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#11 自然と共に暮らす双子の、それぞれの“自然観” 〈後編〉
2025.06.06

#11 自然と共に暮らす双子の、それぞれの“自然観” 〈後編〉
by 船山改/船山潔

noru journalがおくるPodcast番組『窓がうごく(仮)』では、旅すること、移動することが暮らしに根付いている人々をゲストに迎え、さまざまなお話を伺います。
前回に続き、アーティスト・船山改(アラタ)さんと、クライマー・船山潔(イサギ)さんをゲストにお招きして、後編をお届けします。自然に生きるふたりのアウトドア体験を通して、地球で遊ぶこと・生きることの新しい視点をお届けした連載『NEW OUTDOOR JOURNEY』の旅のことを振り返った前編。後編では、長野県に暮らす3人が、自然と共に暮らすことの魅力や、それぞれの“自然観”について語り合います。三者三様の自然と暮らすことの魅力や、難しさ、向き合い方について。

ここでは音声コンテンツをまるッとテキスト化してお送りしていきます。

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都市生活を経て自然の中で暮らすことを選択したアラタ
自然と対峙し続けてきたイサギ

村松:さて、本日のゲストは引き続きアーティストの船山改(アラタ)さんと、クライマーの船山潔(イサギ)さんにお越しいただいています。前編では、2人が登場してくれていた、『NEW OUTDOOR JOURNEY』という連載のことを振り返りつつ、バントリップの魅力についてお話しいただきました。後編では自然と共に暮らすことについて話していけたらと思います。

ちなみに今日は初の屋外収録で、長野の御代田町という僕の自宅の庭で収録しています。実はアラタが町内に住んでいて、イサギが隣町に住んでいて、3人ともご近所ということで今日は自宅に集まってもらっています。自然と共に暮らしている双子ということもあって、後編はその辺りを聞けていけたらと思います。そもそも2人は畑も一緒にやっていますね。

イザギ:そうですね、僕は3年前ぐらいから友人から畑を借りてやっていて、今年アラタが突然連絡くれて、「ちょっと畑やりたいんだけど」と。じゃあ、一緒にやろうということで、今年から共有で畑を始めましたね。

村松:アラタは去年も手伝いに行ったりしてたもんね。

アラタ:でもまだ、数回。数えられるぐらいしか行けてないです。去年の夏、イサギが山ほどのトマトと万願寺とピーマンをくれたのをよく覚えていますけど。自分で作ったものを食べて、それから友達にも渡して、そういうライフスタイルってすごく良いなぁと思って憧れたんです。去年の12月に御代田に引っ越してきて、少し地に足がついた感覚で、僕も始めようかなと思ったっていう形ですね。

村松:イサギの畑はうちも近所で、御代田町にあるんですけど。我が家も子供たち連れて去年の夏に手伝いに行ったら、まあまあ大量のトマトと(笑)。

イザギ:(笑)

村松:すごい量だよね(笑)。

イザギ:すごい量ですよね。

村松:ジャガイモと?

イザギ:ジャガイモ掘りましたね。

村松:やっぱジャガイモとか長持ちするの、本当にいいよね。

アラタ&イザギ:いいですね〜。

村松:じゃあ、2人で作業を分担しながら?

アラタ:そんな明確に決まってないんですけど、ちょうどゴールデンウィークはイサギがいなかったので、種まいてからは僕が毎日水あげたりしてました。そしたらちょうど一昨日ぐらいからポコポコポコポコ葉ものの芽がこうやって出てきてて。なんかそんなちっちゃいのだけでも感動していました。おお〜って。これからはイサギの番かもしれないですね(笑)。

イザギ:成り行きで管理できる人が管理しようっていう。

村松:でもある程度芽が出ちゃえばほっとけるの?

イザギ:ほっとけますね〜。去年はほっといて、雑草だらけでも野菜はたくさん生えてたんで、まあ、あんまりよくはないんですけど。どんな状態でも生えます(笑)。

村松:水をあげるっていうよりかは雑草を抜く方が作業として多い?

