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自身の“代表作”をきっかけに、自分たちが活動する場〈BAGN Inc.〉を設立
村松亮(以下 村松):さて、本日のゲストは引き続き、音楽家でありながら、ディレクションカンパニー〈BAGN Inc.〉の代表でもある坂口修一郎さんにお越しいただいております。よろしくお願いします。
坂口修一郎(以下 坂口):はい、よろしくお願いします。
村松:前編では、主催者として15年続け、惜しまれながら去年幕を閉じた〈GOOD NEIGHBORS JAMBOREE〉(略称:ジャンボリー)についてお話を伺いました。後編では、この〈GOOD NEIGHBORS JAMBOREE〉をきっかけに広がっていった〈BAGN Inc.〉の活動内容であったり、坂口さんにとってのテーマでもある“プレスメイキング”についてもお話を伺っていけたらと思います。
坂口:はい。
村松:そもそも〈BAGN Inc.〉(ビーエージーエヌ)という会社名はどういう意味ですか。
坂口:“E A GOOD NEIGHBOR”の略です。つまり、良き隣人であれ と。
村松:さきほどの〈GOOD NEIGHBORS JAMBOREE(グッドネイバーズジャンボリー)〉が先にあって、その後に生まれた会社ですね。
坂口:そうです、そうです。ジャンボリーを始めたときは、最初はフリーランス。会社には所属していたけど、会社の仕事として始めたわけじゃないから、完全にプライベートな活動として始めた。ていう感じなので、そのときは自分の代表作をつくろう、という思いはどっかにはあったけど、それでまさか会社になるとは思ってなかったんですよね。
村松:いつぐらいから、この〈BAGN Inc.〉をつくろうという気持ちになったんですか?
坂口:会社に登記したのは2014年なので、2010年にジャンボリーを始めて、4年ぐらい経った頃。そう考えると会社にしてからちょうど10年なんですよね。思いがけず色々と仕事が来るようになった。不思議だなと思っていたんだけど。
その当時やっていた仕事といえば、震災後ということもあって、被災地の支援に行ったり、企業がその支援をするときに被災地に入って現場にいる地元の人たちの声を拾って、その上でその場所で何かプロジェクトをやるとか、そういう仕事もありました。ジェーンバーキンさんと一緒にやった復興支援ツアー(2011年)も、子供の音楽再生基金というものが立ち上がって、いくつかのプロジェクトがあるうちの一つだった。そのうちの一つは坂本龍一さんの東北ユースオーケストラだったりするけど。
まだ「地方創生」っていう言葉もなかった頃、過疎地域のローカルで、都会と行き来しながらそんな活動をインディペンデントを始めたっていうのがちょっと面白かったかもしれない。だから本当に名刺代わりっていうか代表作みたいな感じになった。

村松:ジャンボリーを見て、シンパシー持ってくれた人たちからの仕事が徐々に増えて?
坂口:徐々に増えてきた。
村松:これはいよいよ会社にしないと、っていうのが2014年。この会社自体はランドスケーププロダクツの中にできたんですか?
坂口:いや、それは最初から明確に別だったんです。ランドスケーププロダクツの定款にもないことはいっぱいやっているので、別にした方がいいねっていうことになったので、さっき(前編記事)出てきた岡本と中原と僕と3人で出資をして、3人の会社としてつくった。子会社とかではなく、別な会社として。
村松:今となっては収まりのいいメンツですけど、当時は面白い組み合わせでしたね、僕の印象としては。
坂口:ね。岡本さんという編集者と中原くんというデザイナー、そこに音楽やってきた人間だからね。全然ジャンルもバラバラとは思ったけど、自分の中ではあんまりそこに違和感はなかったかな。
村松:当時からそのプレスメイキングっていう言葉は〈BAGN Inc.〉の中にあったんですか?
坂口:この“プレスメイキング”って言葉自体は、1960年代ぐらいにアメリカで生まれた言葉なので、あったことはあった。自分の仕事をどうしていこうかなって思ったときに、そもそも前編の方で話した〈代官山のユニット〉というクラブの立ち上げと企画をしていたとき、当時はまだ僕も30歳になったぐらい。で、自分どうやっていこうってなったときに音楽をつくるだけってのはどうなんだと思っていた。音楽は好きだし面白いからやるんだけど、ビクターとかエイベックスとかで契約してやっていたので、それはそれなりにやっていたけど、そのままずっとやっていけないだろうとも思っていた。ので、自分たちが活動する場をつくんないとな、とは思っていた。
村松:じゃあプレイヤーでありながらも、自分自身の活動の場を自分でつくらないといけないと思っていた?
