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乗り物に対する好奇心を掻き立てる仕事
日差しが輝く9月の多摩川源流域。幾分都内よりも涼しい山間部では、緑と清流も目を涼ませてくれた。東京唯一の村である檜原村は、都内からは途中で高速に乗ったとしても下道を走る時間も長く、どうしたって都心から2時間近くかかる陸の孤島だが、その秘境感ゆえに、ここには東京らしからぬ穏やかな時間が流れていた。
インタビューのために訪れたのは、神保さんが頻繁に利用している〈Village Hinohara〉。ここは自然を日常と感じられるようなサテライトオフィスで、平日の空いてそうな時を狙って、ドライブがてらに訪れては1人で考えにふけるの場所なのだという。
〈Village Hinohara〉は環境への影響を抑えるため地形に沿って設計された3フロア構造の建物。屋内でも山の斜面が感じられ、開口部からは山間部の豊かな緑がのぞいている。
今回取材させていただいた神保さんは、オンラインカーメディア〈DRIVETHRU〉の編集長だが、まずは神保さんは普段どんな仕事をしているのかを尋ねてみた。
「自由になんでもやらせてもらっているので、側から見れば自由業に見えるかもしれませんが、一応僕も〈カエルム〉という会社に属している会社員。カエルムは雑誌編集やグラフィックデザイン、ムービー、イベント、プロダクト制作、フォトスタジオ運営といったクリエイティブ関係の事業をやっている会社で、そこで〈DRIVETHRU〉というメディアを運営しながら、日々その活動から派生したプロジェクトを進行しています」
〈DRIVETHRU〉は2014年に発足。クルマそのものの情報をただ発信するのではなく、それらを取り巻くファッションやアートを組み合わせた、モビリティカルチャーに焦点を合わせているWEBメディア。特に国内外の旧車やEV関係の内容を多く取り上げているが、いずれも切り口はエッジー。これまでの自動車雑誌で知識を深めてきたエンスージアストたちが喜ぶ類とは、また異なるマニアックな視点からモビリティを取り上げ、乗り物に対する好奇心を掻き立てている。
神保さんたちが取り上げるテーマはどれも刺激的。しかし新作記事の更新は頻繁ではなく、月に一度の投稿ということもザラ。そのスタンスからも、一日に何本も記事がアップされるようなWEBメディアとは別の世界線で生きていることがわかるが、実は従来のメディアのビジネスモデルとも異なっている。
雑誌販売による収益などがないWEBメディアにとっては、普通は広告掲載が生命線。だが〈DRIVETHRU〉は他社の広告は一切なし。その代わりに、メディア活動を通して繋がったスポンサーやタイアップ企業とのクリエイティブワーク、ブランディングプロジェクトに参画して収益を得ているのだという。
「どうやったら小さなメディアが広告収入なく成立して、発信力を持って、かつコアなユーザーを捕まえられるか。そう考えたときに最初に行ったのは、自分たちがプロデュースした旧車やトレーラーの販売だったんです。しばらく、今はなき〈COMMUNE246〉という表参道のコミュニティ空間にスペースを持って対面して話しながら展示販売できたことと、メディアをやっているということが信用されたのか、何とかやっていける売り上げでした」
「しかし途中から、僕たちはメディアであるならば、自分たちが記事を書いてクルマを売るのではなく、普通に車屋さんでクルマが売れる世界を作らなければいけないなと思ったんですよね。それからは徐々に個人への販売を少なくしていって、新しいコンセプトとなるようなモノを作ったり、企業と協業しながらモビリティ制作の方向にシフト。僕たちの役割は道しるべであればいいというスタンスでメディアを作りながら、プロデュースなどにも関わっています」
これまでに彼らが取り組んできた興味深いプロジェクトとしては、日本製キャンピングトレーラー『ルーメット』の販売や、いすゞ117クーペのカーシェアリング、メルセデスベンツ W124専門店によるオーダーメイドカー『Arrows Classic Line』のプロデュースなどなど。メディアとして広告主に依存せずに記事を制作していることは、結果として独自のスタイルを確立している理由となっている。
彼らがメディアとして大切にしているのは、面白いことをして、モビリティというモノ全体を盛り上げるという想い。神保さん曰く、〈DRIVETHRU〉が目指しているのは、ちょっと先のあんまり遠くじゃない未来のモビリティ像。
「すごくつまらなさそうなモビリティという言葉を、もうちょっとよいイメージにしていければと思ってるんですよね」
檜原村とMobile SS
神保さんが檜原村によく通っているのは、都会からのエスケープやワーケーション気分というわけではなく、別の理由がある。出入りしている〈Village Hinohara〉は、一般会員のほか檜原村の住民にも開かれている公設民営のコミュニティスペースでもあり、〈DRIVETHRU〉の活動の一環として、その駐車場の一角に『Mobile SS Hinohara』を開設。神保さんはここに定期的に足を運び、移動式EV充電スタンドの普及に向けた実証実験の経過観察を行うとともに、再生可能エネルギーに対する現実的な視点を広めるためのアイデアを練っているのだという。