イザギ:そうですね〜。違う大変さがあって、まず芽を出すまでが大事。で、次が雑草ですよね。その期間がすごく長いんで。

村松:うん。

イザギ:夏の終わりまで続きますし、今のうちにやればやるほどすごく綺麗な畑ができて、サボればサボるほど野菜と雑草がバトってる図が広がる畑になります(笑)。どんな形でも育つんですけど、僕ら2人でやったことないんで。今までずっと奥さんとやるか、1人でやるかで。去年できなかったことを一緒にやっていけたら。

村松:まあ、人の手が増えるとね。

イザギ:うん、その分美味しい野菜にもなりますしね、やっぱり。

村松:そもそも2人は軽井沢育ちで、幼少期から浅間山のふもとで暮らしてきたと。自然観で言うと、ほぼ同じ?ちょっと違うのかな。

アラタ:どうなんですかね。でも違いそうな気もします。

イザギ:僕はそういう話をよくしますけど、アラタの自然観の話は聞いたことないですね。

アラタ:うん。そうですね〜。

村松:アラタは1回東京で出てるしね。

アラタ:そうですね、6年間。18歳から24歳まで東京を出てから、こっちに帰ってきて。その時当時はなんか体の調子があまり良くなかったので、すごい静かな場所にいたかった。その時は25歳から小諸っていう、御代田の隣町の森の中にログハウスを借りて、そこから今の日本紋様を描いたりとか模様描いたりとか、そこら辺からすごい自然が身近にもう1回なり始めたという感じだったと思います。

村松:イサギは?

イザギ:僕は20歳ぐらいでフランス行って帰ってきてからは、もうひたすら自然というか、クライミング一筋。“難しさ“みたいなものに挑戦するというのを多分3、4年、国内・海外問わず行っていて。コロナの前後ぐらいからちょっと食みたいなものに興味が出てきて、ちょっとずつ野菜をやり始めた。その時仕事自体も自然と関わっていたりしたので、自然な流れでできる仕事がいいなぁっていうのでガイド業を始めて、食も自分たちで作り始めてっていうような感じですかね。

村松:そうだよね、〈Gen〉が2021年スタートってことはコロナの後なんだね。

イザギ:コロナの後です。それまで結構いろんなアルバイトしては海外に行っていたんですけど、コロナで仕事が全部なくなっちゃって。コロナ渦になり、仕事しようと思ったときに、せっかくするなら自分ができることを全部活用できる仕事にしたいのと、自然や地域にプラスになる仕事って何だろうって考えた時に、今のガイド業を思いついた。そこからより自然に生きるとか、自然と共にとか、そういう暮らしの方向に行きましたね。

村松:〈Gen〉のロゴはアラタが書いてるしね。

アラタ:そうですね。僕はイサギみたいな自然で遊ぶっていうことよりも、デザインしかできなくて。じゃあ何をモチーフに自分がデザインをやっていこうかって悩んだときに、たまたま江戸時代のことを学ぶきっかけがあって。いろいろ本を読んだり、人から話を聞いてると、紋様とか模様とか家紋とか、とにかくほぼ全てのものが自然からインスピレーションを得たり、流れとか風とか結局自然現象というものをもとに当時はデザインをしていたことを知りました。これは面白いなと。日本人の感性としてすごく魅力的だなと思って。僕はどっちかというと、その部分から自然ってアイデアが詰まっているんだなと。今まで凝り固まっていた頭が、すごく自由になった。そこから、自然に対して、見るだけじゃなくて、実際に山の中、森の中にいるという体験を通して、そういうものを発見できればもっと面白いものができるだろうなと思って、やり始めた。3、4個目のロゴがイサギの〈Gen〉のロゴでしたね。

村松:最近、アラタは「図案師」と、あえて自分の肩書を定め直したりしていたけど、自然のものがモチーフにもなるし、自然はインスパイアされる対象みたいなことなのかな。

アラタ:そうですね、全部自然から。直接見たりとか、間接的にそれを表現したりとか、自然がアイデアのもとにはなっています。

村松:うん。イサギはサーフィンを始めたりは、コロナ以降?

