から景色の写真を撮ったとして、ひとりで登ったときと、イサギと一緒に登ったときでは、意味合いが違うんですよね。

アラタ:そして、羅臼に行って気づいちゃったんです。僕はなんだか、大変な思いをして、撮影をするのが好きなんだと。怖い思いをしてでもやっぱり撮りたい。その恐怖をカバーしてくれるのはイサギなんですよね。だから、行きたいところに行ける。本当の意味で、ひとりではできない景色を撮ることが、楽しかったんだなって思ったんです。

そこで得た体験が、写真だけじゃなくて、アーティストとしての活動に活かされていく。デザインだったり、図案としてのアウトプットに小さくない影響を与えているんですよね。そのためには、怖さとか辛さとか、大変な思いが必要なのかなって。

イサギ:僕は、アラタとは違って、今回のトリップはいつもとそんなに変わらない旅だったんですよね。過去の経験や見聞きした中でひとまず目的地を定め、道中はGoogle mapの航空写真から景色が綺麗なところ、秘境、遺跡、ローカルスポットに寄り道しながら向かうというのは、ふだんの旅の仕方、山での遊び方、日々の生活の延長線上にあるものなんです。

ひとつ言えることがあるとすれば、地の果て、つまりその先には何もない場所に惹かれて旅した羅臼でしたが、そこからは知床の奥が見えて、流氷の向こう側には国後島が見えて、まだまだ先があることを知りました。次は羅臼より先に行ってみたい。こうやって、旅がつづいていくんだな、と。

––今回の旅を語る上で、ロードトリップがある。旅が日常のふたりではあるけれど、北海道のトリップを総括すると、どんな感じだったんだろう?

イサギ:旅は生活だなと、あらためて思いました。観光はいっさいせずに、毎日山と向き合っていて、旅は暮らしの延長線上にあるものなのだなと。

旅って、ある意味で暮らしから離れる非日常的なものでもあると思うんですが、むしろそれが生活になることが僕は楽しい。その旅のなかで、好奇心を持って、惹かれるところに向かっていくことが楽しいんだと再確認したというか。

もうひとつは、旅をしながら自分の地図をつくっていくことが好きなんだなという気づきもありました。実際に自分で行ってみて、歩いて、登って、滑って、そういうことをするなかで、頭のなかに地図ができていくんですよね。

振り返ってみると、羅臼に限らず、これまでそういう旅をしてきたんですよね。見た景色もそうですし、対峙した自然が鮮明に記憶されるというか。


アラタ:冒険する人に憧れがあるんです。道中には予期せぬ出来事がたくさんあって、揉まれていくというか、未知の何かを知ることが冒険なんだなって。

そのためには、いろんな技術も必要になってきます。きっと僕らが、登山をしたり、スノーボードをしたり、いろんなジャンルのアウトドアアクティビティをひととおりできるのは、そういう理由があるんだと思います。

イサギ:なんで日々アウトドアをやっているかといえば、それはスキルの探求という意味もあるかもしれません。地図を広げるためには修行が必要なんですよね。

で、自分の総括としては、見てきた神秘的な景色や体験は、明らかに人生を豊かにしてくれているのだなということでした。人間は自然の延長線上で暮らしていること、自然があるから人間が生きていけているということだったり、自分も自然の一部であることは、社会のシステムが存在しない自然界に身を置くことではじめて気づくことができるんですよね。

旅先で美しい風景に出合い、自然からの恩恵を受けたとき、自分はこの自然に対して何ができるかをいつも考えていました。

数年前から、子ども向けの自然教育や、登山未経験者向けのガイドサービスをはじめたのですが、そういった自分の活動をつうじて、ひとりでも多くの人に自然との関係性を伝えていきたいですね。

双子だから寄り添えること、ぶつかってしまうこと

––旅のなかで「双子」という要素がどう作用しているのか、も連載のテーマでもあったんだけど。

イサギ:北海道をめぐっていくうちに、ふたりで旅をするうえでの役割がはっきりしたなっていう感じはありました。山以外は全部キャンピングカー生活だったので、食事を作るとか、片付けをするとか、運転をするとか、移動中にリサーチをするとか、写真を撮るとかも、自然と誰が何をするかが決まっていったというか。

アラタ:結局、そこのズレが原因で最終日にケンカするんです。役割が見えていたとかいいつつお互いが果たせなかったという(笑)。

––どういうこと???