坂口:やっぱり誰かが用意してくれた居場所の中に自分の収まりが悪いと思っていたから。どうすればいいんだろうと思いながらだったけど、明確にそう思ってたわけじゃなかったけど、ジャンボリーをやったことで、やれるなっていう感じはあって。空間プロデュースとかそういう言葉はあったけど「空間じゃないんだよな」と思ってたけどね。「スペース」ではなく、「プレイス」っていうのは違うコンセプトなので。スペースはただの空間、プレイスはそのスペースに何かが追加されることで誰かの居場所になる。ドラえもんの空き地で土管が置いてあるじゃないですか。土管がないとジャイアンのステージにもならないし、雨が降ってのび太が隠れることもできないんだけど、土管というコンテンツがあることで、誰かのパフォーマンスができるみたいなこと。そのコンテンツをインストールして、何もない空き地・スペースだったものが、プレイスになるという考え方がいいなと思って、プレイスメイキングって言うようになった。
意外な依頼から始まった“プレイスメイキング”の実績
村松:〈BAGN Inc.〉を設立して、どういう案件を手がけていくようになるんですか?
坂口:本当意外だったのが、東京の商業施設からの依頼がすごく増えたんですよね。オフィスビルや高層ビルが建つと容積率の問題でできるだけみんな高くしたい。そうすると、空き地(あきち)とは言わないけれども空地(くうち)ができるんだよね。フラットな空地ができたときに、そこの使い方のアイディアがない場合が非常に多くて。だけどできた空地に人が集うようにするには、バーティカルな高層ビルの足元にフラットなホリゾンタルな場があって、エレベーターで降りてきたらみんなそこで交流できればいいんだけど、なかなかそうならない。だからそうなるためにはどうすればいいだろうっていう依頼が来るようになって。そんな依頼があるんだなって、ちょっと最初は驚いた。
村松:ジャンボリーを聞きつけて、観て、依頼がくる。みたいな感じだったんですか?
坂口:さっき言ったプレイスっていうのは誰かの居場所っていう意味で、まずは自分の居場所がほしいと思っていて。「VIP」が苦手で、誰か特権的な人がいるのは何か居心地が良くないと。自分もそうなりたくないし、みんなを大事にしようと思ったら自分の居場所を居心地よくするには誰かにとっても居心地よくなきゃいけないので、みんなが居心地の良い場所をつくろうっていうことがプレイスメイキングだと思っていて。そういう考え方があまりなかったものなのかもしれませんね。セレブリティ扱いをされることにみんな憧れていたり、テレビとかも含めてね。その中で、そうじゃない場作りっていうのが評価されて、仕事が来るんじゃないかなと思ったり。
村松:商業施設からは、具体的にどういうオーダーだったんですか?
坂口:イベントやキャンペーンの立案とか、空間施設をつくるにあたってのコンセプトを考えてほしいとか。あとは行政から、公園の再生を一緒にやってほしいとか。ハウスメーカーの住宅展示場のリニューアルとその考え方を一緒につくってほしいとか、今そんな感じ。
村松:へえ。話ズレますけど、プレイヤーでもある音楽家が、居心地のいい場所として〈GOOD NEIGHBORS JAMBOREE〉というフェスをつくって、お客さんとステージをとっぱらって一つのフラットな場をつくっていたと思うんですけど、演奏する音楽家の人たちのリアクションとか反応はどうだったんですか?