イザギ:ちゃんと始めたのはコロナ中ですね。

村松:じゃあ畑始めたりとか、サーフィン始めたりとか、1つの競技をストイックに深掘っていくっていうフェーズから、もうちょっと地球全体で遊ぶとか、そういうふうに広がっていったのが、ちょうど同じ時期ぐらい?

イザギ:そうですね。ちょうどその時にヨガであったりとか、ちょっとスピリチュアルな精神性の話であったりとか、土の話であったりとか、大きく言うと自然みたいなことをいろんな角度で触れる機会がグワっと増えて。たまたまなんですけど。確かにそこから今の流れみたいなものがある気がしますね。

重要なのは、どこで何をするかではなく“自然観”を持って生きること

村松:うんうん。2人とも自然の中に身を置くとか、自然の中で暮らしたり、多分日常で当たり前のことだと思うけど。どうですか?自然の中で暮らすっていうことの魅力を改めて話すとするなら。

イザギ:どうですか?

アラタ:そうですね。なんか東京と比較すると、やっぱりいつも夜が明るくて、いつも人がいっぱいいて、夜中になってもクルマがいっぱい通っていて、とにかく目からも耳からも、いつもいろんな情報が東京の時は入ってきてたんですけど、それが一時期ストレスになって。実際今山の中にいますけど、すごく静かで、暗いし。なんかその環境って集中できたり、逆に変なストレスがかからない。時間としても豊かですけど、体にとってもすごく豊かな環境に変わっていて。それだけじゃなくて、ちょうど1週間前に桜が咲いて、1週間で森が全部緑に変わったんですよ。たった7日なのに、毎日森が変わっていったのを見たときに、毎日こうやって違うんだなっていうのをちゃんと実感できるというか。当時はどこか毎日変わらない感覚があったんですけど、そういう時間を過ごすと、時間を大切にするというか、毎日違うことがどれだけ貴重なことかすごく気づかされますね。それが今の家で感じたことでしたね。

村松:そうだね。ちょっと自分の話をしちゃうけど、息子の通っていた森の幼稚園のお便りに月1で保護者がコラムみたいなの寄せるのがあるんだけど、たまたまこの連休、お願いされて、コラムを書いて今日提出したのね。息子の幼稚園は、軽井沢にある森の幼稚園〈ピッピ〉って園舎がないことで有名というか、つまり年中外で保育をするっていう。森の幼稚園って2歳からだから4年間いくんだけど、下の子がこないだ卒園して。卒園式の日に森に対して「遊んでくれてありがとう」って子供たちが言ってる姿を見て、

アラタ&イザギ:へ〜。

村松:それってどういうことだろうって思ったのね。つまり、なんか自分の感覚にはなかったっていうか。ある時までは、園舎がないっていうことが最大の魅力だと思っていたんだけど、その時から園舎がないことが最大の魅力なんじゃなくて、園舎が森であることが最大の魅力で、今アラタが言ったみたいに、毎日違うじゃん。

アラタ:毎日違う。

村松:って言っても結構違わないことも多いけど、よく見ると毎日違うし、自分も毎日違うし、友達も毎日違うじゃん。解像度が上がれば上がるほど、昨日と今日が違うとか、今日と明日が違うみたいなことの中で成長していくってなんかすごい豊かなのかな、みたいなことを思って。それについて少し深掘ったコラムを、ちょうど今日提出したばっかりだったから、今アラタの話がすごいよくわかるというか。


アラタ:うん。

イザギ:僕は今の暮らしについて言えるのが、僕の中での“暮らし”は山の裾野の延長線上なんですよね。それをすごく今の家に引っ越してから、なおさら実感するようになって。「自然と共に生きる」とか、よくある言葉だけど、その言葉をものすごくちゃんと細分化して考えると、ものすごい難しいことなんですよ、それっていうのは(笑)。僕たち自身、本当に山と町の境界線で暮らしていて、自然に1番近い暮らしをしてはいるんですけど、まだまだ自然の一部で暮らせてはいない。それを日々追求とか探求しながら、これからも生きていきたいなとか、暮らしていきたいなと思っています。家の中で生きているんですけど、もうひとつ広い目から見ると、僕たちは山の裾野の延長線上に生きているわけですよね。それを意識した暮らし、本当に自然の一部で暮らすことってどういうことだろうね、みたいなのことを考えながら生きるようになりましたね。

村松:なんか実践したり、トライしたりすることがあるんですか?