この〈Village Hinohara〉の運営を行っている清田さんと神保さんは旧知の仲。都内から檜原村に移住した清田さんを訪ねて、よく遊びにくるようになったのが、神保さんと檜原村が繋がるきっかけとなった。
「檜原村に遊びに来たときに通った道がすごく気に入ったんですよね。奥多摩湖から周遊道路に抜ける道なんかは、平日だと交通量も少ないし、箱根ほどそんなにオーバースピードにならず、ドライブするのにもちょうど良くて。仕事柄いろんなクルマを借りて乗り比べたり、まだ表にでていないようなクルマをテストすることも多く、それで頻繁に走りに来るようになりました。そのうちに檜原村の魅力にも触れるようになり、僕たちもここでなにかできないかと思いはじめたんです」
はじめは閉店したガソリンスタンドを再利用・コンバートして、EVスタンドができないか考えていたそうだが、そのうちに清田さんから〈Village Hinohara〉が設立されるとの情報が。これまでにトレーラーのプロデュースでモバイルオフィスなどをいくつも手がけてきた神保さんは、“EVスタンドも移動式にしてみては?”というアイデアを思いつき、彼の地で実現することとなったのだ。
「動く充電スタンドを作るには車輌が必要。それでなにかよいモノはないかと探しはじめた頃、以前〈TRAIL HEADS〉と作ったオフィス機能を持つトレーラーが、コロナの影響もあってあまり使われていないという話を聞きまして。そして構想を相談したのですが、快く使っていいことになりました。すでにモバイルオフィスとしての内装は出来上がっていたので、あとはコンバートEVでお世話になっている〈OZ MORTERS〉による専用設計のもと、ソーラーパネルと充電器、大容量リチウムイオンバッテリーを積んでもらって。200VのEV普通充電が可能な、移動式スタンド『Mobile SS』を完成させることができました」
神保さんは長年所有していた思い出のBMW E21(320i)を2020年にEVへとコンバージョン。2.0L直列4気筒エンジンのかわりにエレクトリックモーターが乗り、ガソリンタンクはリチウムイオンバッテリーになった。
オリジナルの車重にこだわった関係でバッテリー容量は極めてミニマム。フル充電での航続距離は100km未満。そんな少し特殊なEVを持つ神保さんにとって、遠出するときの充電場所は常に悩みの種でもある。そうして実際EVを身近に感じていることや、まだまだ日本に十分な充電インフラが整っていないという状況も、神保さんにとって『Mobile SS』普及への情熱を高める要因になっている。
〈Village Hinohara〉では、現在希望するゲスト向けに『Mobile SS』での充電サービスを行っているほか、その車内自体がコワーキングスペースとなっているので、太陽光発電のクリーンなエネルギーを使って仕事をすることも可能。また、京都のEVメーカー〈GLM〉が新たに軽規格のEVとして取り扱う『MiMoS』を配置し、『Mobile SS』と合わせて、檜原村周辺の二次交通手段の可能性を探るテストを行っていたそうだ。※MiMoSの貸出は終了しており、現在は、檜原村の職員さんに貸し出してます。
「ちなみに『Mobile SS』のSSは、サービス・ステーションではなく、サスティナブル・ステーションの略。檜原村は谷に位置しているため日照時間が短く、ここではソーラーパネルの発電量だけでEVの充電を賄うことが難しいため、100Vの家庭用電源を外部電源として補填する設計です。しかし、限られた発電量であっても再生可能エネルギーを用いることは意義があると思っているので、このサービスを通してユーザーに説いていければと思っています。
『Mobile SS』に関しては本当にエンドレス実験状態。技術的にも運用方法を考えるにもさまざまなコストがかかるので、僕は最近大きなメーカーがやってくれないかなと思っているんですよね。是非パクって量産してくださいと方々に相談してるのですが、面白いから頑張ってと言われるばかりで(笑)。そんなことで今は僕が量産化計画を練っているところなんです」
神保さんが考える、クルマとの付き合い方
「今乗っているE21は、僕が大学生の頃に中古で格安で買ったモノで、当時はよくサーフィンに連れ出していたので外装もヤレてますが、思い出も詰まってるし、デザインも好き。どうしても手放したくなくて、いつか最新のエンジンに載せ替えようと思ってずっと保管していたモノでした。ところが、時代が変わってEVの良さが徐々にわかるようになると、コンバートEVにするのが最良の選択肢に思えてきたんです。
そして〈DRIVETHRU〉のプロジェクトとしてE21のEV化計画を立ち上げ、2020年に現在の姿になりました。EVになったことで、故障の心配もなくなり走りも一気に改善されましたし、いいことづくめ。EVは環境に優しいという点でよく語られますが、気持ちよく走れるという点だけでも十分に魅力があるんだと思っています」
とはいえ旧車乗りは走りに不満が残る愛車は、すべてEVにコンバージョンすべきというわけでなく、あくまでそれは一つのオプション。エンジンでしか味わえない魅力もあるので、それが可能であればエンジンスワップも同じように有力な選択肢だと神保さんは語る。