坂口:要は音楽に集中してないっていうか、なんか邪道な感じ?(笑)
村松:なのか、それともステージという一つ上のところから音楽を届けるフェスティバルでの演奏とは違う演奏体験になったのかどうなのかっていうのが、急に気になっちゃって、今聞きました。
坂口:違う演奏体験……。ステージに上がる側だったけれど、ステージというのは、ステージ上の演者だけがつくるものではないから。音響の人、照明さん、舞台監督、ブッキングをするマネージャー、そのイベント自体をつくるプロデューサー、そういう人がいてはじめて演奏が可能になるので、やっていることはあんまり変わらないかな。たまたまそのとき、その場では自分が演奏する側だったけど、それがちょっと横にズレているというだけだから。あんまり自分の中では違和感はなくて、自分が違和感がないから、みんなもそんなに違和感を感じなかったんじゃないかな。あの人はそういう感じだよねって思われているような気がする。
だから確かにね、その後に廃校でいろんなことを〈GOOD NEIGHBORS JAMBOREE〉はやっていたから、最終的にはその廃校の運営をするところまでになったんですよね。それは行政から頼まれて、ざっくり言うと。一般社団法人をつくってジャンボリーの実行委員とは別で、地元の人と一緒に運営するまでになった。ていうのはやっぱりちょっと珍しいので取材を受けたり、というのはいろいろあった。
そもそも、例えば僕ら10人の楽団で、その中では僕はトランペットを吹くのが役割。でも10人全員がトランペットのバンドなんてあんまりないじゃないですか。ドラムがいて、ベースがいて、ギターがいて、トランペット、サックス、全部バラバラの楽器がいて、音程もメゾットも全員違う人が集まるのが普通でしょ? だからそれとやっていることは一緒。ステージに上がる人、音響する人、絵を描く人、ご飯をつくる人、みたいな。それぞれの役割の人が集まって、オーケストラみたくなんかやっている場所。そういう考え方が面白いからこっちでも何か考えてくれって言われたのは逆にびっくりした。

村松:地方も各地行かれていて、東京の商業ビルのオープンスペースみたいなところ以外でもいろんなローカルの案件も手がけてこられたと思います。なにか坂口さん的に印象に残ってる場作りみたいなものってありますか?
坂口:最近やったのだと、兵庫県の加古川市っていう町の農業公園の再生をやって、それは結構面白かったというか、プロジェクトとして関われてよかったなっていうのがありますよね。行政がやることってハードを先に作ってソフトのことが後回しになることが多い。けど、このプロジェクトの場合は「DBO」っていって、デザイン・ビルド・オペレーションを一体で発注するスタイルで。要はリスタートしたときのコンテンツを考えて、それがうまく機能するようにビルド、構築をして、さらに上手く整うようにデザインし直すっていう感じ。普通はビルドが先に来ちゃうので、その「DBO」ができた事例としては面白かったな。
村松:そのつくり方自体は元々やりたかったんですか?
坂口:そうしないとうまくいかないなと思っていた。なのに大体はハードの予見が先にきちゃうからうまくいかないよねって常に思っていた。できてみたらすごい使いづらいとかよくあるんでそういう話。これまでのキャリアの中では、クラブや音楽ホールをつくってきたこともあるけれど、思わぬタイミングで、着席のホールプランに穴があったりして、ここの席からステージ見えないよねとか結構あるんですね、びっくりすることが。使い方を想定せずに設計したりプランしちゃうことは、世の中実は相当あって。
村松:加古川のプロジェクトは中身から決めていったってことですよね。
坂口:そう。厳密に言うと、行政側の意向はもちろんあった。例えば今までは果樹のフルーツパークという名前のもぎとり園みたいな感じで、14ヘクタールとかとにかくすごくでかい山1個、丘1個という大きさだった。そこに宿泊をできるようにしたい意向はあったけど、じゃあそれをどういう形のものにするのかとか。公園だから、無料で入れるにも関わらず利用がどんどん減っていたんだけど、それを楽しくするにはどうすればいいのかとか。まずそっちを考えて、それだったらこういう施設、設備が必要で、それをどうデザインするみたいな。逆算していった。
村松:結構プロジェクトとしては長そうですね。
坂口:長い。4,5年やったんじゃないの、と思います。
村松:それは年間通じて運用とイベント企画みたいな感じですか?
坂口:いやいや、イベントは僕らは全然タッチしてなくて、アドバイスというか、コンサルティングみたいなのはした。運営は全然僕らはやってなくて。考え方を決めてコンセプトを決めて、どういうふうに使うかっていうことを一緒に考えた。
役割があれば、居場所になる。ヒエラルキーのないフラットな場作り
村松:改めて〈GOOD NEIGHBORS JAMBOREE〉でつくったものをみて、そうやって各地からオーダーもあり、会社にもなっていったわけですが。何を成せたからそうなったかって自己分析することありますか? 振り返ることはありますか?