アラタ:十勝〈Moving Inn〉の拠点で、旅を終えて、オーナーのケイシさんと一緒にご飯を食べて、撮った写真を振り返っていたんです。そこで、イサギが全然写真を撮ってないことがわかった。撮ってなくはなかったんですけど、撮っていてほしかったカットが全然なかった。

この企画を立てたときに、僕は写真を撮る、イサギは山に連れていく、という役割がありました。でも、そのなかでお互いが撮り合って、それぞれの姿をちゃんと見せられるようにしたいと考えていました。自分が写真を撮ることはもちろん目的なのですが、旅そのものを記録しておきたかった。自分も、イサギが撮った写真を見たかったというのもあって。

しかも、イサギが写真下手じゃないのは知っていたから、ちゃんと残るものがあると期待しちゃってたんですよね。で、蓋を開けたら全然撮ってねえじゃん、なんだよ!って(笑)。

その話をしたら、「いや俺は山連れてくのが仕事だから」って言われて、いやいやいやって。めちゃめちゃキレたんですよ。

イサギ:僕は撮ってたつもりだったんですよ。だけどアラタが求めてる絵は撮ってなかったっていう。

––意思疎通ができていると思いつつも、案外ズレちゃってるところがあったと。

アラタ:今となっては、僕も抽象的に伝えたのが悪かったとは思いました。でも、にしても写真撮ってなくね?って。鹿と一緒に写ってる写真くらいしかないんですよ。で、結局、サウナもそれぞれ適当に入って、寝る場所はバラバラ。

イサギ:いつもそうなんですけど、今回の旅でもやっぱりそのズレがあったんですよね。

アラタ:わかってはいるんです。勝手に「お前はわかるでしょ」みたいなところはあって。俺がわかってんだから、お前もわかるのは当たり前、みたいな。でも、意外とそうじゃないところがあって、いつもケンカになっちゃうんですよ。旅のなかでのズレからくる小さな鬱憤が溜まっていって最終日に爆発したというか。

イサギ:基本的にアラタはこういうことを考えているんだろうな、というのはわかっているんです。でも違うところはあって、僕はそういうズレをあんまり気にしていなくて(笑)。

きっと性格の違いもあって、アラタは自分で掻き分けながら進んでいくタイプだとしたら、僕は来たものを対処しながら進んでいくような感じ。登山でも、冬山なんかは予期せぬ状況にいかに対応していくか、みたいなところがあるんです。

––「相手が考えていることがわかる」というのは双子らしいね。そのなかでどの程度のズレが起こるのかは、ほかの双子にも聞いてみたいけどね。双子同士で対談するとか。

話が逸れたけど、そろそろこの記事も締めくくりに向かいたいと思います。冬の北海道をクルマで旅をしてみて、得られたものというか、残ったものはなんだったんだろう?

アラタ:いろいろ考えたんですけど、最後に思ったのは、イサギと山に行くのが好きなんだなということでした。プロセスを楽しんで、究極の場所に行って、そこで自然を感じること。そうすることで、自分のなかに経験を蓄積していくことで、デザインとしてアウトプットしていくことができます。

羅臼岳の山頂で見た、天使の羽みたいな氷は絶対に忘れないし、きっとここからものづくりをする上で絶対に生きてくる。きっとまたケンカはするでしょうけど。

北海道の旅をこうして思い出しているうちに、自分がなんで自然のあるところに行くのか、どうやってデザインをやってきたのか、見えてきたんですよね。なかなか自分のことを客観的に見ることがないので、いろんな気づきがありました。


イサギ:同じ山に登っていても、見ているものが結構違うなと思いました。アラタは、自然の形とか紋様とかを見てるんですよね。それと、アラタの感性はなんだかんだ信頼していて、場所探しのときにいつもいいところを見つけてくるので助かっていました。

行きたいところが違うと、こういう自由な旅だとぜったいどこかで綻びが出ちゃうと思うんですよね。そういう意味では、アラタと旅をすることは、ありのままでいられることなのかなと。ケンカをすることも自然体だからということで。

あとは、アウトプットできる人はいいなとも思いました。僕は写真は撮りますけど、デザインしたり、何かを作ったりはしないので。そのぶん、僕がアラタを山に連れていくことで新しいアートワークが生まれたり、デザインに変化が起こるのであれば、それはそれでいいかなとも思いました。言語化するのは難しいですね。

