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時速5kmのモビリティが叶える新世界〈後編〉| 新しい観光体験をもたらす移動
2021.12.15

時速5kmのモビリティが叶える新世界〈後編〉| 新しい観光体験をもたらす移動

低速モビリティiinoを使い、まったく新しい体験を提供する観光コンテンツ「会津新晩餐」。後編では、会津若松で行われたイベントの内容を紹介するとともに、新しいモビリティがツーリズムにもたらす価値をイベントの主催者でモビリティを開発した〈ゲキダンイイノ〉座長(代表)の嶋田悠介さんと考える。

前編 | 速度によるマインドチェンジ はコチラから

11月15日から12月5日までのおよそ3週間に渡り、1日1組限定で開催された「会津新晩餐」。1泊2日でさまざまなコンテンツが繰り広げられるが、そのテーマは「風景と食のマリアージュ」である。郡山駅からハイヤーに乗り込んだ参加者が初めに体験するのは、地元の米農家〈つちや農園〉の、磐梯山麓にある田んぼの前に広がる絶景だ。

磐梯山の山容をツアーに取り入れた理由を、イベントを共催する〈一般社団法人会津若松観光ビューロー〉の渡邉幸嗣さんが解説する。

「ここで生まれ育った私自身、磐梯山こそが故郷のシンボルであると実感します。この風景をぜひ、旅のはじまりとして味わってもらいたいのです」

〈つちや農園〉の農作業小屋に設けられた、参加者のための一角。

米農家が教えてくれた、日常のとっておき

縄文時代から作られている品種から令和の品種まで、1枚の田んぼでおよそ60種を特別栽培・自然栽培し、その種取りまでを行っているという〈つちや農園〉。米どころの会津にあって、厳しい気候風土の猪苗代は米作が振るわず、「会津の足手まとい」とまでいわれていたそうだ。〈つちや農園〉2代目の土屋睦彦さんは、父が作る米のおいしさを信じてひたむきに米作りに励み、自然農や有機栽培にチャレンジするようになった。いつしかさまざまな食味コンクールで入賞を繰り返すようになり、猪苗代の農家への見る目を変えたのである。現在は父から受け継いだ農園を、弟とともに切り盛りする。

会津の人々の心のふるさと、磐梯山を眺めて。

そんな土屋さんの一日は、農作業小屋から磐梯山を眺めながらのお茶から始まる。小屋のシャッターを開けると視界に飛び込んでくる磐梯山の風景、それを眺めながらゆっくりとお茶をいただくのだ。会津の豊かな風土を表現するにあたり、地元の生産者を訪ねる行程を組み入れたいと考えていた嶋田さんは、紹介された〈つちや農園〉でこの風景を目にし、これからのツーリズムに求められるのは土地に暮らす人の思いをなぞっていくことだと実感したそうだ。知る、体験する、味わうだけでなく、人の心を震わせること。それこそがツーリズムの新たな価値である、と。この風景を土屋さんは“会津のマチュピチュ”と表するが、「誰かの日常の贅沢を、ちょっとだけお借りする」という嶋田さんの思惑通り、参加者は雄大な自然が織りなす会津の物語に引き込まれるのだ。


〈つちや農園〉の作業小屋でお茶のひとときに憩う。

城のまいを生かした「城食」というラグジュアリー

〈つちや農園〉で一息ついたら、いよいよ鶴ヶ城へ。城内のスタート地点ある鉄門でiinoに乗り込み、「城食」と名付けられた食事体験がスタートする。ここで供される初めの一品は、茶懐石の作法である一汁二菜。一品目にいきなり米を出すのは、『古事記』の時代から米作が行われていたという会津ならでは。今年の豊作に感謝を捧げるとともに、自慢の新米をゲストに味わってもらいたいというおもてなしの心の現れなのだとか。椀に盛られているのはもちろん、〈つちや農園〉の新米だ。

特別にライトアップされた城内をiinoで巡る。

料理の監修を務めたのは、猪苗代沼尻温泉にある沼尻高原ロッジの料理長、黒澤俊光シェフ。和食をベースに、ジャンルを超越したオリジナリティあふれる料理を創り出すシェフの真骨頂は、地元の食材使いにあり。よい食材を求めて自ら生産者を訪ねては現場で味を確かめるといい、そうして築き上げた生産者のネットワークは県内全域に広がっている。そのコンセプトを受けて城内で調理をするのは、〈大川荘〉の料理長である。生まれも育ちも会津という料理長は郷土のストーリーにも精通しているだけあって、在来品種の野菜を取り入れた会津ならではの郷土料理を伝統の会津漆器で提供。米どころらしい日本酒を合わせてこの地の魅力を表現した。


美しいうつわで提供される焼きものと名物の見知不柿。

「長い冬を深い雪に閉ざされる会津には、先人たちの生活の知恵ともいうべき保存食の文化が根づいています。さまざまな工夫を凝らして現代まで受け継がれてきた保存食は、会津の心そのものです。質素に見えるかもしれないですが、プレゼンテーションに気を配って現代的な一品に仕上げました」(料理長)



料理と酒のマリアージュのポイントを解説しながら、料理長自らがサーブ。

鉄門を出発したiinoは、月見櫓へ。ここで三五八漬けや見知不(みしらず)柿など会津らしい料理、食材が提供された後、東側の石垣で最後の一品がサーブされ、廊下橋で城内での体験は終了だ。参加者はこのあと、会津東山温泉にある囲炉裏を擁した源泉かけ流しの温泉宿〈いろりのやど 芦名〉へ移動する。

レトロな趣きが魅力の〈いろりのやど 芦名〉。囲炉裏端で締めの料理をいただいたら、源泉かけ流しのお湯へ。翌朝は女将さんが腕を振るうとっておきの和朝食を味わえる。銚子の越田商店から取り寄せるサバの文化干しの炭火焼き、季節の野菜たっぷりの味噌汁、炊きたての新米……これだけでも訪れる価値あり。

従来のツーリズムでは、モビリティはあくまでも主となる体験を実現するための手段にすぎなかった。利便性や効率のよさが重視されてきたのはこのためだ。一方、このコンテンツでは移動というプロセスそのものに焦点をあて、そこに新たな価値を生み出そうとしている。ここで求められるのは速さではない。今回の参加者も、「これまで風景は立って眺めるか歩いて眺めるか、だった。ところが寝転がって観るだけでまったく違う世界をのぞけるということがわかった」と感想を残している。

普通では体験できない目線で天守閣を見上げる参加者。

「この旅でモビリティが果たす役割は、マインドセットの起爆剤」と嶋田さん。自動走行に身をゆだね、寝転がって鶴ヶ城内を巡る。随所に郷土の食や酒が挟み込まれる。この仕立てのなかでは、目にする風景がまるで映画のワンシーンのように意識に飛び込んでくる。

「移動には日常の風景を非日常に転換する、そんな作用があると思う。そこに身体に直接的に働きかける食体験を加えることで、移動がもたらす新しい物語にさらなる奥行きが醸されるのです」

観る人の心を震わす体験をiinoで実現していくという〈ゲキダンイイノ〉。「会津新晩餐」に続く次回のイベントは来春3月に宇都宮で開催予定だ。歩く速度がもたらす未来のツーリズム、その新世界を体験してみよう。

ゲキダンイイノ

「乗ると物語」な時速5kmモビリティ『iino(イイノ)』を世界に放つ。都市の歩行者エリアを走る「type-S」と、ラグジュアリーな体験コンテンツを想定した「type-R」を開発。低速を中心に様々なモビリティを用い移動体験をデザインしている。

photo by Mitsugu Uehara text by Ryoko Kuraishi