column
熱帯の町チトワンへ――「予定変更」のその先で
ほんとうにやってきたのだ、ホテルに、サイが。
カトマンズではない。そこから約100km西にあるインド国境のエリア、チトワン国立公園内のホテルでのことだ。旅の終盤、私たちはカトマンズを離れ、国内線の飛行機に乗って、巨大なジャングルを擁するチトワンになんとかたどりついた。野生動物との出会いを今回の旅で一番の楽しみにしていた次男だったが、じつは#01でお伝えした「道まちがい」のあとに彼は熱を出してしまい、当初予定していた陸路でのチトワン入りを見送った。それでもなんとか、1日遅れでこの小さなまちを訪れることができた。
標高1,400メートル前後のカトマンズから、標高220メートルほどのチトワンへ。
インドとの国境にほど近いここは、熱帯雨林=ジャングルの町なだけあってとにかく湿度が高い。しかも季節は雨季。昼間は呼吸をするのさえ重たい、信じられないくらいの湿気と熱気が町中に充満している。しかし、次男にとっては喧騒から離れ、ただ流れる川を眺めていられるチトワンが快適なようだった。さすが、信州の村で暮らす子だ。早く連れてきてあげられたらよかったな。

ホテルのテラスからジャングルを眺める。この日は曇天

チトワンのおみやげ屋さん。この店で、サンダルウッドでできたサイの置き物を大量購入。かわいくていい香り

RGBのバランスを間違えたみたいな、極彩色の夕焼け
ゾウの背中から眺めたジャングルと、どこか宙ぶらりんな気持ち
チトワンでは初日から、ゾウに乗ってジャングルツアーに出かけた。
少々荒っぽいゾウ使いが操るゾウに乗って、ジャングルのなかの周遊ルートをぐるりと一周する。きっとずいぶん長いこと使い続けられている、しっかりと踏み固められたルートなのに、沼にはちゃんとワニがいて、草原には野生のクジャクがとことこ歩いており、茂みにはおびただしい数の子鹿の群れもいた。今回最も楽しみにしていたサイの姿も、このツアー中から数頭見られた。
もちろん、そうした野生動物たちに出会えて嬉しかったのだけれど、じつはなんだか気持ちはふわふわとしていた。「ジャングルで、野生動物に出会う」と、事実を言葉にすればパワーワードなのに、実感はまるで淡かった。
ただ導かれるままにゾウに乗り、連れられて来てしまったからだろうか。ゾウ使いのお兄さんたちが荒っぽくゾウに当たることに意識が向いてしまうからだろうか。ジャングルが思ってたのより整備されていたからだろうか。理由はともかく目の前の光景に「野生」というリアリティを感じることができなかった。たぶん、次男もそうだったとおもう。

家の庭みたいなところに、放し飼いの犬みたいにサイがいる不思議
ホテルにサイがやってきた朝、母と息子の時間に打たれた「句点」
だから私たちにとって、本当の意味でのサイとの邂逅は、どう考えてもあの朝の時間だった。
チトワン滞在最終日、朝10時の飛行機でカトマンズに戻る予定をしていたその日。なんとなく早く目が覚めた私は窓辺に立ち、テラスごしに外を見た。するとなにやらホテルの庭がざわついている。旅行者のおじさんたちが、ホテルのきわに立ってカメラを向けている。
なんだなんだ?・・・あ、サイだ!
目の前を流れるラプティ川の向こうから、ちょうど大きなサイがザバザバと川を渡り、のしのしと岸辺にやってくるところだった。時刻はたしか、早朝6時過ぎ。私は慌てて次男を起こし、ふたりで外に飛び出した。

大きなサイの背中。近くに鳥がずっといる。サイと鳥はほんとうに共生関係なのだ
柵一つ隔てたすぐ向こうに、サイがいる。そこにいるみんなが息を殺して見守っているから、フシュー、フシューという鼻息まで近くに聞こえる。どうしよう、写真を撮って、動画を回して、ちゃんと肉眼でも見て、目に焼き付けておかないと。そんなふうに慌てる私のことなんてサイにはどうでもよくて、泰然として、サラダバーでも楽しんでいるかのようにのんびりと河川敷の草を喰んで歩いていた。すごいなあ、サイ。約5,400万年前に先祖が生まれたとされる、不思議な動物。おじさんたちが満足して帰っていったあとも、私は離れがたくその場にいた。
目の前に、サイがいる。横には、次男がいる。私が産み育てた次男と、いま一緒にネパールにいる。
この時間はきっと忘れられない記憶となり、これから何度も思い出し語ることになるのだろう。サイをずっと見ていたら、そんな感慨さえ押し寄せてきた。
大きなラプティ川の流れはインドまで続き、ガガラ川に合流したのち、ガンジス川にまで辿り着くらしい。人生もそのように、気付けば遠く遠くへと流れゆくものだとしたら、旅はその流れにひととき竿を差し、来し方を振り返りながら、記憶の句点を打つものなのかもしれない。そして日常に戻ればまた船はゆっくりと動き出し、いくつかの句点を挟みながら、最後にはみんな大きな海に還っていく。
さあ、もうすぐカトマンズに戻る飛行機の時間だ。戻ってネパール最後の夜をすごし、私たちはまた信州の村の日常に戻る。たくさんの苦笑いがあったけれど、やっぱりいま、次男と来られてよかった。慌ただしく過ぎていく日常を少し離れて、旅という時間を過ごすことができてよかった。「海外はもうしばらくいいや」と言っている彼のほとぼりが冷めるころ、誘ったらもう一度、母とふたりで出掛けてくれるだろうか。一日、いや毎秒ごとに変化し続ける子どもたちと、次はどこへ行けるだろう。

玉木美企子(たまきみきこ)
東京生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経て2015年、家族4人で長野県に拠点を移し、フリーランスに。食・農・暮らしを主なテーマに編集・ライターとして活動しながら、日本国内のほかヨーロッパ、アジア、中米などを旅している。2026年新春に自身初となるエッセイ/俳句集『蝸牛の虫干し』を刊行。
HP:tobira-sha.com
IG:@mikiko0705