イザギ:そうですね。うーん、すごくたくさん話さなきゃいけないことがあるんですけど、それっていうのは。

村松:うん(笑)。

アラタ:そんな実践してんの?

イザギ:いや、分かりやすく言うと、例えばインフラとかってまだ変えられないから、どうしても社会インフラに頼るしかない。使う材料であったり、家で使う洗剤とかいろいろあるじゃないですか。僕たちって、家の裏側に浄化槽をついているので、要は家の裏に垂れ流すわけですよ、直接ダイレクトに。となると、裏で畑やってるんで変なもん流したくないんですよ必然的に。ちゃんと土に分解されるかどうかとか、大変なんですけど、1個1個確認していく必要があったりとかして。食べ物にしろ、使うもの1個1個に同じことが言えると思っていて。それを全部一気には変えられないので、いきなりオフグリッドでパーマカルチャーで生活しようなんてことは難しいんで。なんかそれを1個ずつ変えていく。毎日毎日、毎年毎年、ちょっとずつ自然に近づく暮らしを、今まさに実践している最中ですね。それは食べ物であったりとか、仕事をするとか、そういうのも僕らの中では同じ。そのテーマの中にある。自然と共に暮らすというのは、めっちゃ難しいですね。多分シンプルなんですけど、最も難しいんじゃないかなと思っています。

村松:そうだね。

アラタ:でも、みんながみんな自然で暮らす必要ないですよね。

イザギ:そうそう。

アラタ:絶対にないし、もしかしたら、10年後はこの暮らしが合わなくなっているかもしれないですし。それは分からない楽しさがあるんですけど。なんかやっぱり思うんですよ。お金いっぱい稼いで好きなものを買うとか、いろんな場所に行くとか、そういう豊かさを求める好きな人もいるし。で、僕はたまたま毎日違う時間を体験することが豊かで、それが時間の価値をもっと自分の中で重くしてくれるわけで、人によって豊かさって全然違うなって思うんですよ。それを探せれば1番自然なんだろうなと。教育もそうだと思うんですけど、自然の近くにいると良い、良い、言ってるのってなんか胡散臭く感じていて。

村松:(笑)

イザギ:胡散臭くはないでしょ。ひとつの手段としてはあってもいいんじゃない?

アラタ:いやいやっていうのも、なんかそれがなんか正しい!みたいな、すごい押しつけにいつも聞こえるんですよ。

村松:ああ〜…

イザギ:それは人によるよ。

アラタ:僕はそう聞こえるんですけど、

村松:うんうん。

アラタ:僕の今の生活をしてて、友達によってはめっちゃ頭がおかしいっていう人もやっぱりいるんですよね。でも、人によっては東京ですごく頑張って、働いて、辛いけど耐えてながらでもそれがやっぱ楽しいって言って、うちに来てすごい心が洗われるって言ってくれる友達もいれば、本当10人違う意見なんですよね。そう考えると、別に自然にみんなより近くにいるというよりかは、いかに自分が居心地いい選択するかとか、知るかというか、それが1番大事だなってよく思いますね。

村松:そうね、難しいよね。

イザギ:難しいです。

村松:東京なんてさ、住むところじゃないって思ってはいる部分もあるけど、でも別に東京好きだから行ってるし。

アラタ:だって極論、僕は山の上に住んで、自然の中では確かに生きているんですよ。居心地もメンタルにとってもいいんですけど、その山の上に向かう途中のクルマのエンジンの消費量って、多分普通の人よりも消費しているわけなんですよね。

