column
コロナが流行ってからというものの、ほぼ電車には乗らなくなった。
移動は徒歩かランニングか自転車か、どこへ向かうにもまずマップで距離や道を調べてから出掛けるようになった。そうすると「なんだ、こんな近かったんだ」と驚くことが多いもので、私は東京の街と街の距離感を、本当の距離よりもだいぶ遠い感覚で捉えていたようだ。
そんな私の最近の楽しみのひとつが、近くに住んでいる友達と公園で待ち合わせ、一杯飲みながら近況報告をすること。お互い歩ける距離に住んでいることにも、その公園がとても心地いい場所だということにも気づいたのは、コロナで外出しにくくなってから。
慌ただしく毎日を過ごし、見過ごしてきた物語が、まだまだ日常の中にある。そんなここ数ヶ月の気づきと、同じようなことを気づかせてくれた旅が、一年前のモンゴルの旅だったように思う。
日常のような旅、旅みたいな日常
去年の初夏、私はモンゴルの遊牧民の生活を撮るために最西端の街、バヤンウルギーを目指した。
首都ウランバートルからバスで約1,600km移動し、バヤンウルギーの街からはガイドのダウが運転するTOYOTAのランドクルーザーに同乗させてもらいながら、ゲルや小屋を転々とし、アルタイ山脈に暮らすカザフ民族と寝食を共にした。
彼らは四季に合わせて4回も引越しする。夏の時期は家畜を引き連れて。旅の途中、引越し中の家族には何度か出会うことができたが、多くの家族が引越し中ということは、これからゲルを建てるということで、なるほど数時間車を走らせてもゲルを見つけるとが難しかったのは、これが理由なのか。「ゲルや小屋が見つからなかったらテントでキャンプね」とダウに言われていたものの、運よく毎日のように遊牧民の家を見つけることができた。
この日も、昨夜突然お世話になった家族に「ラハメット!」と告げ、出発。ラハメットとは、カザフ語でありがとうを意味する。泊まらせてもらった家のカザフ族の人たちや、乗合バスの中で子供たちがジェスチャーや絵を描いて教えてくれた、私が覚えた数少ないカザフ語のひとつだ。本当はもっと感謝の気持ちを伝えたかった。次はカザフ語を勉強してからこの地を訪れようと思う。
自然に寄り添うという遊牧民の根本的な生き方
旅のスタイルは、移動しながらゲルや冬用の小屋を見つけ、見つかれば泊まらせてもらう交渉し、見つからなければテントで寝る。毎晩、宿は交渉次第だが、振り返ると「泊めて」とお願いすれば、大抵泊めさせてくれる民族だった。
ある日のこと。運よく冬用の小屋を見つけてお邪魔してみると、まさに明日が引っ越しなのだとみんなが慌ただしい。お茶をもらいながら、自然な流れで私たちも引越しを手伝うことになった。2日前までいた山のエリアでは、ラクダ4頭で引越しをすると聞いていたけれど、町に近いこのエリアではトラックで引越しする家庭もあり、少し近代的なようだ。見たこともないロシア製のトラックでかっこいいなと思いつつ、カザフ族の家畜を利用した昔ながらの引越しがいつかなくなる日も近いのかも、と少し残念にも思った。
彼らにどこへ引っ越しするのかと聞くと、どうやらはっきり決まっているわけではないようで、湖の近くへ行って、適当な場所を見つけたらそこにゲルを建てるそう。
その時、その時で良いと思った場所に家を建て、住む。なんて素敵なんだろう。クルマや近代的なものが取り入れられても、自然に従う、寄り添うという遊牧民の根本的な生き方は変わらないのかもしれない。
引っ越し準備の邪魔になってしまいそうだったので別れを告げ、本日の宿をまた探すことに。草原をクルマで走る、走る。すると、進行方向にあった湖の水位が高くなってしまい、対岸に渡れなくなってしまうという事態に。引き返して、対岸へ行く道を探そうとするダウに、私はこの辺りを散策して焚き火で寒さを凌ごうと提案をした。寒空だったけれど、凍った湖や対岸の山が美しい場所だった。
