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スニーカーの中で足の指を動かしながら歩き始める。凝り固まった身体をほぐすように、手首、足首、首を伸ばしたり曲げたり、動作を続けながら前に進んでいく。血が巡り、動きが良くなってきたらゆっくり走り始める。15分くらい経つと自然と目標の心拍数まで上がるようになってきた。あとは身体と会話しながら歩を進める。
コロナ禍の10ヶ月間、日々変わる状況の中、走ることで自分の心のバランスをとっていた。
自分の身体と向き合うために始めたジョギング
4年前のNYはとても寒かった。大雪も続いていたし天気の良い日でも温度の低さは酷かった。長女が1人で学校へ行くようになり、次女が4歳でようやく少し手が離れてきた頃。仕事と子育てを理由にまったく自分の身体のことを考えていなかったこともあるが、寒い日の朝、なんだか足の親指あたりが痺れている感じが現れた。はじめは気にせず放っておいたがどうやら痺れはどこにもいかない感じだった。痛みというものは何度となく味わってきたが、痺れはあんまり経験がなく、調べれば調べるほど“痺れは良くない”と言われる始末。
観念して病院で調べてもらうことに。丸1日かけて診断してもらった結果は、「よくわからない」だった。合計1,000ドルくらいの請求書、腹が立つを通り越して呆れてしまった。何にもないって言われても、実際に足の指は痺れてるし症状はちゃんと伝えたのに、なんなんだ西洋医学。大きな不信感。
その頃、出張で日本へ行く予定があったので、友人がずっと通っているという東京のスポーツ整骨院に連れて行ってもらった。先生は一通りの施術を終えてアドバイスをくれた。「最近、運動していますか? 足の血の巡りが悪いですね。運動し始めましょうか? まずは歩くことから始めてみてはいかがですか? 自然と血の巡りが良くなるはずです」。
40歳を迎えようとしていた僕には妙に身に染みた言葉で、まず少しずつでもやってみようと動き始めた。初めは散歩、そして早歩き。慣れてきたのでジョグを始めてみた。
もともと運動には自信があったはずの僕の身体は頭で考えている以上に衰えていた。初めは3kmも進まないうちに足が動かなくなった。「マジで、やばい」。
根気よくやると今回は決心していたので、ゆっくりじっくりこなしていくと、身体は少しずつ目覚めてきた。3km走れなかったのが5km走れるようになり、気づいたら1回で10kmくらいを普通に走れるようになっていた。
体重も10kgくらい、見た目ではそれ以上落ちた気がするほど引き締まった。身体が軽く感じ始めた頃には足の痺れは消えていた。
山で走ることの魅力
人は貪欲なのか、走れるようになると目標が欲しくなるようだ。毎年、NYマラソンには応募していたのだが、なんとその年初めて当選してしまった。はじめはその練習と思い、春の終わりにNYアップステイトのベアマウンテンで行われるトレイルランニングのレースにサインアップした。
山は昔から好きでタイミングが合えばテントを担いでハイキングにも向かっていたし、自然、山の空気が大好きだった。
トレイルランニングのコンセプトもあまり知らなかったが、どうにか必要な情報を集めて大会にこぎ着けた。予想以上にきつい上下の移動、ロードで走っているときには感じなかった身体への衝撃。ゴール後の僕の身体はボロボロだった。
ただ、なんとも言えない高揚感、達成感。身体が自然と触れ合い、吸い込む空気の美味しいこと。目の前に広がる景色は都会を走る時の何十倍も自分の心を震わせてくれた。
ここからはトレイルランニングの魅力に引き込まれた。自然と、山へ行くことが増えていったし、タイミングが合えば大会にも参加してきた。
身体の対応力、適応力などもわかってきた。参加する大会の距離も少しづつのび、3年目にしてとうとうウルトラトレイルレース。100mileレースにアメリカユタ州ワサッチ山脈で参加できることになった。
人が寝ずにしっかりパフォーマンスをできるトレイルランニングレースの最大距離が100mileだと聞いた。フィジカルの強さだけでは走りきれず、自己の管理能力と精神力が大きな鍵を握る。しっかり調整した上でのみ挑戦できる100mileのトレイルレースにいつか参加してみたかった。
念願の100mileレース。しかし……。
ソルトレイクシティは冬季オリンピックで知られているユタ州にある山岳都市。レーススタート地点、イースト・マウンテン・ワイルダーネス・パークは海抜1,500mくらいある。
朝5時スタート。レース序盤、しばらく続くなだらかな平地で足首を強く捻ってしまった。暗がりで見えなかった石と石の間に足を取られ、足首が折れたかと感じるくらい強烈なものだった。痛みはあったが、状況を確かめる。
「まだいける」。心に喝を入れて足を再び動かし始めた。