アラタ:お前は考えなさすぎなんだよ。

イサギ:考えてはいるんだけど、後のことよりもその瞬間なんだよね。


編集後記

彼らと知り合って、もうすぐ10年になるだろうか。当時は、いまのように肩書きになるような活動はしていなくて、イサギは自然こそが生きる場所であるかのように国内外の山で遊び、アラタは実験的なアートワークを作り、玄人向けのカメラを手に試行錯誤しながら写真を撮っていた。まだ、ふたりは何者でもなかったが、20代前半にしては目を見張るアウトドアスキルと遊びのセンスを兼ね備えており、まるで未知の鉱石、その原石を見つけたかのような気持ちになった。

彼らの、外界への強い好奇心は、コンフォートゾーンから出ることを厭わない探究心となり、会うたびに新しい挑戦の話をしてくれた。経験を少しずつ蓄積し、進んでは戻り、ときには悩みながら、それぞれが何者であるかを模索しているようでもあった。初期衝動から生まれた荒削りなアウトプットは、遊びの副産物のようなものばかりであったが、ずっと変わらないのは、それがオリジナルであるということだろう。

いい意味で天邪鬼なのかもしれない。誰かがやっていることには興味は持たないし、誰かの成功体験を真似しようともしない。意識しているのか無意識なのかはわからないが、自分たちらしくあること、オリジナルであることを、頑なに追求しつづけている。

ゆえに、少し外の人から見たら、彼らが何者かわかりにくいところもあるだろう。ひょっとしたら、アラタはデザイナー、イサギは登山家、という型にはまった肩書を選ぶこともできただろう。でも、それが彼らを形容する言葉ではないことは、彼ら自身はもちろん、そのまわりの人たちも思うはずだ。

今回の記事では、バントリップのレポートという形で、これまでの彼らの活動や、旅における自然への視点、双子としての感覚など、ふたりの人となりを言語化することを試みた。私自身、彼らの10年という月日の蓄積を、そろそろひとつの記録として残してみたいという気持ちもあった。結果、何時間もインタビューを行い、言葉を絞り出すように思考を巡らせたふたりは、ときには自分自身を客観視し、これまで気づかなかった自分を見つけたようにも思う。

彼らの本当のキャリアはここからがスタートであろう。アーティストとクライマーという枠にとらわれない、予想を裏切る自由なアウトプットが放たれることに、強い期待があるからだ。

そして、旅をすることの素晴らしさを、純粋に遊ぶことの大切さを、ふたりの北海道バントリップで見せてもらった。誰かの記録をたどるのではなく、自分たちだけのルートを描くこと。その、非効率でありながらも、心が満たされる行為は、旅人に新しい視野を与え、予期せぬ作用をもたらせる。北海道から戻り、写真を見せながら嬉しそうに話すふたりの表情が、それを物語っていた。

彼らがこれからどんな旅をし、どう進化していくのか、ひとりのオーディエンスとして楽しみにしている。

小林昂祐

船山改 (フナヤマ アラタ)
ファッションデザイナーからキャリアをスタートし、ペインティング、グラフィックデザイン、アートワーク、ロゴ制作、写真撮影までこなすアーティスト。企業ブランディングでは、企画から制作、アウトプットまで手がける。
「最近はスノーボードのグラフィックを描いたり、パッケージのデザインをしたり。僕の仕事は、自分で手を動かすものもありますが、いろんな人が関わって完成するものが多いですね。なので、大きなくくりでいうとデザイナーですね。デザインのなかでも、パターンや紋様が得意で、そのベースを書く〈図案師〉でもあると思っています」。
IG:@arata_funayama

船山潔 (フナヤマ イサギ)
10代からロッククライミングをはじめ、ヨーロッパのフィールドを転戦。2021年より、ガイドツアーサービス〈Gen〉を主宰。バックカントリースノーボード、サーフィン、ハイキングなど、アウトドアアクティビティ全般を楽しむ。
「ライフワークは、Climb & Ride。バックカントリーをはじめたのは23歳の頃で、冬山を登してアルパインエリアでのスノーボード滑走ですね。浅間山の麓で育ったので、山での生活が日常で、〈Gen〉では長野周辺の自然体験を案内しています。ほかには、日本各地の自然や文化をリサーチしています。旅というより、生活や風習を勉強している感じですね」。
IG:@isagi.f.de_le_rue

Photo by Arata Funaya & Isagi Funayama Edit&Text by Kousuke Kobayashi Produce by Ryo Muramatsu Cooperation by Moving Inn