村松&イザギ:うん。

アラタ:それって全然自然に対して優しくないし、じゃあ歩けって言われたら絶対に無理だし。そこはすごい難しい。難しいっていうか……。

イザギ:俺は、その話も理解した上で言えるのが、だからこそ自然観と倫理観が必要なんじゃないかなと思うんだよね、どこに暮らすにしろ。

アラタ:いや、俺もどこでもいいと思っていて。だけど、その人が自然観を持ち合わせているか、持ち合わせていないかがすごい大事なことなんだと思う。

イザギ:そう、だから、要は山の中じゃなくてもいいわけなの自然観を持っていれば。

アラタ:(笑)。いや、俺もそう思うよ。自然観を持つのは何よりも大事なことだと思うし。てか、本来持ってたはずだそうだし、忘れちゃっただけか、見ないようにしてるだけか。

イザギ:必要なくなっているとも言えるからね。


写真 左:アラタ

村松:都市で暮らしていると、自然観みたいなものを感じる機会は確かに少ないかもね。

アラタ&イザギ:うん。

村松:ある種、不自然な状況が環境としては作られているからさ。

アラタ&イザギ:うん、うん。

村松:夜も明るいし、今相当真っ暗だけど、ここは。

イザギ:確かに(笑)。

アラタ:そうですね。真っ暗ですね。

イザギ:不便が意外といいのかもしれないですね。不便が自然観なんじゃないですか。不便さみたいな。

村松:ある一辺を切ればそうかもしれないね。確かにその自然観みたいなものを持つっていうのは、すごい…、

イザギ:生きてる視野とかキャパみたいなものが、もうちょっとワイドだったらいいんじゃないかなと思うけどね。俺は。それは地理的なものもそうだし、心の部分もそうだしさ。

村松:なかなか定義しづらい感覚の話だけど……。

アラタ:そうですね。

イザギ:自然観と倫理観があれば、ある程度地球にも人にもよくなると思うんですけどね。個人的には(笑)。どこに住んでも、何をしても。

村松:なんでその自然観を持っていれば、どこに暮らしていても良いのか、それぞれに聞いてもいい?

イザギ:僕が思うのは、どれだけ町が発達して文明が進化したとしても、僕たちがどこに行っても必ず地球の大地の延長線上に生きているわけじゃないですか。コンクリートを剥がせば土が出てきて、僕たちの生活や暮らしを支えるほとんどすべてのものは水であったりとか、太陽であったりとか、家を作るなら木であったりとか、それは全て自然から来ている。今その自然から来ているものが見えなくなって、ただモノとして町に売られている状態じゃないですか。

村松:うん。

イザギ:大地の上に生きているとか、山の地形とか土の上に生きている感覚があるだけで、もう少し1個の選択が地球を守る方向だったり、自然を守る方向に繋がったりするんじゃないかなと。なんでもかんでも加速させて拡大させて、ただ消費していくだけの時代は、もうそろそろ終わってもいいんじゃないかなと思っていて。あくまでも自分たちは大きい循環の中に生きて暮らしていて、その中でテクノロジーだったり、文明が発達しているっていうのを認識することが、地球に優しい暮らしをする上で大事なんじゃないでしょうか(笑)。


写真:イサギ

村松:(笑)

アラタ:途中からずれてきた(笑)。

イザギ:ずれてきた?そう(笑)?

村松:アラタは?

アラタ:自然観を持つことの重要性ですよね?

村松:うん。

アラタ:そっちの方が有意義だからです。

イザギ:有意義とかなの?

アラタ:いや、ごめんごめん、ちょっと待って(笑)。

村松:まとめた(笑)?