40mileくらい進んだなだらかな下り坂、足首の違和感を抱えつつも走っていた。藪で腰くらいまで隠れるシングルトラックの下りカーブの差し掛かり、前を走っていた女性がその場に座って用を足していた。彼女と目が合ってしまった、その瞬間、僕はまた足をすくわれた。なんと同じ箇所をもう1度、捻ってしまった。「やってしまった」。
今度は無理かと思ったが、意外にも足首はまだ動くようだ。その代わり僕の右手のポールは先から折れていた。心を折られた気もしたが、時間がなくなってきているので先を急いだ。アドレナリンが出ていたようで痛みは感じず、僕は前しかみていなかった。折れたポールをどうしようか考えていたら、次のエイドステーション(補給所)の方が、ダックテープで補修してくれた。本当に感謝しかない。
エイドごとに迫る制限時間を追いかけるように進む。55から68mile間の2つのエイドステーションは時間がなかったため素通り、真夜中のトレイルをひたすら走り続けた。
明け方、68mile地点のエイドステーションに時間ギリギリで間に合った。標高2,600mくらいのこのあたりは太陽が上がるまでの時間、温度が0度近くまで落ち込んでいた気がする。持っていた防寒着を全て着て、先へ登り始める。ここから3,000メートルの山が2つ控えていた。
1つ目の山の中腹で山上から降りてくる2人のランナーと遭遇した。男性のアメリカ人ペーサーと日本人(この大会で初めて会った日本人の方でした)の女性ランナー、彼女は寒さで震えていた。DNFのため下山する途中だった。
彼は一言目に、「一緒に降りよう」と僕に提案してきた。「そのスピードだとこの山を超え、降った後の関門には到底間に合わない」と。「先に進むと山をもう一度超えないと戻って来れない、それは本当に大変だ」。彼はこのレースを何度も完走している地元のベテランランナーだった。隣にいた義理の娘さんのペーサーとして今回は参加。彼女はなんと、グランドスラム(決められたアメリカの伝統あるトレイルの100mileレースを4つ、4ヶ月以内に制覇する。ワサッチフロント100がその最終レースであり、表彰の場。)の最後のレースだったという。
身体の状況よりも、身体中から悔しいという気持ちが溢れ出ていた。彼女のその表情はずっと忘れられない。何度か深く深呼吸をした後“絶対にこのレースに戻ってきて、この山を超えてゴールまで進む”、そう心に誓って、僕は一緒に下山をし始めた。ちょうど70mile地点だった。1つ前のエイドに戻り、大会本部にDNFを告げた。そこにいたレースディレクターの1人に「来年もきっと走れるからぜったい来い!」と肩を叩かれた。
人気で出場しにくいレースなのだが、幸運にも2020年大会にも当選した。しかしながら世界はパンデミックに突入。参加する予定だった大会はもちろんすべてキャンセルになった。仕事も生活も全て変わって、動きを失った。
しかし自分の心と身体との対話は止まらずに進んでいく。
走る理由
山の中、長い距離を走るようになって、なんのために走るの?とか、走っている時、何を考えているの?とか、そしてどこへ向かっているの?とか聞かれることが増えた。
僕はどこにも向かっていないのかもしれない。毎日、自分の身体と会話をする。心臓の動きと呼吸と向き合う。そして身体と呼吸の動きが整ってくると、自然と身体は動きが良くなる。
家に閉じ込められた100日以上の間、パーソナルスペースを作ることが難しかった。そんな中で、1日1回のランニングが唯一の自分の時間だった気がする。この時間は自分のことをしっかり考えていた。
この行為は変化を伴った2020年の僕の生活様式には不可欠なものであった。
今は以前のように気負いはなく、習慣としてランニングに向かうようになっている。仕事やプライベートで新しい場所に行ってもシューズだけ持っていけば走り出せる。温度や太陽の光、雨、そして雪。場所の変化、季節を身体で感じることができる。
感染が落ち着けば、今年中止になった100mileレースに来年の9月に出走できそうだ。
100mileレースは旅のようだって語る人がたくさんいる。旅が好きな僕はそこに取り憑かれたのかもしれない、しかもまだ完走できていない。もう一歩のところで僕は途中下車してしまった。
小さなエピソード、良い事も嫌な事も最後に笑い話にできるように、旅を完結しに行かないといけない。
自分の身体との旅。まだまだワクワクが続きそう。
距離にまつわる物語 | 連載「Story of my mile」一覧を見る
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山田陽
Photographer
1998年よりNYをベースに活動。アメリカと日本を移動しながら撮影の仕事に携わる。パーソナルワークの撮影、展示も続けており、現在、本の作成と展示を計画中。
HP :akirayamada.com
Instagram :@akira_yamada_photography
Photo & Text by Akira Yamada