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時速5kmのモビリティが叶える新世界〈前編〉| 速度によるマインドチェンジ
2021.12.10

時速5kmのモビリティが叶える新世界〈前編〉| 速度によるマインドチェンジ

昨年からサービスの提供を開始した、低速モビリティ iino。都市型モビリティは日々の暮らしを、観光シーンをどう変えていく? モビリティ×地域の食×観光をテーマに、会津若松で開催 された「会津新晩餐」から、新しいモビリティがもたらす未来を検証する。

後編 | 新しい観光体験をもたらす移動 はコチラから

空海しかり、ジョン・ミューアしかり、古今東西、人間は歩くことに魅せられてきた。

それはもしかしたら歩く行為と同じくらい、その速度が関係しているのかもしれない。「歩く速度が見せてくれる世界そのものに深遠な広がりを感じる」という、大阪発の〈ゲキダンイイノ〉。2017年から低速モビリティの実証を行っている彼らが生み出した、まったく新しいモビリティiino に、そんなことを思う。iino は時速 5km、つまり人間が歩くスピードで動くモビリティだ。

都市の歩行者エリアにおける通行人全般がターゲットのモビリティ「type-S」

「そもそもは“身体的に自由になれる”モビリティが都市の新たな移動手段となるのでは、そんな思いから低速モビリティの開発をスタートしました」というのは、〈ゲキダンイイノ〉座長(代表)の嶋田悠介さん。クルマも自転車もバイクも、これまでの乗り物には運転がつきものだった。そこで考えたのが、運転に意識や身体をそがれない“自由になれる”乗り物。センサーを搭載した自立走行できる、新しいモビリティだ。

意識も身体も自由になれる乗り物

市場などで使われているターレットトラックにウィンドサーフィンのバーを装着した簡易的なもので実験するうちに、運転から開放され、周囲を眺める目線を変えるだけで全く新しい世界に出合えると気がついた。さらに、移動スピードこそが重要であることもわかってきた。

「電動カートや電動キックボードは時速20km近くになる。好きなところで自由に乗り降りできるモビリティをイメージしていた僕たちには速すぎました。そこで、魚市場などで見かけるターレットトラックを用いてジョギング程度のスピード(時速7、8km)で実験をスタートしたんです。けれどその速度も、バー1本を設置しただけの乗り物にしては速すぎるんです。カーブでの遠心力も強すぎ、怖くて誰も自由に乗り降りできない。そこで徐々にスピードを落としていきました」(嶋田)

速度が遅くなると、利便性とは別の価値観が生まれることに気がついた。コーヒーを片手に周囲の景色を見回す余裕が生まれる。いつも見慣れた風景がまったく変わって見える。

「これまでのモビリティはいかに速く、効率よく移動できるかを念頭に開発されていました。一方、iino はコンセプトに自由度、共存性、物語性を掲げています。時速 5km のモビリティだからシートベルトも座席も不要で、デザインも活用シーンも自由です。歩く速度と同じだから 都市で歩行者と共存できる。そして歩く速度で移動する完全自動運転のモビリティから眺める 風景に、新しい物語を感じてもらえるのです」(嶋田)

観光シーンにおいて、ラグジュアリーな体験コンテンツを想定した「type-R」

「速く・効率よく」から、「物語性」重視へ


左から〈ゲキダンイイノ〉座長の嶋田悠介さん、〈一般社団法人会津若松観光ビューロー〉の渡邉幸嗣さん

独自に2種のモビリティを開発し、昨年秋に本格的な移動サービスの提供をスタートした。「type-S」は商業施設の敷地内や都市の歩行エリアでの使用を想定したもの。もう一つの「type-R」は、新しい体験型観光を可能にするツールとして、観光地やリゾート施設などでの稼働を考えている。

「寝転んで乗り物のスピードに身を委ね、ただぼんやりと周りの風景を眺めている。それだけのことなのに、世界はこんなに美しいものだったんだという、これまでに感じたこのないようなマインドセットを経験しました。そんなことから、このモビリティの上で飲食や宿泊を提供できればまったく新しい体験を提供できるのではと考えたのです」(嶋田)