坂口:聞かれたから今振り返ってる(笑)。何を成せたかっていうと、一つにはヒエラルキーをつくらなかったっていうこと。結局お客さんを選べないじゃないですか、本当はね。なんだけど、VIPとかそういうヒエラルキーをつくるような方向に行ってしまいがちなんですよね。例えばそれが商業施設とかだったらお客さんを選ぶときはこっそりやるよね、裏から入ってもらうとか。基本的にはたくさんの人に来てもらいたいわけだからお客さんは選べない。とするとフラットにみんなを扱わなきゃいけない。イベントをやるにしても、施設をつくるにしても、フラットにしながら居心地の良い場所をつくるにはどうすればいいかっていうと、来る人たちにそれぞれに何らかの役割があるっていう状態が一番いい。ただ来て、みて、帰るだけじゃなくて、何か自分も参加することがあると、それは自分に役割が与えられるから、その人に居場所ができる。そうすると居場所を感じた人は、そこの施設に必ずシンパシーというか、感情的なエンパシーを感じるみたいな。そうやってファン化していくことは、多分求められていたんだろうなという感じ。
頭で意識して企画して、そういう仕事が来るようにショーケースとして始めたわけじゃないけど結果そうなったっていう。あともう1個は、やっぱり山の中でやっているから、さっきも言ったけれど、必ず移動というものが一緒についてくる。人は、移動の距離とクリエイティブの質は比例すると思うので、何か移動してきて、自分でも何か物づくりをするなり、イベントに少しでも関わって帰る、刺激を受けて帰る。そのあり方がイベントとして盛り上がった。ただ有名なネームバリューのある人が来たから何千人集まった、とかだとその有名人がいなくなったら、集まった何千人はいなくなっちゃう。アニメのキャラクターとかそういうので集客をしたとしたら、それは施設の集客じゃなくてキャラクターの集客だから。その施設自体に人が来て、何らか共感を得て帰っていくとまた来てくれる。そういうふうに僕らの活動を見る人がいたっていうことなんだと思うんですよね。

村松:場作りする上で気をつけていることって、やっぱりそういう居心地の良さみたいな、来た人が自分の居場所だと思えるみたいなところは大事にしているんですか?
坂口:それはもちろんそうだけど、でも、特別扱いしない。おもてなしという感じではないですよね。割とフラットにオープンにしておいて、自分で何かやってもらうっていう。そのためのアシストになるようなことはするけど、おもてなしという感覚とはちょっと違うんじゃないかなと。あとはローカルということ。ローカルでやることは必然的に移動は絶対伴うんで、街と田園地帯とをわざわざ移動して、そこに行くことの意味みたいなことが出てくる。ローカルでやったっていうことが一つ大きいのかなという気がする。
村松:さて、そろそろお時間なので、今週はここまで。今日の話で印象に残っているのは、スペースではなく、プレイスという考え方です。一見それは同じように見えるかもしれないですけど空間作りではなく、居場所づくりである。その視点の違いによって、案外そこに放り込まれる中身や考え方がだいぶ変わってくるんだなと思いました。つまりプレイスメイキングという考え方そのものが、いろんなものに転換できるような気もしていて、もの作りに役立つ考え方なのだなとも思った次第です。
改めまして、2回にわたってお話しいただきましたけれども、坂口さんありがとうございました。
坂口:はい、ありがとうございました。
坂口修一郎 (SHUICHIRO SAKAGUCHI)
1971年、鹿児島生まれ。東京発の無国籍楽団〈ダブルフェイマス〉のオリジナルメンバーとして活動する傍ら、株式会社BAGNを設立。日本各地でオープンスペースの空間プロデュースやイベント、フェスティバルなど、ジャンルや地域を越境しながら多くのプレイスメイキングを行う。2010年から野外イベント〈GOOD NEIGHBORS JAMBOREE〉を主宰するほか、鹿児島県南九州市の地域創生プロジェクト〈一般社団法人リバーバンク〉の代表理事、子どものための体験教育メディアを運営する〈マンモス・インク〉代表も兼任する。
I G:@shu_sakaguchi