アラタ:いやいや、うまくまとめられない。ちょっと待ってください。

村松:まあ、でもさっき、アラタは毎日違うみたいなことを言ってるから、まあ十分…。

イザギ:ああ〜。

アラタ:そういうことなんですよ。

村松:そういうこと(笑)。

アラタ:まとまらないんですよ。そこが。自然ってやっぱ毎日変わるし、本来は毎日変わって同じ明日もなければ、同じ機能もなければ、ちゃんと日々、1日1日を大切に生きられるんだなと思うんですよね。自然観があれば。……そう、そうなんですよ。

村松:(笑)

アラタ:うわあ、これ、うまく言葉にできないな。

村松:なんか最近思うのは、当然僕らも生き物だから太陽の光は暖かいとか、自然の中に身を置いてて気持ちいいとか心地いい瞬間ってたくさんあるじゃん、生き物としてシンプルに。全然難しいことはなくて、そういう自然に気持ちいい、心地いい瞬間が自然に近い場所で暮らしていると日々多いと思うけど、それを積み重ねているだけでいいんだろうなって思うことが多くて。なぜかっていうと、不自然なことに気づけるようになってくる。その違和感をちゃんと捉えられることが、案外自然でいることをそんなに意識しなくても、いいというか。

アラタ&イザギ:確かに。

村松:むしろこれから俺が都市で暮らすってことはないとは思うけど、なんかちょっとこれは不自然だなとか、これは違和感だな、みたいなことの選択の中で、逆にあるその自然なこととか、自分がストレスなく心地良いとか、気持ちいいって思えるものを、選択していくみたいなことなのかなって。もしかしたらそれを自然観って言えるのかどうかっていう……ぐらいかな。

アラタ:いや、自然観でした。

村松:自然観でした(笑)?

イザギ:人によって自然観も違うしね、多分。

村松:そうだね。

イザギ:切り口が違いますよね。それを話すと、なんかスケール感も大きくなっちゃうからな。

村松:まあ、いいんじゃないですか。こんな回ってことで(笑)。

アラタ:村松さんの最後のすごい、納得しました。

イザギ:そうね、分かりやすい。

アラタ:確かにそうだね。でも実際それを感じていたわけだし、僕もやっぱりよく感じるし。

イザギ:難しいですよね、自然に生きるって。

アラタ:そうだね、やっぱり両方見えるようになるんですかね?社会と自然と。

イザギ:それもあるだろうね。

村松:そうだろうね。

イザギ:さっき森への「ありがとうございました」とかも、そうかなと思うんです。見えないものを認知するというか、感知するというか、受け入れる力みたいなものは。自然ってほぼ見えてないじゃないですか。風も見えないし、別に雲も形も見えないし、見えてはいるんですけどね何か分からない。ただ、そこになんかありがとうって言える、その気持ちみたいなものは、大人になったらめっちゃなくなってるから(笑)。そういうものは自然観から来ている気がします僕らも。

村松:目に見えないね。目に見えないものこそ大事って言うしね。

イザギ:そうですね〜。

村松:さてさて、そろそろお時間なので、今週はここまで。前後編にわたっていろいろとお話をしてきましたけど、後編はなんだか最後は壮大な話で、それぞれの自然観を語ってみる回となりました。改めましてありがとうございました!

アラタ&イザギ:ありがとうございました!

船山改 (フナヤマ アラタ)
ファッションデザイナーからキャリアをスタートし、ペインティング、グラフィックデザイン、アートワーク、ロゴ制作、写真撮影までこなすアーティスト。企業ブランディングでは、企画から制作、アウトプットまで手がける。
IG:@arata_funayama


船山潔 (フナヤマ イサギ)
10代からロッククライミングをはじめ、ヨーロッパのフィールドを転戦。2021年より、ガイドツアーサービス〈Gen〉を主宰。バックカントリースノーボード、サーフィン、ハイキングなど、アウトドアアクティビティ全般を楽しむ。
IG:@isagi.f.de_le_rue


村松亮(むらまつりょう)
noru journal編集長。東京-伊那谷-御代田の3拠点を移動しながら暮らす。会社・編集部は東京なので、週2~3回は出稼ぎに。2022年より、家族と米作りを始めました。
IG : @ryomuramatsu