もうずっと車で走り続けていて、少し立ち止まりたかったし、先ほど聞いた「良いと思った場所にゲルを建てる」という話が忘れられず、私も自分の直感でここだ!と思った場所に留まったら、少しだけ遊牧民の気持ちに近づけるかもしれないと思ったから。
歩いてすぐのところに1万年以上前に描かれた動物たちの絵が。
川を越えたり、未舗装路(そもそも舗装路はウランバートルの街中にしか無いのだが)をずっと走って心強い旅の相棒、TOYOTAのランドクルーザー。日本から海を越えてやってきた中古車のようだけれど、きっとモンゴルの方がこのクルマの本領を発揮できているのだろうなと思う。
1mile先から訪れた今日の隣人
散策をしているうちにいつの間にか晴れてきて虹まで出てしまった。私が今引越しをしていたら、きっとここにゲルを建てる。やっぱり今日はここに住むつもりでテント泊をしよう。そう決めた。
小さな池の左側にテントを建てることに。旅の終わり、じっくりとモンゴルの大地を体で感じながら過ごせそうだ。そう思いながら落ちている動物たちの乾燥したフンを集め、焚き火を始めた。モンゴルでは木がほとんどないのでカラカラに乾いた牛や馬やラクダの糞を燃料にしている。
焚き火をしていると後ろの丘から馬に乗った青年が降りてきた。この広大な土地で人が通ることも少ないのだろう、おそらくクルマが通り過ぎた音で気がついて丘の向こうにあった家から様子を見にきたようだ。人になかなか会わない土地柄だからだろうか、旅人が情報源だからなのだろうか、皆もともとの友達のようによく話す。焚き火を囲って2時間ほど井戸端会議。
そして例の如く、ご飯に招かれ泊まって行くように誘われた。移動せず、留まっても物語はあるものだ。
夕食をいただきに1mileほど離れた丘の向こうの彼の家へお邪魔する。とても居心地の良い家族で、何度も泊まっていかないのかと聞かれたけれど、また明日の朝ごはんの時にくるよと彼らの優しさに後ろ髪を引かれながらテントへと戻った。
戻ると物凄い数の星が待っていた。隣の家が数十km先というのが当たり前のモンゴル、もちろん人工的な光などなく、とにかく星が眩しいくらい光っていた。テントに戻らなかったらこの星空には出会えなかった。直感に従って決めた場所。我ながらなかなか良い勘を持っている、なんて自己満足に浸る。
朝。やっぱり良い場所だった。次に来たときはここにしばらく居ようと思ったけれど、地形がまた変わっているかもしれないから一期一会、また良い場所を探そう。
朝ごはんをいただきに、丘の向こうの家族宅にまたお邪魔した。前からご近所に住んでいるような心地よさ。当たり前のように受け入れてくれる彼らに感謝しつつ、この広大な土地に住む彼らにとっても“1mile先に誰かがいる”という久々の体験で新鮮だったかもしれないなと思った。
移動しながら流れる景色を眺め、美しい景色に出会ったり、ゲルを探す旅も良かったけれど、動かないと決めた最後の1日が、この旅の中でも記憶に強く残っている。旅人の私たちの方に逆に訪問者が現れるという体験もあり、遊牧民の視点からこの土地やここでの日常を味わえた気がした。
「移動する」のも「立ち止まる」のも、どちらの旅もいいものだ。
日本に帰ったら住み方を考え直してみようか。いつも山や旅で飛び回っているけれど、結局はその季節の良い場所へ向かっているのだから、遊牧民のように住みやすいところに季節ごとに拠点を変えて良いかもしれない。
そんなことを思いながら帰路をまたクルマで走っていた。クルマの音に気づいたのだろうか、前の日に泊まった家族が遠くから手を振っていた。
根本絵梨子
Photographer
2010-2011年 渡豪
2012年 都内スタジオ勤務
2014年 都内にてアシスタント
2016年 フリーランスで活動開始
HP :erikonemoto.com
Instagram :@neeemooo
Photo & Text by Eriko Nemoto