Column2026.10.27NEW

COLUMN #05 | パンデミックがつまびらかにした自転車の肌感覚

小俣雄風太

『Bicycle as Freedom』では、narifuriとともに、自転車と自由の関係をあらためて考えていく。#05では、パンデミックの日々を振り返る。外に出ることも、人と会うことも、当たり前ではなくなったあの頃。自転車は、移動の手段であると同時に、自分の感覚と外の世界をつなぎ直す存在でもあった。人々はペダルを踏むことで、どんな自由を取り戻していたのだろうか。各地の体験と言葉から、あの頃、自転車が果たした役割を紐解く。

自転車と自由について、これまで歴史的な事柄を中心に振り返ってきたが、今を生きる私たちが自転車を最も近しく感じたのは、やはりパンデミックの時だろう。私たちはあの頃、当たり前であることがいかにかけがえのないものであるかを痛感した。乗り物としては当たり前のものである自転車が、いかにかけがえのないものであったか。

コロナ禍のロックダウンで、自転車の需要が世界的に高まったことは広く知られている。公共交通機関を使わずに済む移動手段として、あるいは密を避けられる運動の手段として。フランスやイタリアといった国々では自転車購入や整備に政府が補助金を出した。通りから人の姿が消えたこの期間に自転車道を急速に整備したパリが、今や世界に名だたる自転車の街となっていることは前回(下記記事)触れた通りである。

今回は、このパンデミックの期間が人と自転車の関係をどう変えたのか、いくつかの記事や手記を頼りに考えてみたい。

「うち」の外へ連れ出してくれる自転車

VICEに紹介されている (*出典1)のは、こうした自転車の文脈で主役になりがちなヨーロッパやアメリカではなく、アジアの街と人に起きた変化だ。フィリピンのフォトグラファーであるディージ・ファビアン氏が、パンデミック期間中の外出の少なさに心身の疲労を感じ、かつて楽しんでいたサイクリングを再開したという。規則正しい睡眠を得て、メンタルが向上したことが記されると同時に、彼が参加する定期的なグループライドの仲間たちの多くがパンデミック時に自転車を再開した人々であることも紹介される。「うち」にこもる生活の外に連れ出してくれるものが自転車だったのだ。

※出典1 記事リンク:『How the Pandemic Got People Biking Again, Even in Asia’s Congested Cities』/VICE

英ガーディアン(*出典2)は運輸省の統計として、2020年にイングランドの移動における自転車利用回数が男性で12%増加し、女性では実に56%増加したことを紹介している。その理由にパンデミックで自動車の交通量が減ったことを挙げている。自転車を脅かす路上交通が減ったことが、図らずも女性が自転車に気兼ねなく乗れる機会になったという。別の記事(*出典3)では3人の女性が、それぞれパンデミック下での自転車との付き合い方を語っている。

印象的なのは、この時期に自転車を始めたという54歳の教員ルイーズ・ワトソン氏の言葉だ。最初は5マイルを走るつもりだったのに20マイルを走り、ひと夏の間に100マイルまで走破してしまったという。そもそも、パンデミックがなければ彼女は自転車に乗りもしなかっただろう。

「私は全くの自転車初心者でしたが、クルマがどこにもいなかったおかげで、とても乗りやすかったんです。今、クルマが徐々に戻ってきて交通量の増えた道でも自転車で走れるのは、私がクルマのいない状態から始めたからだと思います」

※出典2 記事リンク:『Cycling trips made by women in England rose 50% in 2020, study finds』/THE GUARDIAN
※出典3 記事リンク:『‘I haven’t looked back’: the women who discovered cycling in lockdown』/THE GUARDIAN

感覚を取り戻すツールとしての自転車

所変わってカナダのブリティッシュコロンビア州からのエピソード(*出典4)。エイミー・タイ氏は以前、電動自転車で毎日通勤をしていたが、パンデミック下でリモートワークに。当初こそ、1時間増えた睡眠時間を喜んだが、次第に心身の不調を覚えることになる。22年の春にオフィス勤務が解禁され、自転車通勤を再開した時に無上の喜びを覚えるのだった。当たり前にあった自転車が、こんなにも特別な体験であったことを、彼女はこう語る。

「こうして自転車に乗っている私は身軽で、エネルギーに満ち、無敵のように感じられた。再び生きていると感じたのだ。自転車通勤ができなくなったことで、それが私の心身の健康にとってどれほど不可欠であるかを痛感したが、何がそれほど魔法のような効果をもたらしているのか、正確に言い当てるのは難しい。(中略)あるいは、自転車で街中を駆け抜け、清々しい風が頬を撫でるのを感じる、その純粋な喜びのせいかもしれない」

内省的にならざるを得ないコロナ禍の時期だったからこそ、彼女は自転車に乗ることで自分の感覚を確かめていたのかもしれない。

出典4 記事リンク:『Cycling to work is my form of self-care — something I lost while working from home』/CBC

外の世界に触れる

自転車は内面への気づきを与えてくれるとともに、やはり外の世界へ目を開かせてくれるツールだ。前述のVICEの記事では、マニラ在住の広告プロデューサーが、自転車に乗ることで自らの街を見つめ直すきっかけを得たと喜ばしいトーンで伝えている。

「この街の魅力を以前よりずっと深く味わえるようになったんだ。自分のペースでマニラを移動できるし、写真を撮ったり休憩したりしたいときは、ほぼいつでも立ち止まることができる。そして、川の悪臭から路上の屋台まで、あらゆる匂いを嗅ぐことができる」

この感覚は、自転車に乗ったことのある人の多くが共感できるはずだ。五感を使う自転車だからこそ体感できる街がある。リモートワークや外出制限によって、外の世界を肌で感じる機会が減っていった。あの時期、自転車に乗ることは、失った感覚を取り戻し、あるいはさらに鋭敏にすることだったのかもしれない。

世界のあちこちに、コロナ禍のあの時期、自転車に救われた人がいる。この記事を書きながら、筆者もあの時期を思い出すことになった。自転車に乗ることもまた禁忌であるような空気が流れていたあの時。1週間ほどの部屋篭りに耐えかねて、そろそろと外に出てペダルを踏んだ。景色は速度以上の速さで流れているように感じられ、止まっていた時間が動き出した。世界がまだそこにあることがにわかに信じられず、私はその1時間ほどのサイクリングであらゆるものを回復していった。

どれだけ遠くまで走ったかでも、何度乗ったかでもない。ただ自転車に乗ることが、どれほど尊いか。それは、自分の力で自分を取り戻す手段でもあった。2026年の今、あの頃を改めて思い返す。だからこそ今も、自転車に乗って出かけるのだ。


小俣雄風太 (おまたゆふた)
自転車ジャーナリスト、編集者。国内外の自転車にまつわるイベントを取材。自転車を「その土地の文化を知り、体感するツール」に位置づけ、欧州ロードレース実況から小径車のサイクリングまで広範な発信に務めている。著書に「旅するツール・ド・フランス」(太田出版)。J SPORTSではレース実況も務める。サイクリングポッドキャスト&編集室のArenbergを主宰。
IG:@yufta

visual by Hikari Tamahashi / text by Yufta Omata / edit by Ryo Muramatsu / promotion by narifuri