Column2026.09.15NEW [PROMOTION]

COLUMN #04 | 自転車の街が教えてくれること

小俣雄風太

『Bicycle as Freedom』では、narifuriとともに、自転車と自由の関係をあらためて考えていく。#04で取り上げるのは、「自転車の街」がどのようにつくられてきたのか、ということだ。自転車で街を自由に移動できることは、自転車があれば手に入るものではない。安全な道、連続する経路、そして街を変えようとする市民の意思があってこそ、その自由は初めて日常のものになる。パリ、アムステルダム、コペンハーゲンの風景から、自転車と都市、そして自由の関係を見つめ直す。

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人々が勝ち取ってきた「自転車の街」

世界最大のレースの舞台であり、自転車の国というイメージがあるフランスだが、少なくともパリは自転車の街ではなかった。ただでさえ道はがたがたの石畳なのに、自動車の轍が作るへこみのせいで傾斜があって走りにくい。なんとか平面を保っている道の中央寄りを走ろうものなら、タクシーが迷惑そうに幅寄せをしてくる。パリで自転車に乗るのは、今後一切、もう御免被りたい。

これは20年ほど前の記憶である。しかし2026年の今、パリは劇的なまでに自転車の街へと変貌を遂げている。


現在のパリの風景とサイクリスト

「自転車の街」というなら、まずコペンハーゲンやアムステルダムの名が挙がるだろう。それはバリバリのロードバイクで疾走するサイクリストが多いとか、レースが盛んに開催されているということとは関係がなく、市民が日常生活の移動手段として自転車を利用している街だからである。そして日常的に自転車が移動の足に用いられているということは、市民が自転車好きだからということではなく(ある程度はそうかもしれないが)、自転車が一番便利な移動手段であるような街の作りがなされているということだ。

当然のことながら、「自転車が一番便利な移動手段である街」は所与のものではない。自転車で快適かつ安全に走れるインフラは、市民が闘い、勝ち取ってきた権利だった。オランダでは1960-70年代のモータリゼーション化に伴い、少なくない割合の子どもが含まれる交通死亡事故が社会問題化した。街が歩行者や自転車のためではなく、自動車を優先した作りになっていたからだ。市民はデモでクルマ社会へ疑義を呈し、クルマに脅かされない街の環境づくりを求めた。

今日のアムステルダムは自転車が無数に行き交う自転車の街だ。縁石などの構造物で車道から遮断された自転車道が主要道路に整備されており、既存の自転車「レーン」は現在進行系で自転車「道」に置き換えられている(自転車レーンが日々路上駐車に蹂躙されていることは、東京を見れば明らかだ。レーンでは不十分なのだ)。オランダの諸都市では自転車移動の流れを止めないアンダーパスや高架橋などの設置が盛んであるばかりではなく、駐輪場インフラの整備も進んでいる。


コペンーハーゲンの通勤時のワンシーン

世界に先駆けた自転車の街として知られるコペンハーゲンは、「コペンハーゲナイズ」という自転車都市化の提唱プログラムで、他国の規範となっている。デザイン思考で自転車都市のあり方を考えるプロセスは、ビジュアル的な説得力に富む。”A Short History of Traffic Engineering”(交通工学略史)と題されたグラフィックは、人間の主要な交通手段の道路環境が、1800年からどのような変遷を経て現在に至っているかを詳らかにする。


「A Short History of Traffic Engineering(交通工学略史)」と題した図版。道路という空間が、徒歩や馬車を中心とした時代から、自動車の普及に伴う信号・標識・車線・交差点設計へと変化してきた過程を、シンプルな記号と線でたどる。移動を円滑かつ安全にするための技術が、都市の風景や人々の移動をどのように形づくってきたかを、ひと目で伝えるグラフィックである。現代の都市がいかに自動車のために改修されてきたかを教えてくれる。

その中で1900年に登場した自転車は、1920年までは歩行者と並んで真っ直ぐに最短距離で目的地へ至る手段だった。だが自動車の登場した1950年以降は、自動車が最短距離をとり、歩行者は迂回や階段を強いられ、自転車に至っては途切れ途切れで連続性すらない交通手段になったことが表されている。アムステルダムは、市民がこうした環境にNOを唱え、直線的で効率のよい交通経路を取り戻したというわけだ。

本連載のCOLUMN #01で「自由とは制約を打ち破って主体的に獲得していくもの」と書いたが、まさに自転車の街で人々が自転車に乗り感じる自由は、市民が主体的に獲得してきた環境に基づく安全と表裏一体なのものなのだった。

変貌を遂げたパリ、街の体感

2025年夏、私はパリの街を自転車で走っていた。花の都はコロナ禍をきっかけに自転車の街へと急速に変貌を遂げ、世界中から注目を集めるようになっていた。今日、自転車の街はどこか? という問いが発せられればアムステルダムやコペンハーゲンと並んでパリの名が挙げられるだろう。

ひとりの自転車乗りとして、20年ほど前の記憶と対照しながらこの街をサドルの上から眺めていると、だいぶ風景が変わったと感じた。

ひとつには、クルマが入れない自転車道。縁石で車道とは区切られていて、走っていてクルマとの距離を気にしなくていいし、路上駐車との接点がそもそもないので直線的に走ることができる。そして自転車に乗っている人がたくさんいる。かつては観光客だけがボロボロのシェアサイクル「ヴェリブ」に乗っていた街路に、今はたくさんの自転車が走っている。「ヴェリブ」の見栄えもすっかり良くなり、その他のシェアサイクルも参入してか自転車の多様さも増していた。高速で脇を追い抜いていく電動キックボードや電動自転車にはやや恐怖を覚えるものの、総じて自転車で走りやすい空間ができていた。コペンハーゲナイズが示した、直線的な経路の図を思い出す。

自転車で走りやすくなると、街の体験そのものが変わる。メトロの乗り継ぎや長時間の徒歩でしか行けなかった目的地が現在地と地続きになり、街が明確な形をもって立ち現れてくる。旅人の体験としてこれ以上に街を味わえる方法はないし、住民ならそれこそ縦横無尽に街の隅々を知ることができるだろう。自転車は街における移動の自由を象徴する。

そういえば、パリのシェアサイクル「ヴェリブ」は、自転車を意味するヴェロと、リベルテを足した造語だった。リベルテとはリバティ、つまり自由のこと。

20年ほど前にこのシェアサイクルが配備された時には、おおよそ自由を感じられなかったこの街は、いつのまにかこの名前がしっくり来る自転車の街になっていたのだった。

参考文献:世界に学ぶ自転車都市のつくりかた 人と暮らしが中心のまちとみちのデザイン(宮田浩介編著、学芸出版社)

小俣雄風太 (おまたゆふた)
自転車ジャーナリスト、編集者。国内外の自転車にまつわるイベントを取材。自転車を「その土地の文化を知り、体感するツール」に位置づけ、欧州ロードレース実況から小径車のサイクリングまで広範な発信に務めている。著書に「旅するツール・ド・フランス」(太田出版)。J SPORTSではレース実況も務める。サイクリングポッドキャスト&編集室のArenbergを主宰。
IG:@yufta

visual by Hikari Tamahashi / text by Yufta Omata / edit by Ryo Muramatsu / promotion by narifuri