「type-R」を使った移動体験を形にしたのが、この秋、福島県会津若松で開催された「会津新晩餐」だ。

イベントを共催した〈一般社団法人会津若松観光ビューロー〉の渡邉幸嗣さんは、観る・食べる・買うといった従来型の観光から、五感を刺激し、心の成長を伴うような体験型 観光へのシフトを痛感していた。

「私自身、〈大川荘〉とういう昔ながらの温泉旅館の経営に携わる傍ら、登山家の田部井敦子さ んがオーナーを務めていた〈沼尻高原ロッジ〉を引き継ぎ、ここを拠点に、トレイルを登って 山中の源泉につかりにいこうという『エクストリーム温泉ツアー』を開催しています。昔からの観光地の良さをアピールしているだけでは、今後、観光施設は生き残れないからです」

渡邉さんが初めてiinoに乗ったとき、いつも見慣れた会津の風景がまったく知らないものに見える、そんな不思議な感覚を覚えたという。

「歩かなくていい、運転しなくていい。だから目に映るものだけに脳が集中できる。そして、いつもと目線が違うだけで目に見えるものが新鮮に映る。時速5kmで移動するという豊かさに、食や酒の魅力を付加することで新しい価値を生み出せるかもしれない。そしてそれこそが会津の観光シーンに一石を投じるかもしれない。そんな可能性を感じて企画に賛同しました」(渡邉)

1日1組限定、風土の豊かさに触れる旅

1日1組限定で一泊二日の旅を提供する「会津新晩餐」は、鶴ヶ城を中心に、会津地域のシンボルである磐梯山にも焦点を当て、ここで育まれる食文化も紹介するという。

「初めに鶴ヶ城内でiinoを走らせないかといわれたときは、正直、自信がありませんでした。会津若松の幕末というストーリーはすでに十分すぎるほど語られており、iinoがさらなる物語を紡ぎ出せるとは思えなかったんです。けれども、『古事記』の時代以前から栄えていたといわれるように、山と水に恵まれ、米作をはじめとする農業が盛んな会津の豊かさは表現してみたい。これはiinoにとっても新しいチャレンジだと考えました」(嶋田)


「会津新晩餐」は、郡山を抜けて会津に到達し、会津エリアのシンボリックな風景を眺めながら食事の舞台である鶴ヶ城に着くまでの移動体験を、地元の人々の協力を得て丹念に作り上げていく。なんでも、前半のハイライトは「地元農家がこよなく愛する、朝の山の風景」なんだとか。

「その“風景”を楽しむお膳立てとして、素朴な農作業小屋に厳選した陶器や漆器を持ち込みんで、そのシーンのためだけのセッティングを行います。磐梯山の野生と伝統の会津漆器に息づく洗練、どちらもがあたりまえに息づくのが会津だということを、旅する方に感じてもらえたら」(渡邉)

鶴ヶ城に到着したら、自動走行する「type-R」に乗り換える。「type-S」と異なり、ソファをあしらって快適さを追求したデザインは、「動くリビングルーム」といったしつらい。これで城内を巡りながら、地元シェフが腕を振るう料理を味わうという趣向だ。

「僕たちは移動体験を作るプロフェッショナルだと自負しています。街なかにいると移動には体験の深度よりも利便性を求めてしまいがちですが、そうではない移動の魅力をこうしたイベントで提案していきたいと考えています」(嶋田)

「会津新晩餐」の詳細は次回の後編にてお届けする。

ゲキダンイイノ

「乗ると物語」な時速5kmモビリティ『iino(イイノ)』を世界に放つ。都市の歩行者エリアを走る「type-S」と、ラグジュアリーな体験コンテンツを想定した「type-R」を開発。低速を中心に様々なモビリティを用い移動体験をデザインしている。

photo by Gekidan iino / Mitsugu Uehara text by Ryoko Kuraishi