「このクルマを復活させたいという個人的に強い思いがあってBMW E21のコンバートEVプロジェクトを行ったのですが、これもあくまで一つの参考例でしかないと思っています。
〈DRIVETHRU〉では、着眼点やインスピレーションというか、なにかを感じてもらえる記事や活動をするのを目指しています。読者が、今まで考えたことはなかったけどこういう発想もあるんだなぁと感じてもらえたらよいと思っているんです。なんというか、メインストリームの話ならいくらでも他の媒体で存在しているので、わざわざ読んで、見てもらうのなら、面白いことができればと思うんですよね」
これまでのクルマと、これからのクルマ
メディア以上の活動を行うことでモビリティカルチャーの土壌を耕し、種を蒔き、新たな芽を育むのがライフワークとなっている神保さん。そんな彼は、今のクルマを取り巻く環境をどう見ているのか。また、連載『Ridin’ in my car』の主題である、なぜ若者が昔のクルマに惹かれ、所有しているのかという疑問を、最後に神保さんにぶつけてみた。
「ガソリン車はこれからはクラシックになっていくものですし、すでに探求し尽くされているというか、楽しみ方は完成されていると思います。一方でEVの分野はまだ正解が見えないし、採択する余地がものすごくあるからメディア目線ではとても面白いと感じていますね。僕はその双方を見ていて、メディア的には未来のモビリティ像を模索する方向ですが、個人的なクルマの趣味で言うと、僕の生まれた年代前後のクルマに惹かれます。ちょうどアナログとデジタルが混ざったような、ある意味で進化途中の雰囲気は当時にしかないものがありますよね」
「今の若い子たちが80年代、90年代のクルマに惹かれるのも同じような感じかとは思うんですが、彼らにとってはノスタルジーじゃなくてはじめて出合うもの。カセットやレコードも新しくてクールなモノって感覚があるのかもしれません。それにSNSの普及も大きいでしょうし、クルマをファッションのように楽しんでいるから、機能は二の次でよいっていうのもあるかもですね。
クルマ好きのひとりとして、そしてメディアとして見てきたことを振り返ってみると、確かに10年ほど前と比べても、若い世代のかっこいいクルマ像は変わってきているように感じます。昔ならクルマ好きな人はクラシックカーに流れていたんですけど、今はちょっと古いぐらいのクルマもカッコイイと言われるようになった。実際にその人気は中古車価格の変動に表れていますよね」
しかし、若者たちのクルマに対する興味が高まっている一方で、神保さんは業界に憂うところもあるのだという。
「これは今に始まった話ではないのですが、旧車ばかりが人気で新車に興味がある若者が少ないという事実に、クルマ業界はもっと危機意識を持たなければと思ったりもしますね。僕としては、面白いクルマがもっとでてきて、新車をいっぱい紹介する世界になって欲しいんです。歴史を振り返っても、新車が売れた時代はクルマのデザインにも花があるし、活気があったんですよね。
最近では数年前に中国のモーターショーに行ったときはその勢いを感じたものの、今はどうでしょうか。近年で好き放題に作られたクルマってサイバートラックぐらいじゃないでしょうか。やっぱりメーカーも制約があったり、安全基準があったりで、新車を自由にデザインできるわけではないと思うんですが、作り手も買い手も唸るようなクルマを出して欲しいですね。クルマのあり方が変わっている時代だからこそ生まれる面白いモノってきっとあるでしょうし」
若者たちが80年代や90年代のクルマに価値を見出すように、今のクルマは将来的に特別な存在となるのだろうか。その答えはまだ誰にもわからないが、現在のクルマ業界の采配によって未来が大きく変わることは間違いない。
現在、ガソリン車はクラシックカーとしてその価値を固めている一方で、EVは未知の可能性を秘めながら、答えを探し続ける100年に一度の変革期にある。だからこそ、こうした新しいクルマ文化を育て、探求し続ける〈DRIVETHRU〉の活動に今後も注目したい。
神保 匠吾(じんぼ しょうご)
福岡県出身。大学卒業後、ロンドン留学を経て、ファッション誌を出版するカエルム株式会社へ入社。2014年にオンラインモーターマガジン『DRIVETHRU』創刊。ディレクターとして現在に至る。POPEYE、UOMOなど他媒体へのエディトリアルや連載など幅広く活動中。2021年にコンバートEVにてグッドデザイン金賞を受賞。京都芸術大学「モビリティ学」(2023年)非常勤講師。目下「モバイルSS」の普及に向けて奮闘中。
IG:@shogojimbo
DRIVETHRU
2014年に創刊されたオンラインモーターマガジン。自動車を中心に据えつつ、ファッションやアートの視点を取り入れた情報を提供。モータースポーツやクラシックカー、現代のカーカルチャーを、クリエイティブな切り口で紹介している。革新的なモビリティライフを紹介する記事やインタビューを掲載するほか、未来のモビリティライフを模索する、独自プロジェクトなどユニークなコンテンツが魅力だ。
HP:drivethru.jp
IG:@drivethru.jp
photo by Misaki Tsuge / text by Junpei Suzuki / edit by Ryo Muramatsu